脱出と刀とマッチョ
しばらく待ったが、ついに無線機からは何の返答も無かった。
挙げ句、東の空から徐々に太陽が顔を出しつつある。
屍達の行動は活発化し、このショッピングモールに群がる一方、俺達が扉に作った即席のバリケードは悲鳴を上げ、今にもはち切れそうであった。
井伊と俺はもう出来る限りのことはした。
今はただ神に祈りながら駐車場に大の字で横たわっている。
「そろそろだな」
井伊はそう言って起き上がり、信号弾を装填した拳銃をオレンジ色の空に掲げた。
パーン
黄色の煙を引きながら信号弾は空高く上がった。
すると、すぐに東京湾方面から今度は赤色の煙が空に上がった。
応答がきたのだ。
井伊と俺はすぐに東京湾を目を皿にして見つめる。
井伊曰く、東京湾には一隻のネズミ色の艦がただ一隻、ジッと鎮座していた。
艦首には白色で「343」と描かれている。
「まさか、あれは“護衛艦のかぜ”…?」
井伊が驚いたように言った。
俺にはさっぱりのかぜとやらは見えないが、井伊は「助かったぞ!!」と興奮気味に飛び跳ねる。
確かに護衛艦のかぜから白いヘリコプターが一機、こちらに向かって来ていた。
「カルーナ、あともう一息だ。あともう一息で着くぞ!」
今まで無言だった声も嬉しそうに叫んだ。
だが、ヘリコプターが来るより先にバリケードが壊れそうである。
井伊はウキウキで立ち上がり、街中を見渡す。
すると、そう遠くない所に一台のバスが扉を開けたまま道のど真ん中に放棄されていた。
「アレだ。アレを使おう!」
井伊はそう言ってバッグの中を漁り始めた。
中から取り出したのはクシャクシャに丸められたパラシュートだった。
「万が一に備えて持っといて良かったな〜」
「…使えるんですか?」
俺がそう言うと、井伊の顔は一瞬青ざめたが、すぐに開き直り、「大丈夫さ!!」と親指を立てて言った。
善は急げ、だ。
すぐに井伊はフェンスを蹴破り、飛ぶための場所を確保する。
あとはどうやって二人でパラシュートを使うかだが、そのまま二人で使えば怪我をする事は間違えない。
そこが最大の問題だ。
「あっ」
井伊は地面に散乱する紐とハンガーを見つけた。
これさえあればこことバスに紐を結び、あとはハンガーで紐を滑れば二人ともバスに辿り着ける。
井伊はさっそくフェンスに紐を結び付けようと、腕をフェンスの外に出した。
しかし、それを待っていたかのように壁に張り付いていた屍が飛び上がって現れた。
あまりにも唐突だったため、銃を構える隙もなく井伊は飛び上がって上から降ってくるラグビー選手でもやっていそうな屈強なガタイの屍と取っ組み合いを始めた。
屍は身体についている筋肉の割に顔は痩せ、短い髭がまばらに生えた口をニンマリとさせながら不気味な笑みを浮かべている。
背筋に寒気が走る。
その一瞬、力が抜けた瞬間に、屍は思いっ切り井伊を押し飛ばした。
井伊の身体は宙に浮き、駐車場の反対側のフェンスまで吹き飛ばされた。
「ヴオオオオ!!」
屍は勝ち誇ったような咆哮を上げる。
そして、俺には目もくれず、一直線に扉のバリケードへと向かう。
ーーーまさか!!
