9夜、開けてはいけない友情
華やかな宴の裏に隠された、嫉妬と怨恨。 びちゃ、びちゃ、と濡れた音を立ててドアの向こうに立っていものはなんなのか。 謝り狂う加害者、震える友。 そして、そっとドアノブに手をかけ――。 崩壊した友情の先にある結末を、どうぞ覗いてみてください。
豪華客船での七泊八日の旅は、まるで夢のような時間だった。
平凡な大学生活の最後に訪れた、本来なら触れることすら叶わないはずの優雅な世界。
視界いっぱいに広がる青い海、毎晩のようにテーブルを彩る豪華なディナー、そして夜の船上バーで傾けるグラスと華やかな花火。 何もかもが眩しかった。
きっかけは、あの日、四人で買った一枚の宝くじだった。
「もし当たったら、みんなで最高に豪華な旅行に行こうね」
冗談交じりの約束とともに宝くじを託されたのは、カズエだった。誰も本気になんてしていない。
だからこそ、カズエから当選の知らせを受けたとき、彼女たちは自分の耳を疑った。
手元に舞い込んだのは、四百万円という学生にしては大きなお金。
ユカは真っ先に「四人で等分して山分けにしよう」と提案した。
現実的な選択肢だと、カズエも思う。
けれど、トモカとツバサは首を縦に振らなかった。 せっかくだから忘れられない思い出を作りたいと押し切り、結局、彼女たちはこの船のチケットを手に入れたのだ。
◇
「カズエはあのお金、独り占めしようって思わなかったの?」
船上のテラスで、ふいにユカが尋ねた。
「独り占め……あー、ごめん。ちょっとだけ思った……」
「それでも、ちゃんと言っちゃうのがカズエだよねぇ」
そばでジュースを飲んでいたトモカが苦笑する。
「私なら、絶対言わないわ」
ユカは悪びれることなくそう言うと、手にしたグラスの氷を揺らし、ふっと鼻で笑った。
その横顔には、小さな不満が滲んでいる。
山分けすれば、一人百万円もらえるはずだった。それが、たった一週間で泡のように消えるのだから、無理もない。
(でも、もともとそういう約束だったし、皆が山分けに納得しなかったしねぇ)
カズエはユカの不満を理解しつつも、ユカの味方をすることはできなかった。
そんな微妙な空気など意にも介さず、誰よりもこの旅を満喫していたのがツバサだ。
「ねえ、見て! このドレス、次のパーティーに着ていったら変かな?」
ツバサが興奮気味にスマートフォンの画面を見せてくる。 華やかな船内ショップで買い揃えたブランド物の服やアクセサリーを身につけ、ツバサはいつも以上に輝いていた。
「いいんじゃない。ツバサに似合ってる」
そう言えば、ツバサは屈託なく笑う。 そんな輝きに引き寄せられるように、船上では何人もの男性がツバサに声をかけていた。
そして三日目の夜。 ツバサが目を輝かせながら紹介したのは、金持ちで、背が高く、顔もいい若い青年だった。
「私、この人に好きだって言われちゃった」
ツバサは明らかに優越感を滲ませて笑っている。
カズエは素直に「いいなぁ」と呟き、トモカは曖昧に笑った。
トモカには以前、片思いの相手をツバサに奪われた経験があった。
「私、あの人に好きって告白されちゃった」
今と大して変わらないセリフで、自慢気に話していたツバサ。 彼女は、自分が欲しいと思ったものは、誰のものでも構わず手に入れる。
「トモカが好きだった人? でも、まだ付き合っているわけじゃないでしょ?」
今でもトモカの中には、その言葉が突き刺さっている。トモカは、ぎゅっと唇を噛み締めた。
そして七日目の朝。 ツバサは朝食を終えると、
「明日で最後だから、今日は彼と一緒に過ごすわ」
そう言って笑い、最高のおしゃれをして部屋を出ていった。
「あ~あ、今夜は戻ってこないかもね」
カズエは冗談めかして笑った。 ユカとトモカが一瞬だけ顔を見合わせたことには、気づかなかった。
そして、その夜。
ツバサは帰って来ないはずだった。
◇
――とん。
深夜、小さな音がした。
カズエは眠ったまま、眉を寄せる。
――とん、とん。
誰かがドアを叩いている。 夢うつつの中、ぼんやりと目を開けると、薄暗い船室の中で人影が立っているのが見えた。
「……ユカ?」
ドアの前で、肩を震わせている後ろ姿。
「どうしたの?」
カズエが起き上がると、ユカは振り返った。
その顔は、真っ青だった。
「……あ」
「え?」
その時。
「……カズエ?」
ドアの向こうから、ツバサの声がした。
「あれ……ツバサ?」
「カズエ、お願い。開けて」
「どうしたの? 彼氏と喧嘩でもした?」
ガウンを引っ掛けてドアに近づこうとしたカズエに、
「開けないで!」
ユカが叫んだ。 カズエは、その声に足を止める。
「なんで? ツバサが帰ってきたんじゃ……」
「ダメ! ツバサじゃないわ!」
「でも、声が……」
「違うの……」
ユカの声が震えている。
その直後。
――――――ドン。
「開けてよ!」
ドアが強く叩かれ、カズエは飛び上がった。
ツバサの声は、先ほどより大きい。
「ねえ、カズエ! 開けて!」
カズエがドアに近づこうとすると、ユカが腕を掴んだ。
「駄目だってば!」
その騒ぎで、奥のベッドにいたトモカも目を覚ました。
「……何?」
トモカは眠そうに体を起こし、ドアを見た。
途端――
「開けろ――――――!」
怒鳴りつけるその声を聞いた瞬間、トモカの顔から血の気が引いた。
「う……うそ……」
「トモカ?」
「なんで……」
ドアの向こうから、また声がする。
「ユカ! 開けろっていってんだよ!」
ドン! ドン! ドン!
