4夜、先客
夜勤中のことだった。
俺は大病院の巡回警備をしている。
午前三時頃。 誰も使っていない五階の空室に、小さな男の子が入っていくのを見た。
七、八歳くらいだろうか。
白いパジャマ姿で、タタタタタッと廊下を走り、ゆっくりドアを開けて中へ入る。
小児病棟では珍しくない。
回復して動けるようになった子供が、夜中に抜け出して遊ぶことがある。
俺は小さく舌打ちしながら子供の後を追った。
思った通り、病室の窓際に男の子は座っていた。
「どうしたの?」
声をかけると、男の子は振り返った。
「お母さんが来たんだ」
だが、面会時間はとっくに過ぎている。
「お母さん?いや、今は病院に入れないだろ……」
そう言いながら男の子に近づくと、子供は窓を指差した。
「あっち」
外を見る。
しかし、駐車場にも人影はなかった。
「誰もいないじゃないか」
そう言った瞬間。
男の子の顔から笑みが消えた。
「いるよ」
その声は少し震えている。
「ずっとこっち見てる」
俺はもう一度窓に顔を寄せた。
その時、街灯の明かりの境目、病院の真下に、女が立っているのが見えた。
その女はこちらを見上げている。
距離があるのに顔がよく見えた。
いや。
顔だけが異様に大きかった。
まるで双眼鏡でも覗いているように。
女は瞬きもしない。
ただ上を見ている。
俺の背中に嫌な汗が流れ窓際から一歩後退った。
「あ、あれがお母さん?」
男の子は首を振る。
「違うよ」
「じゃあ何だ?あれは」
男の子は少し考え、小さな声で言った。
「病院に時々入ってくる人……かな」
病室の空気が急に冷えた気がした。
「僕の前の部屋にも入っていくのを見たよ」
「前の部屋?」
「二〇七号室の前の部屋」
俺は黙った。
二〇七号室の向かいの二〇三号室は先月閉鎖された病室だ。
入院していた子供が立て続けに亡くなったから。
男の子は続ける。
「アレ、最初は外にいるんだ」
「……」
「でも突然入ってくるんだ」
俺はもう窓を見ることができなかった。
だが、女は確かにそこにいる気がする。
そして。
「な、なあ」
俺は男の子に尋ねた。
「お母さんはどこにいるんだ?」
男の子はきょとんとした顔をした。
「そこだよ」
男の子が指を差す。
そこにはカーテンが閉じられていたベッドが一つ。
「お母さん」
男の子が呼びかける。
返事はない。
だが。
カーテンの下を掴む黒い指先が見えた。
俺の全身が固まった。
男の子は嬉しそうに言う。
「ね?」
ゆっくりカーテンが揺れた。
誰も触っていないのに。
「お母さんはね」
男の子が笑った。
「ベッドの下が好きなんだ」
その瞬間。
カーテンの隙間、ベッドの下の暗闇から、 何かがこちらを見ていた。
顔なのかどうかも分からない。
ただ。
真っ黒だった。
終わり