そう思ったときにはすでに遅く、その屍のタックルだけでバリケードは波が子供が作った砂の城を壊すかのように容易く、砕け散った。
ぽっかりと空いた扉からはゆっくりと一匹、また一匹とノロノロ出て来る。
井伊はすぐにアサルトライフルを構えた。
すると、またあの屈強なガタイの屍が井伊に目掛けて突っ込んでくる。
サプレッサー付きのアサルトライフルは隣にいてもほとんど銃声が聞こえ無いほど優秀だったが、こんな状況だと一ミリも役に立たない。
挙げ句、弾を雨のように浴びてもあの屍には焼け石に水で何事も無かったかのように直進する。
ついにはねられた井伊はまた遠くに吹き飛ばされる。
しかし、今度はフェンスを突き破り、そのまま下に落下して、見えなくなった。
ちょうどいい好敵手を失った屍は今度は俺の方を見る。
もちろん逃げ出そうとしたが、腰が抜けて座り込んでしまった。
そもそも、この陸の孤島のような場所にとっくに逃げ道なんて無い。
他の屍達もゆっくりと俺に向かって来る。
普通はこんな時に走馬灯が見えるのだろうが、やはり、見えない。
ーーー俺には昔の記憶が、無い。
屍達は徐々に距離を縮めて来る。
その様子をあのやけに体力のある屍がニタニタと気持ち悪い顔をして眺めていた。
最初に辿り着いた一匹が軽く俺の両肩に手を置き、まるで俺を珍しい動物かのように眺める。
そして、ついに口を開き、俺の首元にゆっくりと顔を近付けた。
振り払おうとすれば、振り払えるかも知れない。
けれども、もはや俺にそんな事をする勇気も体力も、打ち砕かれた。
文字通りまわりに身を任せていた。
カンッ!
何かが突き刺さったような音がした。
それと同時に辺りが一瞬で真っ白な空間になる。
床も空も、全てが真っ白の世界。
さっきまで目の前にまで迫っていた屍達は影も形もない。
俺一人だけだ。
俺は特に感動も疑問も持たず、ここが天国か地獄の前門かと思っていた。
立ち上がってしばらくこの空間を歩き回った。
「おい坊主。スマンな」
突然、目の前に服がはち切れそうなほど筋肉をもつ大男が立っていた。
しかも、彼の顔が、どこかで見覚えがある顔だ。
「ごめんよ。怖い思いをさせたな…」
大男はそう言って頭を下げる。
「本当だよ。全く!」
今度は背後から女性が現れた。
彼女も見覚えがある。
「お前も大概だろ。もう少し抵抗しろよ!」
「何!?その無駄に鍛え上げた筋肉をやすやすと奴らに明け渡しやがって!!」
「まさか!!吾輩の人生を象徴する筋肉を敵に明け渡した!?そんな事はあり得ない。俺も抵抗して筋肉を駄目にさせたわ!!」
そう言って男は大笑いをした。
女性は呆れたように頭を抱えた。
「あっ」
俺は彼らがどこで会ったのか、思い出した。
見覚えがあるも何も、つい先ほどまで屋上にいた屍達だ。
男は井伊を吹き飛ばしたガタイのいい屍、女性は俺に近づいて来ていた屍達の一匹だ。
確かに思い出してみればだいぶ変わってはいるが、同じ顔だった。
「ともかく、少年。済まなかった」
男は再び頭を下げた。
「あれは俺達も本意じゃない。だから抵抗している」
「抵抗?」
「あぁ。俺達もあんな形になっても意識と言っていいのか、魂と言っていいのか、それは残ってるんだ。太陽が昇っている間限定だけどな。…そもそもあれは俺達の身体だ。足を遅くさせるぐらいはやってるぞ!」
「あんたのあのスピードで足が遅いとか説得力あるの?」
「俺の人生を象徴する弾けんばかりの筋肉があるから速いのさ!」
「俺も抵抗して筋肉を駄目にさせたわ〜って、言ってなかった?」
「…誠に遺憾です」
パッキン
ガラスが割れたような音ともに真っ白な空に墨のような黒いヒビが入る。
「そろそろ時間か…」
男の人はそう言って俺の後ろを指差した。
振り返ると、そこには一本の刀が突き刺さっている。
「あの刀は、一体…」
「どうやらお前さんのらしいぞ」
男は軽く俺の背中を押しながら言った。
「胸を張りながら歩け。…振り返るなよ」
「え、あなた達は?」
「変な心配するな。俺達はアッチに戻ればまた敵同士だ。ここで情をかけるな」
だが、まだ少年だった俺は足を踏み出そうとしては引っ込め、再び背後にいる二人を見つめる。
二人はニッコリ笑っていながら、どこか悲しそうな顔をしていた。
