第12章 追跡馬券生活 10
「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。投資馬券と底辺の仕事をこなすサバイバルの日々を綴ってゆく」
2 追跡の始まり
その3
(スマホ画面続き)
こんな俺に、これほど幸せな日がやって来るとは……こんなことがあっていいのだろうか。
思えば、永く苦しい日々だった。もう5年にもなるのか。
俺は確かにあの日、あの男の背中を刺した。それは揺るぎない、消したくとも消しようもない真実だ。あの時、俺は何故あいつを、あいつの背中を刺したのだろうか……。
くだらない。実にくだらない。あの男への恨みが殺したいというほどだったのだろうか?
いや違う。違うと思う。
あの時、あいつが仔猫を踏みつぶした残虐なあの行為を許せなかったんだ。でなければ、まさか人の背中を刺すなんて……行動に移すことはなかっただろう。たかが仔猫一匹のせいで俺は踏み越えてはならない人道に反する道を突き進んだ。それが正しいとか間違っているとか、今さら議論しようが懺悔しようがしょうもないことだとも思う。
なんにしても人の命を奪った俺に新しい命が授かった。何とも皮肉なものだ。
運命なんていうものは誰にも分らない。
たとえば今、スーパーへ買い物に行こうか、やっぱりやめとこうか。
そんなちっぽけな判断ひとつで未来は大きく変わるかもしれないのだ。
そんな曖昧な、でも単純な、人生の崖っぷちであがいている自分をただ俯瞰して見ているというのが今の自分の正体なのだろう。
だとしても、それを今はただ受け入れたい。新しい命を大事に育みたい。
それは今の自分にとって真実だといえる。
続く
(スマホ画面終わり)
笠浦はスマホの字面を読み終えて吐き気を覚えた。
「何を言ってやがるこいつ。殺人者がそこまで偉そうにいえるものなのか? いつか罪が暴かれたとき、お前の娘は殺人者の娘になるんだぞ。いいのかそれで? それがどういうことなのかわかってんのか!」
無性にイライラした。杉田の命が危うい今、殺人者であろう人間の、産まれた子供の話などクソに思えた。
間もなく河川敷の現場についた。杉田は病院へ運ばれた後のようだ。警察官と早くも情報を嗅ぎつけたマスコミ連中でごった返していた。現場保持のために張られた黄色のビニールテープをかいくぐり、笠浦は杉田が倒れていた現場を注意深く見まわした。愕然となった。そこには、白と黒の毛色の生まれて間もない仔猫の死骸があった。
「これは?」
いぶかしむ笠浦に、そばにいた警察官が答えた。
「どうやら被害者はここで立ち小便をしていたようなんですよ。その時そばにいた仔猫を何らかの事情で踏み潰したようで。そこに何者かが、背後からひと突き……ていうのが、今のところの見解です」
「なんだと」笠浦は絶句した。
「被害者の杉田さんは自分の小便まみれで倒れてました」
「そうなのか……」
5年前の不可解なあの事件を思いだした。ちょうどこの現場とウリふたつだった。H道A市で起こったあの殺人事件と……正確には殺人未遂なのだろうか。いずれにしても犯人はまだ捕まっていない。
笠浦は久しぶりに自分の中の身体中の血が、ぐつぐつと煮えたぎるような感覚に浸っていた。
「いったい誰にやられた? まさか。まさかな。まさかあいつが……。あり得ない。どこにも接点がない。動機だってあるはずがない。いや、今幸せ絶頂の奴がこんな真似をするか? あり得ない……」
笠浦は熱い刑事の血がたぎるような、あり得ない不可解な事態をまざまざと見せつけられ、考えれば考えるほど頭の中が混乱してゆくのだった。
そしてこれは、間違いなく昇の亡霊が己に復讐を果たそうとしているのではないかとも考えるのだった。
続く




