8夜、巡査の証言
午後三時十二分。
○○県警通信指令室に一本の通報が入った。
『人が土管にはまってるんです』
『助けてくれって叫んでます』
現場は市街地から離れた河川敷の工事予定地。コンクリートで固められた斜面に、古い排水用の土管が横向きに埋め込まれている。
近くを巡回していた若手の坂井巡査が現場へ向かったのだが十分経っても無線応答がない。
二十分後、不審に思った署はベテランの大沢警部補を向かわせた。
現場にはすでに数人の野次馬が集まっていたが、規制線もはられていないのに、誰も近寄ろうとしない。ただ土管を遠巻きに見つめているだけだった。
その中に坂井の姿があった。顔面は蒼白。肩を震わせながら土管を見つめている。
「坂井!」
大沢が声をかけると坂井はびくりと身体を震わせた。
「あ……」
「何があった」
返事はない。震える指が土管を指差す。その先には男がいた。いや、正確には男の頭だけが見えていた。頭以外、肩から下は土管の中へ消えている。
すでに動かない。血走った目は見開かれたまま。口も半開きになっていて、生きているようには見えなかった。
「事情を聞かせろ」
坂井は唇を震わせながら話し始めた。
「俺が来た時は……まだ生きてました。肩までは外に出てたんです……」
周囲の野次馬も静まり返る。
「助けてくれって。苦しい、痛いって言っていて……何かの事故だと思ったんです」
坂井は自分の両手を見つめた。
「だから肩を掴みました。引っ張り出そうとしたんです。でも……」
「でも?」
「動いたんです」
大沢は眉をひそめる。
「動いた?」
坂井の声が掠れる。
「男の体が奥へ……ズルズルと……」
土管を見る。
「誰かに引っ張られてるみたいでした……」
現場の空気が冷えた。
「男は泣きながら言ってました。『やめろ』 『悪かった』 『引っ張らないでくれ』って」
坂井の目に涙が浮かぶ。
「俺も必死で引っ張りました。でも……聞こえたんです」
坂井の顔色がさらに悪くなる。
「何がだ」
「声です。奥から『お兄ちゃんも来る……?』って」
誰も言葉を発しなかった。
「子供みたいな声でした……」
坂井は震える。
「俺……怖くなって手を離してしまった。そしたら」
ごくりと唾を飲む。
「一瞬でした。一気に肩まで引きずり込まれたんです」
坂井はもうこれ以上思い出したく無いと言うように両手で顔を覆った。
「坂井……バカを言え」
大沢は坂井を引きずるようにパトカーの中に押し込むと、もう一度問題の土管へと歩を進めた。
やがて鑑識班と救助隊が到着した。遺体回収が始まり、遺体にロープを巻きつける。
「せーの!」
掛け声と共に引っ張る。土管の中で何かに引っ掛かっていると思われていた。
だが
ズルり。
拍子抜けするほど簡単に遺体は抜けた。
次の瞬間
「うわっぁぁ!」
誰かが悲鳴を上げた。
男の下半身。そこにもう一つの身体。
子供だった。痩せ細った白い肌の身体。泥にまみれた腕。白目を剥いた顔。
その死体は男の腰に必死にしがみついているようだった。骨のように細い両腕が肉に食い込むほど強く。絶対に離さないと言わんばかりに。
「な、なんだ……これは……」
鑑識官が呟く。誰も答えられない。
ドン!
ドン!
ドン!
パトカーの窓を内側から叩く音がした。
大沢が振り返るより早く、坂井がドアを開けて飛び出してきた。
「違う!」
坂井は大声で叫んだ。
「違うんです!そいつじゃない!」
呼吸が荒い。
「そいつじゃないんだ!!」
その瞬間、全員の視線が土管へ向かった。
直径五十センチほどの暗い穴。昼間だというのに奥は真っ黒だった。
穴は翌日、コンクリートで完全に塞がれた。
工事記録には「老朽化した排水管の閉鎖」とだけ記された。
男の身元は近所に住む四十二歳の会社員。
解剖の結果、死因は圧死。
だが大沢は報告書のある一文を読んで凍りついた。
男の腰にしがみついていた子供。
その死亡推定時期は七年前。
遺体は一切腐敗しておらず、完全に「死蝋」と化していた。
身元は最後まで判明せず、男との接点も見つからなかった。
そして。
土管の件について報告書を読んだ者は大勢いたが、その後、誰一人として、あの土管の奥について尋ねる者はいなかった。
なぜならその報告書は、坂井巡査が書きなぐったと思われる証言が一言、添えられていたから。
『中には、まだいる』
終わり




