1883年
一体なぜこうなったのか。
俺は今、とある農村の納屋に閉じ込められている。
どこかを確認しようにも視界が霞み、両手が背後の柱に縛り付けられている。
目の前には俺を縛った二人の大人達がニタニタと笑いながら俺を見ていた。
「相棒、コイツが例の子供ですか?」
「あぁ。四年間行方不明だった大貴族の娘さんのカルーナだ」
「全く。なぜこんな所にいたんだ…。早く警察が来てくれないかのう」
「まぁ待て。警察が早く来ても困る。なんせ今からやる事があるからな」
そう言って一人の男は納屋から出て行く。
「ヒッヒッヒ。楽しみに待ってろよ」
しばらくして納屋から出て行った男が帰って来た。
彼は俺の前に座ると、蓋を被せた鍋を目の前に置く。
「よし。相棒、縄を解いてやれ」
「任せろ!」
するともう一人の男は瞬く間に縄を解き、得意げに一人で鼻を高くした。
「少年、事情を聴く前にまずはこれを食べなさい」
目の前に座っている男が鍋の蓋を開けると、中からもはや匂いだけで美味しいと分かるような匂いが漂って来た。
鍋の中にはシチューがこれでもかというほど満杯に詰まっている。
「まずはこれを食べな…」
「ありがとうございます!!」
俺はついに食欲が我慢出来ず、傍らに置いてあったスプーンを片手にハムスターのように食べ始めた。
これには大人達も驚いたようで「お腹いっぱいに食べなさい」と優しく言う。
1883年12月。
もう世界は俺が知っていた世界と変わっていた。
俺の祖国であるワ国は依然として東洋の大国の地位を維持しているが、北の国境線では不穏な動きがある。
北極の列強“フィランチ帝国”。
約ニ十年前に内戦によって“フィランチ連邦”と分離してもなお、影響は微々たるものであり国土並びに国力は強大なままだった。
シチューの入っている鍋が空になった頃に警察が到着した。
大人達は空になった鍋を持ち上げて「またね」と言って裏口からさっさと退散して行く。
それと入れ違うようにして警察が納屋へと入って来た。
「ここにあの少年が!!」
警察達の先頭に立っているここのまだ二十代後半ほどの若い村長が自慢気に話す。
彼の舌は油を塗ったように潤滑で俺が捕まるまでの事の顛末を長々と喋り出した。
だいたいまとめると、
「カルーナは近くの森林で見たこともない材質の布に包まれた状態で眠っていた。それを俺が発見した」
という感じの事を言っていた。
…果たしてこの若い村長が見つけたのかはいささか疑問が残る所だが、誰が発見したかなんて今はどうでもいい。
それよりも警察達だ。
警察官の先頭に立っている革のコートを着ている、軍人の岡上さんがいた。いかにも居酒屋の大将でもやっていそうな四十代の大人しそうな人だが、根は攻撃的な人である。
彼は最近自慢になりつつある小さな氷柱の集合体のような髭を気にする触りながら俺を見つめていた。
「あの、報酬は…」
若い村長は割り込むようにして荒い息遣いをしながら言う。
「そうだな。鉄森、後は頼めるか?」
「了解です」
鉄森は新人警察官であり、愛嬌のある笑顔から彼らのいる警察署では一種のマスコットとして可愛がられていた。
鉄森は村長を連れて納屋を出た。
岡上は邪魔者が居なくなった事を確認すると、床にべったりと座っている俺の前に騎士のように跪いた。
「実に四年間、東西南北あなたのお父上、アサガオ様の命を受けて探しました」
「父さん!?そんな、先の事件で生き延びて…。良かった」
俺は両目からハラハラと涙が溢れる。
「…その事件について、重要参考人としてついてきて欲しいのですが」
俺はコクリと静かに頷いた。
俺達はすぐに納屋を出た。
納屋のすぐ外には馬車が待機している。
その馬車に乗り込んだ。全員が乗ると馬車はさっさと村を後にして街へと向かって行く。
向かう街の名は十劉街。ワ国の軍港である十劉湾を有するいわば軍港の街である。
十劉街に、到着した。
