第12章 追跡馬券生活 18
「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。投資馬券と底辺の仕事をこなすサバイバルの日々を綴ってゆく」
3 シンクロの行方
その5
友永は競馬に興味はないようだった。笠浦の誘いには乗ってこなかった。そのくせ馬娘とかいうのには夢中らしい。典型的なアニメオタクだ。京都のアニメ制作会社が襲われた事件のせいで、彼は死ぬほど犯人を憎み、刑事になりたいと熱望したという。どんな信条やたくらみであれ、刑事の深刻な人手不足を補ってくれるのはありがたい。
笠浦はアニメには全く関心がなかった。子供の頃、ほとんどテレビを観る機会もなく過ごしたせいであろう。テレビが家に無かった訳ではない。古ぼけた小さなブラウン管のテレビはあったが電気代のことを考えると、よほどのことがない限りスイッチを入れることはなかった。彼は学校の図書室で借りた本を読むのが常日頃の楽しみだった。
そんな訳でS競馬場へ、午後から一人で出向き、スプリンターズステークスまで遊んだが戦果はさっぱりだ。妙に人気薄がぶっ飛んでくるレースばかり続いたせいで、およそ半月分の給料を溶かしてしまった。今月の養育費を払えるかどうかが怪しい。また消費者金融の世話になるしかないだろう。そんなことを考えながら競馬場前のオケラ街道を歩くのだった。
笠浦は競馬で負けたことが悔しいとか金が惜しいなどとは決して思わなかった。熱くなってレースを楽しんだ結果だ。それを悔やんだり、頭を抱えるのは下の下だ。だったらやらなければいい。勝つ方が稀なのだから。我ながらサバサバしたものだと思った。
とはいっても気分が良い訳もない。もやもやした気分を酒で紛らすには時間も早すぎる。
「あそこに行ってみるか」笠浦が考えたのは、せっかく仮釈放となったのにどこぞへと飛んだ当麻の父親がしばらく厄介になっていた、高齢の実の姉、吉田絹代の家だ。
これまで、杉田の事件とは関係ないだろうということと、どうにも足を踏み入れるには抵抗がある例の昇の事件を今さらかき回したくないという思いから、訪ねる勇気が出なかったのだ。
何も関係がないならそれでいい。競馬に負けてオケラになった今なら過去を気にせずに落ち着いて振る舞える。まあおかしな理屈だが、今こそ探っておくべきだと考えた。
路面電車とバスを使って笠浦はS市南区の山深い住宅地の奥へと足を踏み入れた。
優香の腹は目立って大きくなっていた。7ヵ月になるという。2年ぶりに見る彼女の姿はすっかり所帯じみていて、かつての魅力的な唇や胸のあたりもややたるみかけていてお世辞にも奇麗だとはいいがたかった。それでも一度は愛した女だ。二人だけの因縁の事情もある。懐かしさだけではない感慨が狂死狼の胸を抉った。思わず抱きしめたい欲求に駆られたが、それは我慢した。
メールが来て2時間後に寝入ったアリサとマミの姿を見届けて、夜中に優香に会いに来た。人気のない河川敷の上だった。優香の妊娠報告を聞いて狂死狼は応えた。
「おめでとう! 良かったなあ。実は俺も娘が出来てさ。まだ1か月なんだ」
優香は驚いた顔を一瞬赤らめたが、そのあとすぐにその色を曇らせた。
「へえー。おめでとう。すごいね。よく決心したね」
「あーいや、もう絶対産むって彼女がさ……でもそっちこそ、大丈夫なのか?」
「うん。えっと、大丈夫じゃないからさ。きっとあいつに……たぶん殺される」
「はあ? 何言ってんだよ。そんなのあるわけない」
狂死狼が覗き込むと、優香の顔にはアザらしきモノがうかがえた。
「どうしたんだよ。その顔……まさか」
狂死狼の問いには答えず優香は、恐怖と怯えと苦しみと笑顔と狂気といった様々な心情を混ぜたような複雑な表情をたたえて言った。
「あいつを殺してくれない? ねえお願いだから」
狂死狼は言葉に詰まった。
続く
ここまでのストーリーの流れをここで簡単に整理します。
1,笠浦は刑事だ。狂四郎のブログを見ていて作者が本当に殺人を犯したのではないかと疑っていた。離婚して一人暮らしのぐうたらな生活の中でくすぶっている。相棒の杉田と適当な日々を過ごしていた。
子供の頃、昇という友達が誘拐され殺されたのを自分のせいだと責めている。
2,杉田正志は新人の刑事だ。幼い頃に父親杉田潤造は正義感が強いせいでヤクザに刺されて死んでいる。その反動で一度はグレたが笠浦に勧められて刑事となる。今どきの割り切った若者だった。ある非番の夜、同窓生との飲み会の後、河川敷で何者かに背中を刺され、殺される。傍らには仔猫の死骸があり、犯行現場は狂死狼がブログの中で起こした事件と酷似していた。
3,笠浦は新しい相棒友永とともに杉田殺しの犯人を探る。杉田の部屋にあった名刺からオカマバーの当麻明広に会う。この男は昔、昇を誘拐して殺した犯人当麻重則の息子だった。当麻重則は現在仮釈放となったが、姉の家を出て行方をくらませている。
4,笠浦が犯行現場に行ってみると、安藤幹男を見つける。安藤は杉田の親父杉田潤造を、組長の命令で刺した男だ。ところが彼は、杉田正志に世話になったから手を合わせに来たのだと告げる。
5,狂死狼のブログは突然、やばいことになったと言い残して中断してしまう。
6,笠浦はN刑務所へと出向く。そこで安藤の親分だった井原源太と当麻重則がただならぬ仲であったことを知る。当麻重則が昇を誘拐し殺したのは実は、男女のもつれではなく、昇の父親との男と男、ただならぬ関係からだと気付く。関係ないはずの事件は刑務所という、いわば男同士の社交場の中で複雑な因縁を結びつけようとしていた。
7,1か月前、杉田が殺される前。狂死狼は突然、優香に呼び出される。
今回の章は笠浦刑事が主役で、神視点の三人称で書いてます。
これまでは狂死狼の一人称、狂死狼視点でのみ書いてきましたので、かなり違和感があると思います。あえて狂死狼を脇役にして、彼のブログを他視点で見ている設定なので、わかりにくいかもしれませんがご容赦のほどを。




