第10章 果てしない旅路 (本章最終回)
「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。本格的な投資馬券と命を食いつなぐサバイバルの日々を綴ってゆく」
3 愚者の祈り
その5
「どうにか二人を助け出す方法はないんですか? このままだとどちらも精神、肉体、全部崩壊してしまうんじゃないのか」
俺は陳さんに食ってかかった。
「何度も言わせるな。それができるなら……いや、まあこうなったらやむを得んか……コイツを連れて……いや先ずはけがの治療だよな。よし、堂上がいる病院に運ぼう」
「俺は……警察沙汰はちょっと……」
「ああ、わかってるね、狂さんは帰っていいよ。彼が回復したら施術を……ねえ、侭侭お願いできるかい」
「仕方ないね。なんとかやってみるか」
寧音はようやく落ち着きを取り戻していたが、まだ肩で息をしていた。俺をすがるような眼で見たのが気になったが。陳さんと侭侭はバスルームからお湯を調達し、備え付けのタオルを引き裂いて山本の出血を止める応急手当を始めた。彼はそれに素直に従った。
俺は頭を下げたまま静かにドアを開けて外に出た。エレベータを待っているとホテルの従業員二人が慌てた様子で降りてきた。周りの宿泊客がフロントに連絡したのだろう。
ホテルを出て歩き出すとほどなく救急車のサイレンの音が聞こえてきた。近づいてきた救急車は俺の横を通り抜けたのだが、何気ないそぶりをしてやり過ごした。体のあちこちに飛び散った血が付着していたが、幸い幾何学模様のシャツを着ていたためか救急隊員に気づかれることはなかった。
部屋に戻ると出勤前の化粧をするアリサがいた。俺の姿を見ると、さほど大きくない目を全開にさせて何も言わずにぽろぽろと涙を流した。彼女は無言で着替えとお湯で濡らしたバスタオルを俺に押し付け、けがをしていないことを見届けると、激しいキスを求めて体をぶつけてきた。俺はアリサの身体を受け止め、抱きしめた。
「こんな時って、なんて言えばいいんだろ」
「なんも言わなくていいんだよ……」
震えるアリサを抱きしめながら、俺はなぜか血まみれの寧音の姿を思い出していた。
二週間が過ぎた。
山本は全身7か所の刺し傷だったが幸い内臓には達していなかったため、命には別条がないとのことだった。それでも緊急手術を受け、全治2か月の重傷。入院療養中だった。
俺はた時々様子を伺うために病院を訪ねた。山本にはもうあの時のように、自分を殺そうなどという気持ちはないようだったし、そのことにはなるべく触れないように当たり障りのない話をするように心がけた。もちろん言葉を交わすとそれは堂上氏の口調であり、やはり年季の入った重みのある言葉にしか聞こえなかった。同時におれは堂上氏の病室にも顔を出した。もとより言葉を交わせる状態ではなかったが、すでに意識があるのかないのかもわからなかった。ただ静かに息をしていた。芽衣子はそんな彼を悲しむでも憐れむでもなく、ただたんたんとその日を待ちわびているといった様子だった。
そして堂上は山本の回復を待てなかった。いよいよ最終段階となり、彼は手の施しようもない状態となった。
俺は知らせを受けて堂上の病室へと向かった。
すでに堂上の顔には白いものが被せられていた。放心したように椅子にうずくまる芽衣子の姿があった。
俺はただ手を合わせて静かに病室を後にした。
結局、彼らを元に戻す計画は堂上氏の死をもって消え去った。
俺はこの後山本の姿をした堂上氏がいったいどうなってしまうのか、陳さんを問い質さずにはいられなかった。
とある昼さがりの公園、陳さんはベンチでソフトクリームを舐めていた。
俺は隣に座り、サングラスの陳さんに話しかけた。周りには戯れる親子の姿がたくさんあった。
「堂上はこれからも山本の肉体を使って生きてゆくんでしょうかね。若さを謳歌して……それって幸せと言えるんでしょうか」
「うん。大丈夫だよ。彼らはもともと入れ替わったりなんかしてないから」
「え? それって、どういうことなんですか?」
「あの二人はね、お互いが入れ替わったって侭侭に信じ込まされてただけ。いわゆる催眠状態に陥っていただけなんだからさ」
「え? ええー。なにそれ」
「うちの侭侭はね、催眠術の権威なのよ。あんなことくらいドってことないのよ」
「なんだって。じゃあ、だましてたのか。あのふたりを!」
「いや、それは違うよ。彼らは伯父と甥という近親者だからこそ可能なことだったし、催眠術とはいえ、入れ替わった二人の間でそれぞれ何が起こったのかはそれこそ、中国4千年の神秘とでも言うべきことよ」
陳さんはいけしゃあしゃあと言ってのけた。
「じゃあこれからあの山本はいったい……」
「そのうち我に返ってさ、今回のことはいい思い出として記憶に残るんじゃないの。彼にとっても、また亡くなった堂上さんにとっても結果的には精神の向上を促すことになったんだし、めでたしめでたしてことでしょ」
「うへえ~。そんなのって……」
「そしてうちらは儲かった。それでいいじゃないの。人生なんてそんなもんさ」
「みなさ~ん。ここに詐欺師がいますよ~。誰か~捕まえて~」
俺はそう叫んでベンチを飛び出した。
陳さんはソフトクリームを口の周りに塗りたくり、ピエロみたいな顔をして慌てて何かを叫びながら俺を追いかけてきた。
終わり