街中の至る所に露店が展開されており、平日からすでに祭りのようなどんちゃん騒ぎだ。
この中を馬車が通るのは普通であれば至難の業であり、馬車を降りるのが賢明だろう。
だが、今回は掛け声一つで彼らは道を空けた。
いつもであれば珍しい光景である。
これには馬車を運転する人、御者もびっくりしたように「珍しか珍しか」と言った。
馬車は十劉警察署の目の前に止まった。
この警察署はレンガ造りの二階建ての建物であり、中庭を囲むようにして長方形のような形をしている。
俺は馬車から降りる際に、バレないように頭からコートを被せられ、コソコソと警察署の中へと入って行った。
そのまま応接間に案内された。
応接間にはすでに岡上とここの警察署長がすでに席に座っていた。
「ここでならある程度は大丈夫でしょう」
警察署長が言う。
岡上は窓の外から見える中庭を見つめながら頷いた。
俺も外を見てみると、中庭には大きさが並の馬よりも一層大きな軍馬がズラリと並べられ、軍馬は中庭の雑草を殲滅せんとばかりにムシャムシャと食べている。
警察署の屋上にはあの軍馬の持ち主達である兵士が新式のボルトアクションライフルを握り締めていた。
「あれは第一騎兵中隊ですな」
兵士達を見つめている中、岡上が言った。
岡上は陸軍大佐である。が、別に自分の部隊を持っているわけでは無い。
彼は情報将校である。
「岡上大佐。いくら準備が万全であっても、敵はそれよりも上手の可能性がありますぞ」
「そうだな。…カルーナ、単刀直入に聞く。あそこで何があった?」
「それはーーー」
ーーーーーーーーーーーーーー
「なるほど。そんな事が…」
警察署長は信じられないような顔をして口を手で覆い隠した。
岡上も何とも言えない苦い顔をしながら下にうつむいている。
「異世界を、見てきたのか…」
しばらくお通夜のような雰囲気からやっと開いた二言はそれである。
しかし、またもや彼らは黙り込む。
「父さんは何処にいるんですか?」
俺は思い切って言った。
すると岡上は困ったような顔をしながらも話し始めた。
「アサガオ博士は何事も無かったかのように研究所に通い詰めているな…」
岡上は確認するように警察署長の顔を覗き込む。
警察署長はコクリと頷いた。
話は、続く。
「我々側の認識だとあの事件はフィランチ帝国の特殊部隊があの屋敷と村を占拠。偶然居合わせたアサガオ氏はその村の中心にある屋敷の中で籠城している中、カルーナ様を担ぎ上げた例の署長とその一派が突入。しかし全滅。だが隙が生まれ、その間にアサガオ氏が脱出。その後は第一師団に報告し、第一師団が事を鎮圧した。…以上だ」
岡上は言い終えると席に深く座り込み、深いため息をついた。
ーーーカルーナの話ではアサガオ博士は異常なほどの筋力を手に入れている。…人か化ける魔物か、どちらだろうな。
そして更に頭を抱えたくなるような事をカルーナは言った。
「父さんに会いたい」
なるほど。その気持ちは痛いほど分かる。だが、先の話を聞く限り、合わせるわけにはいかない。
なぜならこのカルーナ捜索の命令を下しているのはアサガオ博士だからだ。
父親だから。
それで説明はつくが、仮に人で無かったら…。
そう思っただけで背筋が凍る。
恐らく警察署長も同じ事を考えているはずだ。
「すまんが、今は無理だな…」
岡上がそう言うとカルーナは分かりきっていたかのように無言で頷いた。
「カルーナ、一旦休んでおけ。すまんな。無理をさせて」
カルーナは相変わらず無愛想に無言で首を小さく縦に振る。
この警察署の事はもちろん警察署長が最も詳しい。
間もなくカルーナは警察署長と共に部屋を後にした。
それと入れ違うようにして少なくとも二メートルはある大柄の男が入って来た。
岡上はその人を見るなりすぐに椅子から立ち上がり、敬礼をする。
「よいよい。別に親友の敬礼なんて公的な場で十分だ」
「それですと下への示しが付きませんぞ?」
