第10章 果てしない旅路 2
「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。本格的な投資馬券と命を食いつなぐサバイバルの日々を綴ってゆく」
1 眠れない日々
その2
「なんで君がここにいるんだ」
俺は痩せたアリサに怪訝な顔を見せていたと思う。なぜここに……キツネにつままれたような気分だ。
「……別に、いいじゃないのそんなこと。それよりさあ、せっかくこんなところで逢ったんだからさ、どっか連れてって。今暇だから。ね」
アリサは悪びれた風でもなく笑顔を見せて俺に寄り添ってきた。重量感を失った彼女はすっかり変貌を遂げてしまい、驚くほど色気があった。元を知っている俺にとっては好みのタイプというほどではなかったが、それでも充分に魅力的ではあった。
「あ、ああ。じゃあどこかでめしでも食うか」
あまりにぎやかな場所には行きたくなかった。去年の秋のこの町での騒動が頭をよぎる。今更あの極道者たちと接触したいとは思わなかった。すでに別々の道を歩んでいるのだ。もう俺は探偵事務所の人間でもない。
狭い横町の隅の古びた居酒屋を選んで俺たちは入った。
老夫婦らしき二人がカウンターの中からいらっしゃいと声をかけてきた。
ミイラ化したような大きな魚の干物が天井からぶら下がっていて、煙で黒ずんだような壁のあちこちに新聞の切り抜きが貼ってあり、天井付近に並んで貼ってあるラップでくるんだ色紙は地元球団の選手らしきサインがいくつも並んでいた。
客はまばらだ。カウンターに3人ほど。あとは4つあるテーブル席ひとつにふたり。狭い店内が広々と感じられた。俺たとアリサは空いているテーブル席に腰かけた。
「ビールふたつ」と言ってからアリサの顔を見た。いいよという意味でうなずいた。確かに痩せて小さくなった顔は整っているし、その割に出るところは出ている。過去を知らない男なら、いや、知っていたとしてもほっとかないくらいのレベルだ。だけど今の俺には飛びつきたいというような気持ちにはなれなかった。この町にいたことの不信感の方が勝っていた。
「そろそろ白状したら。どう?」 ジョッキを重ねて一口飲みほしたあと俺は切り出した。
「何を?」アリサはしらばっくれた。
「ここにいるってことは何か目的があってのことだろう」
「へへへ」
「どういうことなんだ」
「いや別に。頑張って痩せたから見せつけに来たんだよ」
「それはどうも。確かに頑張ったようだな。すごいと正直思うよ」
「ふふふ。そうでしょ」
「で?」
「でって……いわれても……」
「何かの縁でこんなところで逢えたけどさ、俺は明日にはここを出てくよ。どっか違う場所で居場所を探すよ」
「そうなの。ここにしばらく落ち着くんじゃないの」
「とんでもない。ここは忌まわしい場所だ。俺にとっては。でも、懐かしい場所でもある。逢うつもりはないが気になってる人もいる」
「……」
「未練だよな。なんでここに立ち寄りたかったのか、自分でもよくわからないよ」
お待ちどうさまとおかみさんが頼んだ刺身と焼き魚を運んできた。
それをつつきながら2杯目のビールを飲んだ。
「ついていくから。あんたがこの先どこに行こうとさ」
アリサはまっすぐに俺を見ていった。
「バカ言うなよ。俺には何にもない。この先もずっと、明日も未来もないんだ」
「わかってるよ」
「わかってるって……何を……わかって」
「見てほら。身軽になったからさ。重荷にはならないから。なんとなく傍にいるだけじゃダメかな?」
俺は言葉に詰まり、黙々とただ箸とジョッキを交互に動かした。
脂がのった巨大なホッケは妙にしょっぱかった。
町はずれの海沿いのホテルの部屋で俺は起き上がった。喉が渇いてしょうがなかった。
アリサが手を伸ばして抱きついてきた。
「ごめん。ほんとのことを言うと、平成ホテルから飛び出すあんたを見つけてさ。後をつけてきたのよ」おれの背中に顔うずめて泣くような声で言った。
「ああ。こんな俺のこと……ほんと馬鹿じゃねえの」
「うん。そう思うよ」
東の海の方から、空に明るさが戻りつつあった。
続く