ツバサに強く名を呼ばれ、ユカの肩が跳ねた。
「トモカでもいいわ! 早く開けろっ!」
しかし、トモカも金縛りにあったように動かない。
カズエは二人を見た。
「ねえ? 開けてあげようよ」
「駄目、ダメ、ダメ、駄目、だめ!」
その言葉を聞いたらしいツバサがドアの向こうで、笑った。
そして――
――ドン。 ――ドン。 ――ドン。
「早く!」
ドアを叩く音が、次第に激しくなっていく。
――ドン、ドン、ドン、ドン、ドン。 ――――――――ドン。
「ちょっと、周りに迷惑よ!」
カズエが慌ててドアを開けようとした、その時。
「「駄目!」」
ユカとトモカが同時に叫び、カズエにとりすがった。
「なんでよ!」
カズエも苛立ちを込めて叫んだ。
「ツバサなのよ?」
二人は答えない。
「どうして開けちゃいけないの?」
次の瞬間、
――ドン! ドン! ドン! ドン!
ガガガガガガガガガガガガ!
「あけてぇぇぇぇぇぇ!」
尋常ではないその様子に、カズエは今度こそ扉を開けようとした。
その時――
「ツバサはもう帰ってこないの!」
ユカが肩で息をしながら叫んだ。 その途端、ドアを叩く音がピタリと止んだ。
カズエは、 「は?」 と、理解が及ばず小さく疑問の声を上げた。
「なに……言ってるの……?」
トモカの目から涙がこぼれていた。
「どういうこと?」
カズエが声を荒げる。 俯いたユカが、震える声で言った。
「……ツバサは……もう」
「え?」
「だって……」
ユカが手を握りしめる。
「私たちが……」
そこで言葉が途切れた。 ドアの向こうから、また声がした。
「ユカ」
今度は、笑っている声だった。
「トモカ」
二人とも凍りつく。
「早く……開けて……」
カズエが二人を見る。
「何をしたの?」
ユカは目を閉じた。
「……私たちが、ツバサを海に落としたの」
カズエの思考が止まった。
「…………突き落とした? ……は?」
トモカが泣きながら頷く。
「ちょっと脅かすつもりだったの! でも、本当に落ちるなんて!」
「お願い……。開けて……」
すすり泣く、か細い声が聞こえた。
「わた……し……一人……さみしい」
ユカとトモカが顔を上げる。
「ね……ぇ……開けて?」
ドアノブが、ゆっくり回った。 カチャ。 鍵がかかっているため、外からは開かない。
ガチャガチャガチャ!! ガチャガチャ!!! ガチャガチャガチャ!!!
乱暴に揺さぶられるドア。 三人は息を呑んだ。
「いやぁぁぁ! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
トモカが耐えきれず、悲鳴のような謝罪を叫ぶ。
カズエは、ただ呆然とドアを見つめるしかなかった。
その横で、ユカが声を張り上げた。
「何よ! 私は悪くない! 私は悪くない! 全部あんたが悪いのよ!!」
ドアを揺さぶる振動が止まった。
静寂。
ガチャ。 一度だけ、ドアノブが音を立てた。
そして―― バン!
扉を叩く音。
「ねえ、カズエ」
ツバサの声がした。
(あら……ツバサの声って、こんな声だったかしら……)
もはや理解することを放棄したカズエは、ぼんやりとそんなことを思った。
「その二人が私を殺したの」
「だから――」
一拍。
「あなたが開けてくれる?」
カズエはドアを見つめた。静まり返った船室には、水音が微かに響く。
――びちゃ。
――びちゃ。
――びちゃ。
「カズエ」
ツバサが、くすりと笑った。
「朝になっても、消えてあげないよ」
「ねぇ、どうする?」
カズエは
(……まあ、いいか。ツバサが怒っているのは、ユカとトモカだもんね)
そう思い、そっとドアノブに手をかけた。
終