「ハッハッハ。あいにく私の部下は精鋭揃いなんで心配ないさ!」
この愉快な男は陸軍大将羽鶴一馬である。
羽鶴は髪を常に丸刈りにしているが、髭だけは一切剃らず、密林のツタのように伸び、今や腰に到達しそうなほど伸びてしまっている。
「それにしても、こんな時期にカルーナ少年が現れたのは神の導きか?」
「本人にとって不幸ですな…」
「そうだな…。ところで、例の物だ。持っておけ」
羽鶴はそう言って一冊の本を岡上に渡す。
本は「日記」とだけ表紙に書かれたメモ帳のようなものだった。
「これが、例の」
「そうだ。例の警察署長の日記だ。…分かっているとは思うがここの警察署長のじゃないからな?」
「ハッハッハ。もう少し笑えることを言ってくれ」
「あいにく笑わせるのは苦手でな」
羽鶴は「ともかく渡すものは渡した」と、満足そうな顔で部屋を出て行った。
羽鶴がいなくなると岡上はすぐさま日記を開く。
日記には警察署長のミミズのように乱雑に文字が書き込まれていた。
岡上は目を右に左に動かし必死に眺める。
最初の頃は着任後の多忙さと警察署について延々と書かれていたが、ある日を境に不思議なことを書いていた。
ーーー異世界がある。
その日を境に人が変わったように異世界研究について書かれている。なぜ異世界があるなどと突然書き出したのかは不明だった。
しかし、一つ分かったことがある。
「この世界に、未曾有の危機が迫っている」
ーーーーーーーーーーーーーー
同時刻。農村のカルーナを閉じ込めていた納屋。
村長は一人、カルーナ達が居なくなった後、異様な感じがしていた。
「私がカルーナを見つけました!!」
あんなくだらない嘘をつかなければこんな事にはならなかっただろうと深く後悔しながらカルーナが縛られていた柱をまじまじと見つめる。
柱の根元にはカルーナを縛っていたであろう縄が落ちていた。
ーーー誰が解いたんだ?
この疑問こそ彼がここに来た理由だった。
縄が解けている事自体、警察と話している時点で既にわかっていた。
なのに当時の自分は全く気にも留めず、喋り続けていた。
「愚かだ…。村長として…」
「そうだ。愚かな判断だった」
振り返ると二人の男がニコニコと不気味に笑いながら立っていた。
村長は最初見た時には分からなかった彼らはカルーナの糸を解き、シチューを提供した人達である。
「誰だ。貴様ら、村では見ないな」
「ヒッヒッヒ。旅の者ですから。ところで、先の馬車の一行はどこに行ったのですか?」
「なぜ聞く?」
「あれほど警察直轄の馬車が通っているのを見るのはなにぶん初めてのことですからな」
「…確かに、そうだな」
村長は懐からリボルバーを取り出しながら後ろに振り返る。
そして銃口を彼らに向けた。
「これは、なんの真似だ?」
「あいにくこちとら村長やらせてもらっとるから最低限村人の安全は守らにゃいかんぜよ」
「一対二で勝機があるとでも?」
「あるんだな。これが」
次の瞬間、二人組はすぐに拳銃を取り出そうとしたが、村長はリボルバーの引き金を引くわけでもなく、唐突に飛び掛かった。
二人組は納屋の床に倒され、取り出そうとしていた拳銃は手からスッと抜けて納屋の端へと飛んで行った。
「これが俺の勝つ算段よ。さて、色々と喋ってもらうからな」
村長は自慢気な笑みを浮かべて堂々たる仁王立ちで二人を見下ろす。
「ヒッヒッヒ。そうですか。相棒、コイツは最後の手段を使う時かも知れませんぜ」
「そうだな相棒。まさに、今この瞬間だ…!!」
「何を負け惜しみで言ってんだ。そら。とっとと立」
まだ村長が言い終わってもいない頃、突然床の隙間という隙間から黄緑の光が溢れ出した。
ーーー何だこれは!?
納屋から逃げ出そうとしたが時すでに遅く、納屋は大爆発を起こし、天井は紙切れのように宙を舞った。
木っ端微塵となった納屋に村人達は何事かと駆け寄り、懸命に消火活動を行った。
しかし、彼らはついに生存者を見つけることは無かった。




