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会社帰りに読む怪談  作者: 怒れる布団


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3/6

3夜、8Days Later 退出承認不可

 東京の一等地にそびえる巨大複合ビル、東華京システム本社ビル。

 深夜のオフィスは、昼間とは別の建物のように静まり返っていた。


 二十階建てのガラス張りの社屋、いつもなら週末でも完全には眠らない。だが、大型連休前日の今日、各フロアはすでに電気が消え、わずかに残っていた社員達も二十三時前ともなれば皆、裏口から帰宅していく。


 だから、カツ、カツとヒールの音を響かせて無人の通路を歩いているのはOLのサエキだけだった。


「最悪ね。なんで私が地下倉庫まで行かなきゃいけないのよ」


 一人でやる残業だけでも腹立たしいというのに、雑用までやらなければならないサエキは吐き捨てるように呟き、社員証をゲートにかざす。


 ピッ。


 冷たい電子音。


 エレベーターへ乗り込み、地下二階のボタンを押した。


 ウィーン。エレベーターの無機質な音が響く。箱の中の鏡のようなステンレスには、自分一人だけが映っている。


 17階から下るエレベーターの中、サエキは昼間の出来事をふと思い出す。


「聞きました? マツカワさんの事故」


 同僚たちはざわついていた。


 トラックとの接触事故。

 即死だったと聞いた。自殺とも囁かれて。


 可哀想、という声があった。彼女の為に涙を浮かべる後輩もいた。


 だがサエキは、思わず笑いそうになった。


 マツカワは暗く、鈍く、反応も遅く、自分がストレスを発散するには丁度良い女だった。


 書類を隠し、ミスをさせる。ミスを押し付ける。陰口を聞こえるように言う。残業を押し付ける。


 マツカワの泣きそうな顔は、滑稽でたまらなかった。

 昨日も言ってやった。


「そんなノロマだから嫌われんの。腐って死ねば?」


 思い出して、また吹き出した。


 チン。


 地下二階へ到着し目の前の扉が開く。


 ひやりと湿った空気が流れ込んできた。


 地下フロアは新しいのに何故か薄暗い。無機質なコンクリート壁が冷たく左右に立っている。


 サエキは顔をしかめた。いつもならマツカワが用意する備品なのに。

 その荷物は備品倉庫の奥。


 カツ、カツ、カツ、カツ。


 ヒールの音が響く。


 ……べちゃ。


 何かの音がした。


 サエキが立ち止まり振り返る。


 ただ白い壁が沈黙している。


 気のせいかと思い、再び歩き出した。


 カツ、カツ。


 ……べちゃ、べちゃり。


 何かが後ろからついてくる気がする……


 サエキは振り返る。


 長い通路。

 白い壁。

 並ぶ扉。



 べちゃ



「……え?」


 嫌な汗が背中を流れる。


 歩き出す。


 べちゃ、べちゃ、びしゃ、べちゃ。



 今度は確かに聞こえた。

 濡れたような足音。


 サエキは早足になる。


 すると、足音も速くなる。


 べちゃ、びしゃ、べちゃ、べしゃ、びちゃ、べちゃ、びしゃ。


「誰!?」


 叫びながら振り返る。


 誰もいない。


 だが、その瞬間。


 耳元で、


 ――ひひ。


 と誰かが笑った。


 サエキは悲鳴を上げて走り出す。


 通路を曲がり、目についた扉が開いている。


 そこに飛び込み、勢いよく閉めた。


 ガンッ!!


 肩で息をしながら非常灯がついただけの薄暗い部屋を見回して気づいた。


 そこは機密文書室。


 関係者以外立入禁止。

 社内でも限られた人間しか入れない部屋。


 サエキは震える手で照明をつけた。

 白い光が室内を照らし、最新式のロックのかかった大量のキャビネットが整然と並ぶ。


 紙の匂い。

 冷房の低い唸り。

 誰もいない。


「……なんなのよ」


 震える足に力を込める。


 なんの気配もない最新技術で作られた白い文書室。


「はぁ」


 小さく溜息をついた。

 追ってくるものなどいない。

 きっと疲れているのだ。


 そう思おうとしてサエキは部屋から出ようと扉に向かい、壁掛け型テンキーに社員証をかざした。


『ビビッ』


 エラー音。


 赤いランプが点滅する。


「あれ」


 もう一度。


『ビビッ』


 エラー音……



 この部屋……


 入室にもパスワードが必要なはずだった。


 けれどサエキはそのパスワードなど知らない。


 なのに、なぜ入れた?


 もう一度扉を見る。


 一般フロアのテンキーとは違う専用通行証と暗証番号が必要なスマートロックリーダーの端末。


 退室時にも認証が必要なのだ。


 サエキはあわてたように適当に番号を打つ。


『ビビッ』


 もう一度。


『ビビッ』


 赤いランプだけが点滅する。


「……嘘でしょ」


 途方に暮れそうになったその時、

 ハッと思い出してスマホを取り出した。携帯がパッと画面を光らせ見慣れたいつもの画面が開く。


 圏外。


「そんな……」


 地下だからか。


 落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせたおかげか、さらに思い出した。エラーを出し続ければ警備会社が来てくれる!


 サエキがもう一度、エラーを出すために端末のボタンを押そうとした時、館内放送が入った。


「これより全館を長期休暇モードに移行します」


 途端、壁掛け型テンキーの画面に『時間外:受付不可』が表示された。


「ちょ、ちょっと、待ってよ!」


 放送の通り、明日から大型連休だった。


 丸八日間。


 この地下フロア、いや、ビルに人は来ない。


 自分は一人暮らし。

 警備巡回も最低限と聞いている。


 サエキの喉が引きつる。


「誰か!ねえ!」


 叫ぶ声が震え、がむしゃらに扉を叩く。


 返事はない。そもそも防音加工がされている部屋。外に声は届かない。数時間後には声も枯れた。


 冷房だけは低く唸る。


 喉が渇く。


 ドアを叩き続けた手が痛い。

 時間の感覚が狂っていく。

 サエキは床に座り込み、ぼんやり天井を見上げた。そこで初めて気がついた。


 小さな赤いランプが点灯している防犯カメラ。

 録画は続いているらしい。


「あ……監視室!」


 レンズは確かにこちらを向いていた。

 だが……


「……誰も……来ないよ」


 真上から声がした。

 サエキは凍りつく。

 誰かいるのかとゆっくりと天井を見上げた。


 白い天井から黒い髪が伸び始めた。その得体の知れない髪。やがて額が現れ、目が現れ、胴が、脚が、ぬるりと足まで生えてきた。


 サエキは破れんばかりの悲鳴を上げた。


「ヒャアアァァァァ」


 サエキが見たのは天井から生えた逆さの人間。


 マツカワ。


 後ずさる。


 だが後ろは扉。逃げ場はなかった。


 マツカワが、ゆっくり天井を滑って、サエキに迫る。


 ギャハハハハハハハハハ。


 黒い髪はゆらりともそよがないのに笑い声が響き、髪の隙間から、目だけがぎょろぎょろ動く。


『サエキさん』


 声が落ちてきた。


 天井を逆さのまま滑るように進む。サエキは背を扉に押し付けるしかない。マツカワらしきものがサエキの鼻先でとまった。サエキは目を見開いたままひゅう、と冷たい息を漏らす。


 マツカワらしきものが言った。


「干からびて死ね」


 冷房の風が、妙に強くなった。


終わり


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