第12章 追跡馬券生活 17
「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。投資馬券と底辺の仕事をこなすサバイバルの日々を綴ってゆく」
3 シンクロの行方
その4
笠浦の生活は荒れていた。
もともと私生活に関してはだらしない方だったが、杉田の事件からはますます拍車がかかっていた。警察官舎の2階にある部屋の中は足の踏み場と言える部分がだんだんと狭まっていた。台所は汚れた食器と、数週間前からたまった残飯が山盛りだった。衣類はただ山積みにされ、洗濯済みと未洗濯の区別はつかなかった。
寝場所はかろうじて笠浦の体格に会う分の隙間を万年床に確保していた。
背広を壁にねじ込んだフックに掛けると、笠浦は倒れるように寝床に倒れ込んだ。疲れ切っていた。
スマホを取り出して画面を覗いた。元妻からの返信はなかった。娘の誕生日が近かった。どこか食事でもと書いて送ってあったのだが、既読が付いたまま放置だ。もう中学生になる娘とは3年会っていない。笠浦はふうっとため息をひとつついた。例のブログも更新されてはいなかった。それからニュースサイトをだらだらと眺めては眼をこすり、しばらくしてスマホを放り投げて寝返りをうった。
依然、杉田の事件の犯人は何ら手掛かりがないままだ。
もう一つの気がかりがあった。
半年前に仮出所したはずの当麻重則の行方がつかめていない。70にもなる老人がそううまく逃げおおせるはずもないのだが、誰か手引きをしている者がいるのかもしれない。身元引受人となっている実の姉の家を少しの荷物を持って出たままだった。もちろん見つかれば仮出所は取り消され、死ぬまで収監されることになるだろう。
昇の事件はもうとっくにカタが付いている。今更彼を見つけて裁きを、などとは考えていない。むしろ何十年も務めたのだから、余生を静か暮らしてもらいたいとさえ思っていた。今度の事件に彼が関係している可能性はまず有り得ないだろう。
だが、刑務官から聞いたおぞましい話が耳に残ってどうにも頭から離れない。
当麻重則が事件を起こしたのは、どうやら昇の母親との関係が原因ではなく、父親との関係にあるようなのだ。笠浦は思い出そうとしていた。「あんまり父さんのこと好きじゃないんだよな……」思いつめたような顔で昇が笠浦に言ったことがあった。
「あれはそうだ。確かに助けを求めてるような顔つきだった。あの頃あいつはいったい、どういう思いで父親と対峙していたのか……」今となってはその答えを知る由もない。
悶々とした気持ちで目をつぶればつぶるほど、眠気は消えて冴えてくる。
笠浦は寝床のわきに置いてある一升瓶を掴み取り、近くに転がっている紙コップに中の液体を注いだ。そのまま口に放り込んだ。いつ開けた酒なのかも分からないが、腐りはしないだろう。勝手にそう思い込んで飲み込んだ。苦い味しかしなかった。
「そうだ、今度のG1スプリンターズステークスでも買ってみるか。捜査がうまくいくかどうかの運試しだ。ああ、友永も誘ってみるか。あいつは競馬やるのかな?」
急に競馬のことに頭を切り替えた。杉田の事件からはすっかり遠ざかっていた。あさっては秋のG1がいよいよ開幕する日だ。
そう考えると、急に眠気が襲ってきた。いつものように部屋の明かりは点けっぱなしのままで笠浦は眠りに落ちた。
ひと月ほど前のことだった。
育児に疲れ、それ以上に金の工面に悩み疲れていた狂死狼のスマホに、メールの着信音が鳴った。
「ん?」彼は画面の着信先を見て飛び上がらんばかりに驚いた。
「誰?」アリサはマミのおむつを替えながら訊いた。
「あ、ああ。仕事の関係」そうごまかすのがやっとだった。
着信は優香からだった。アリサから見えない角度でそっと開いた。
「助けて……お願い」
彼女とはもう2年も連絡を取っていない。お互い連絡のないことが無事でいることだと思い込んでいた。
(今頃、いったいなんで……)
狂死狼は胸が高鳴るのを抑えることが出来なかった。
続く




