第12章 追跡馬券生活 20
「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。投資馬券と底辺の仕事をこなすサバイバルの日々を綴ってゆく」
3 シンクロの行方
その7
老女は静かに頭を下げた。笠浦が訪ねてた瞬間に老女は彼が、警察関係の人間だと察したようだ。
「本当に申し訳もございません。人様に迷惑ばかりかけて……あの子は本当に……」
笠浦には70過ぎの老人が、それより5つも上の姉からしたら「あの子」という表現になるのがなんだか背中の手の届かないところがかゆくなるような、いたたまれないような、そんな気がするのだった。特にその弟が誘拐殺人の犯人なのだからなお更なのかもしれないが。
「まあまあ、何もそんなにご自分を責めることはもう……」
いきなりやってきた刑事に対して頭をこすりつけるような土下座をされるのは心外だったが、それを強制的に止めさせることは彼女の気持ちを崩壊させてしまうような気もして、笠浦はしばらく自分も頭を下げたまま、じっと押しだまった。
「どこに行ったもんだか。全くもうアタシにはさっぱり……」
まあそれはそうだろう。彼女が行先を知っていたなら、とうに当麻重則は警察にお縄になり、刑務所に逆戻りしていることだろう。
「ええ。そのことは前にやってきてる警察の仲間からすでに聞いていますのでいいんですよ」
「へえ……」ようやく老婆は頭を上げて笠浦の顔を見つめた。その顔は、深いしわに刻まれていた。
「今日、ここに来たのはですね、ちょおとお聞きしたいことが。その……弟さんがN刑務所に収監されていた頃ですね、なんかこう、幸福そうなというか、明るい兆しを見せたことはありませんでしたか?」
「はあ……。なかなか仮釈放はもらえなくて、いつも暗い顔ばかりで……俺、このままここで死ぬんだって……よく。ああ、そういえば何年か前にずいぶん明るい顔をしてた時があったかしらねえ。妙にうれしそうな、でもそれもつかの間、またすぐに暗い顔に」
「それは5年前のことではないですか?」
「よく覚えとりませんけど。確かそんなくらいかねえ。でもねえ……実をいうともう、弟はちょっとこの辺が、おかしくなっちゃっててねえ」
老婆はそう言いながら右手の人差し指で自分の側頭部をつついた。
「アタシよりもあの子の方が、記憶なんてかなり曖昧だから……なんとも」
「そうですか。わかりました。ではもしも、重則さんから連絡がありましたら、ここに」
笠浦は自分の携帯の番号をメモ帳に大きな字で書いて、破いて渡した。思わず、昇を殺した犯人を「さん」付けで呼んだことに、自分でびっくりしながら……もちろん、かつての親友を殺されたということを、この老婆に言うつもりはないが。
「ええ。必ず、必ず連絡いたします」そう言って老婆は、またまた深く頭を下げた。
小さな家を出るともうすっかり秋の景色が広がっていた。家のすぐ後ろに紅葉の山々が燃えさかっていた。
広葉樹林というやつは何故、冬を迎える前に真っ赤に燃え上がるのだろうか。人の命も似たようなものかも知れない。人生の冬を迎える前に、その命は真っ赤に燃えさかるのだ。狂おしいほどに。
いったい、こんな殺伐とした自分の心にも、燃えさかるものがまだどこかに残っているというのだろうか……あり得ない。俺にはもう男であれ女であれ、友達だろうが、真っ赤に心を燃やして追い求めるものなんか有りはしない……そんなことを考えながら、笠浦はバス停で帰りのバスを待った。夕暮れ時の気温は一桁あるのかどうかも怪しいほどに冷え切っていた。
「ちょっと付き合って」
優香からの連絡に、狂死狼は誘われるままに待ち合わせた。同棲相手の刑事、草野の殺人計画を打ち明けられた翌日のことだ。
向かった先は動物管理センターだった。
多くの保護猫がケージの中に入れられ、悲しげな声で鳴いていた。飼い主に捨てられた猫や犬たちの仮の保管所だ。期限が来たら殺処分されてしまう運命にある。
狂死狼には、とてもいたたまれない場所にしか感じられなかった。
「なんだよ、いったい?」
「どうしてもここで、仔猫を探して保護したいと思ってて。ほら、わたしとあなたの因縁の動物だし。あいつがいなくなったら……一人で生きるためにどうしても欲しいの」
狂死狼は、どうしようもなく殺伐とした気持ちが込み上げてきて、まともにゲージの中の保護猫を観ることができそうになかった。
続く




