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逃亡馬券生活   作者: 狂死狼
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第10章 果てしない旅路 1

「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。本格的な投資馬券と命を食いつなぐサバイバルの日々を綴ってゆく」

1 眠れない日々



 その1



 間一髪だった。

 捜査員のまるで遠慮のない土足の靴音が平成ホテルの廊下にせまる中、俺は身の回りの最低限の荷物をバッグに詰めて、奴らに気づかれる前に窓から身を乗り出し、雨どいをつかんで身をよじるようにして地面に降り立った。2メートルほどの高さを飛び降りた衝撃で、ジンジンと鈍い痛みが足首に襲ってきたが、かまわず通りへと飛び出した。二人、見張り役の頭の悪そうな若いおまわりがあたりを見張っていた。「おい。待て」一人に見つかった。だがもちろん待つつもりはない。裏通りの住宅街を縫うように走り、小路をすり抜け、駄菓子屋と金物屋の間の狭い空間に身を投げ出して、なんとか頭の悪そうな警官はまくことができたようだ。

 通りに出てタクシーを拾った。

「お客さん、なんか逃走中とか?」

 50代のさえない感じのマスクで顔を覆った運転手が話しかけてきた。思わず俺は舌打ちをしたくなったが変に怪しまれるのもまずい、返事を返した。

「ああ、すいません。ちょっと借金返済を迫られてて。あ、タクシー代は大丈夫ですから」

 まんざら嘘でもなかった。野村が借金を返すためにまたやらかしたのが警察に追われる原因だった。寸借詐欺のようなことを友人知人や昔のつてを頼って繰り返したようだ。いつも共に行動していたから俺まで共犯者とうたがわれたようなのだ。

「ははあ、不景気だからね。みんな大変だ。新型コロナが収まらないと、にっちもさっちもいかんわなあ」

「ええ。そうですねえ」そういいながら俺はバッグの中を探り、マスクを見つけて取り出した。

「ああ、無理につけなくてもいいですよ。わたしはもうね、感染するなら感染しちまえって感覚でして。その方が保険金やら給付金やら休業補償、いろいろと都合がいいからね。もう予防なんかしてませんから。本当に変な世の中ですよねえ。たった1000人程度亡くなったくらいで国を挙げて大騒ぎ、そのために業界はかなりひどいことになってますよ。志村けんは本当に残念でしたけどもねえ」

「はあ。そうですよねえ」

 俺は適当に相槌をうってやり過ごした。マスクは面倒くさくなってバッグにしまい込んだ。まだ走って逃げたせいで息が上がってもいた。俺はもうすっかり新型コロナなんかどうでも良くなっていた。逃亡者の俺には給付金をいただくこともできやしない。何も恩恵など受けられないのだ。

さて……そんなことよりもこれからいったいどうするかだ。

野村と組んだことは完全に失敗だった。たまたまなのか、そもそもの予想方法、投資方法に大きな問題があったのか……まだ答えは出ないが、あれから3か月、苦戦が続いた。資金のほとんどを食いつぶしてしまった。

ふたりの損失は300万を超えていた。俺は去年の暮れから春までにプラスだった分を差し引いても約70万ほどの負けだ。奴はその3倍を超える。

ちょうど潮時だったともいえる。俺には仲間など必要ないし、傷の舐めあいや慰めあいなどまっぴらごめんだ。俺は奴の詐欺まがいの借金や窃盗事件になどには関与していないし、共犯者とみなされることは絶対に嫌だ。だけど捕まって取り調べを受けて、いくら関係ない、何も知らないといったところで信じてくれはしないだろう。それに触られたくない、痛いふところがあるのだ。あの秘密をこんなことで世間にさらされるなど、死んでも嫌だ。

K市に戻ることはもう二度とないだろう。野村が俺は一切関係ないと主張さえしてくれればちんけな事件だ。指名手配されることはないだろう。そう信じたい。心から奴を信用することはできないが、さすがの野村も何もメリットのないことで俺を貶めたりはしないだろうと踏んでいる。

運転手に隣町の無人駅で停まってもらった。

「じゃあ、気を付けてな。幸運を祈ってるよ」

桑原という名の運転手は妙に俺に馴れ馴れしかった。

「ありがとうございます。まあ何とかやっていきますよ」

「おれもさあ、色々やらかして逃げてきた口だから」

 桑原は俺の顔をじっと見て小さく手を振った。ひょっとしたら警察が踏み込んだあの木賃宿から逃げ出してきたところまで見ていたのだろうか。いや、だとしても俺を警察に売ろうなんて目じゃない。そんな気がした。彼が昔、何をやらかしたのかはわからないが相当やばいことに手を染めたのかもしれない。一種特有の犯罪者が持つ暗い目をしていた。俺もそうなのかもしれないが。


 その夜にO市についた。

 半年ぶりだった。

 なぜここにきたのだろうか。

 優香とはとうに連絡が途絶えていて、今頃どこでどうしているのか何もわからなかった。

 ただ海が見たかった。坂の上から見える海が見たかった。

 海は緑の波間に白い帆のようなしぶきをあげて荒れ狂っていた。道端ではごみ置き場がごみで散乱していてカラスが数羽、ごみを漁っていた。俺はカラスがつついていたトウキビの殻を思いきり蹴飛ばした。

 明日の朝ここを出よう。そう思った。

「ちょっとお、なにすんのよ」

 蹴とばしたトウキビの殻が女の背中に当たった。割と細身の髪の長い女だった。

「あ、す、すいません」

「ふざけないでよ。なんなの……」

 俺は女に近寄って深々と頭を下げた。

「吸いませんムシャクシャしてて、つい」

「あれ……あなた。狂さん」

「はあ……あなたは?」

「あたしよ、あたし。アリサ……」

「え……」

 思わず俺は声を失った。

 見た目ががらりと変わった30キロは痩せたアリサだった。



  続く


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