俺はふと二人の手を見た。
彼らの左手の薬指には白色の指輪を着けていた。
ーーー胸を張りながら歩け。
俺は言われた通りに歩いた。
若干猫背だった姿勢がスッとなり、地面との距離がまた少し広がった。
刀まで、まだ距離はある。
二人はカルーナの背中を見ながらお互いの手を固く握っていた。
「それにしてもあなたらしい助言ね。胸を張りながら歩けなんて」
「別にこんな時くらい格好つけていいだろ!?」
「そうだね。ダメかな」
「じゃあいつ格好つけんだよ!?」
男はニッコリと笑いながら彼女を見つめる。
彼女も恥ずかしそうに笑っていた。
「あの〜、お二人さんいいところにすみませんね…。最後に一仕事しませんか?」
彼らの背後にまさに仕事一筋のようなサラリーマン風の男性が立っていた。
男性は気まずそうに苦笑いをしている。
だが、男は躊躇無く「一仕事?」と聞いた。
「そうですよ。あの子供達を逃さないと」
「…そうだな。だが、俺達の身体は…」
「それに関してはあの子供のおかげで、今まさにこの別空間で動けています」
「この空間はまだどころか永遠に分からなそうに無いが、確かに、現実と同じ感じなら行けるかもしれないな…。」
「やってみる価値は、ありそうじゃないですか?」
「十分だ」
そうして二人は固く握手をした。
しかし、彼女は不満そうな顔で二人を見つめていた。
男性はそれに気付き、「どうかしましたか?」と流暢な口調で言う。
「たった三人でどうやって数に勝るアイツらを止めるの?」
「三人に見えますか?」
男性の背後からゾロゾロと他の人達が出て来る。
この人達は全員、屋上にいた屍達だった。
ただ、姿だけは屍になる前の姿である。
「この数十人でやるんですよ」
「それで、数が居てもまた初期の鎮圧部隊の二の舞だよ?」
「フフッ。我々はもう屍です。それに、我々には知能がある」
「…結局、方法は?」
男性は興奮気味に言った。
「肩組のやり方、知ってますか?」
俺はついに刀を引き抜いた。
すると、天井にあった黒いヒビが瞬く間に広がり、真っ白だった天井は墨のように黒くなった。
しばらくして、真っ暗だった空間に色彩が現れた。
その色彩はまるで焦点が合っていないときのようにぼんやりとしながらも徐々に広がっていた。
「カルーナ、大丈夫か?」
突然、頭に井伊の声が響いた。
目の前の景色がはっきりと見える。
そこは、屋上だった。
俺はすぐに飛び起きて辺りを見回す。
隣には井伊が心配そうな眼差しで俺を見ていた。
井伊は俺が起き上がるとすぐに肩を掴んで無理矢理座らせた。
「まだ動いちゃダメだ。君も怪我がある。それと、アレは何が起きてるんだ?」
井伊が見つめる先には先ほどまで白い空間で話していた屍達が手を繋ぎ、階段から新しく登ってくる屍達を壁のように食い止めていた。
「あの人達は…」
俺がそう言った途端、ヘリコプターのプロペラ音がその声を掻き消した。
音のした方向を見上げると、もう目と鼻の先までヘリコプターは迫っていた。
ヘリコプターは屋上の真上につくと、俺達に向かってロープを下ろした。
それを見た井伊はすぐに座っていた俺を抱えてロープの近くに向かう。
キイイイイン
突然、金属が引きずられるような音がした。
気が付くと、俺の手にはあの空間で引き抜いた刀が握られていた。
「おいおい何だその刀は?」
井伊が走りながら聞いてくる。
「分からないですね…」
「ヘリにそんな物騒な物は入れないで欲しいが、仕方無いな」
そんな事を話していると、ロープが垂らされている地点に着いた。
井伊はすぐに慣れた手つきでロープを自身と俺に縛り付ける。
「上げるぞ!」
エンジン音の合間からヘリの操縦士の声がした。
そしてすぐにロープは引き上げられ、両足が宙に浮く。
二人を回収したヘリはその後、逃げるように屋上から離れた。
「助かったな」
ロープが引き上げられ、ヘリの中に入った後に井伊はそう言った。
俺は静かに頷く。
ヘリは東京湾にポツンと浮かぶ護衛艦“のかぜ”へと向かっている。
俺の身体に不思議な感覚が過った。
ずっと黙っている声の感情だろうか。
氷のように冷ややかな気持ちが俺にも伝わってくる。
ーーーコイツは一体何者何だ?
そう思いながらもヘリは“のかぜ”に向かっていた。




