保健室
天城ら三人は、山下に連れられ別の小屋に行く。
ここまでの流れを見るに、塀に囲まれた村のごときもの全体が、人道学園となっているらしい。あちこちの小屋は、全て教室という扱いのようなのだ。
とはいえ、いちいち歩いて行くのは面倒だ。何とかならないものだろうか……などと天城が思っていた時、山下が一軒の小屋の前で立ち止まる。外壁が白く塗られており、目立つ建物だ。
「ここが保健室だ。まあ、一度で行き方を覚えるのは難しいかも知れないけど、そのうち慣れるよ。さあ、入って入って」
そう言うと、山下は扉を開け入っていく。天城ら三人も、後に続いた。
入ってみると、そこは教室のような部屋だった。木製の椅子と机が並べられている。
「みんな、適当な位置に座って。あと、天城は先生の後についてきて」
言われた天城は、仕方なく山下の後についていく。
山下は、隣の部屋の扉を開け中に入っていった。天城も後に続く。
室内はさほど広くなく、よくある学校の保健室という感じだ。薬品の匂いがうっすらと漂っており、カーテンで仕切られたベッドルームがある。
しかし、普通の学校にはないものもある。そこにいたのは、想像もしていなかったタイプの女性であった。
高い頬骨、すっきりと通った鼻筋。外国人に特有の整った顔立ちであるが、同時に知的な雰囲気も漂わせている。肩まで伸びたしなやかな金髪をかき上げる様は、ハリウッド映画に登場するヒロインのようであった。
しかし、彼女はヒロインではない。白衣を着ており、この学園の教師のようである。
「こちらが、イリアナ・キタムラ先生だ。こら天城、美人だからって変なこと考えるんじゃないぞ」
山下の言葉に、天城は慌てて視線を逸らす。今まで、この教師の顔にぼうっと見ていたのだ。
そんなところを、教師の山下に見られてしまった……不覚、としか言いようがない。
「先生、天城のことを診てやってください。では、失礼します」
そう言うと、山下は出ていった。直後、イリアナが口を開く。
「はじめまして。私の名前は、イリアナ・キタムラです。イリアナ先生でも、キタムラ先生でもどちらでもいいわ。好きな方で呼んでね」
そう言って、ニッコリ微笑んだ。流暢な日本語である。笑うと、さらに綺麗だ。
天城は思わず見とれていた。まさか、こんな山奥の学園に、これほど美しい女性がいようとは想像もしていなかった。ましてや、そんな女性に微笑みかけられるとは……。
「ええっと、君は天城光一くんね? さあ、そこに座って」
語りかけてきたイリアナに、天城はドキドキしながら答える。
「は、はい……」
そう言って、イリアナの正面に置かれている椅子に座った。
「工具室に行こうとして落ちたんですって? 可哀想に」
「そうです」
「痛かった?」
そう言いながら、にじり寄ってきた。ドキリとして思わず視線を逸らす。
「は、はい……」
「ねえ、どこが痛かった? ここ?」
次の瞬間、天城は飛び上がりそうになった。イリアナの手が、天城の肩に触れたのだ。こんな美女から、体に触れられたのは初めてである。
「はひぃ! い、いえ、大丈夫です!」
素っ頓狂な声を出す天城に、イリアナはクスリと笑った。
「本当に大丈夫なの?」
「大丈夫であります!」
思わず、二等兵のごとき返事をしてしまった。
その時、扉の開く音がした。と同時に、室内に乱入してきた者がいる。誰かと思えば灰谷だ。
灰谷は、思いつめた表情で口を開く。
「先生、僕はたまに脳が痛いです。どうすればいいですか?」
そんなことを言ってきたのだ。さすがの女医も、唖然となっている。
「脳? 頭が痛いんじゃないの?」
「いいえ、頭が痛いのではありません。脳です。脳が痛いんです」
「あ、あのう……脳が痛いって、具体的にどう痛いのかな?」
さすがのイリアナも困惑している。横で聞いている天城も、何を言っているのだろうか……と唖然となっていた。
しかし、灰谷の奇行はさらにエスカレートしていった。
「それがですね、言葉では説明しづらいのですよ。例えるなら、かぐや姫に登場する月からの迎えの者たちが、集団で頭の中を駆け巡る……そんな感じですね。痛くて痛くてたまりません」
「そ、そうなんだ……じゃあ、頭痛薬を処方してもらうからね」
「あっ、そうですか。わかりました。ありがとうございます」
そう言うと、灰谷はペコリと頭を下げて出ていった。
と、イリアナはふぅと息を吐く。
「なんか、変わった子ね」
「はい、ちょっと変わってます。でも、悪い奴じゃないんです。良い奴ですよ。それに、凄い奴でもありますし……」
「へえ、そうなんだ。ところで、天城くんはデボン共和国って知ってる?」
不意に話題が変わり、天城は困惑しつつも答える。
「デボン共和国? いえ、全然知りません」
「知らないんだ。じゃあ、教えてあげるね。デボン共和国というのは、東ヨーロッパの方にあるんだよ」
「はあ、そうですか」
「先生の生まれた国でもあるんだよ」
その時、イリアナの表情に陰りが生じる。だが、それは一瞬だった。どういうことだろう、と思いつつも言葉を返していく。
「あ、そうなんですか」
「でね、デボン共和国というのは──」
その時、またしても入ってきた者がいた。灰谷である。
「先生、先ほど言い忘れていたことがありました。そのため、再びお邪魔します。よろしいですか?」
「えっ? あっ、うん、先生は構わないよ」
明らかに迷惑そうではあるが、それでもイリアナは受け入れた。
「そうですか。それはありがたい。ところで先生は、浦島太郎の話を知っていますか?」
「えっ、浦島太郎?」
「はい、浦島太郎です。僕はね、あの作品は人生というものの真実を描いている気がするのですよ」
「ええっと、どういうことかな?」
完全に困っている。横で聞いている天城は、どうしたものかと思った。ただ、この会話の行き着く先を聞いてみたい気もしていた。
「浦島太郎は、竜宮城にいる間に恐ろしい月日が経過し老人となってしまいました。あれね、大半の人間は気づいていませんが……人生なんて、こんなものだよということを我々に教えてくれているのですよ」
「そ、そうなんだ……」
「ほとんどの人間はね、意味のないものを見て、意味のない情報を聞き、本当に好きかどうかもわからないものに己の時間を費やしています。結果、気がつくと死を目前にした状態にいるわけですよ。その時になって、初めて気づくわけです。ああ、自分の人生は何だったのだろうか……とね」
「うん、わかった。で、それと先生と何の関係があるのかな?」
愛想笑いを浮かべ聞いてきたイリアナに、灰谷もまた笑顔で返す。
「いいえ、あなたは何もわかっていません。僕はね、予言しにきたのですよ。あなたは美しい人だ。だからこそ……その美しさが、近いうちに失われるかも知れないのが悲しいですね」
途端に、イリアナの表情が変わった。
「どういうこと?」
「さあ、どういうことでしょうかね」
言った時だった。またしても扉が開く。入ってきたのは山下だった。
「おい灰谷、何をしてるんだ? お前は自習だろ?」
「すみません。あまりにも美人なので、つい引き寄せられてしまいました。安心してください、もうお邪魔はしませんから。では、今度こそ本当に失礼します。天城さん、どうぞ先生と楽しい時間を過ごしてください」
そう言うと、大袈裟な態度でお辞儀をして去っていった。
イリアナは、異様な目つきでその背中を見ている。つい先ほどまでとは、まるで別人の雰囲気だ。
その顔を見た時、天城はぞっとなった。今のイリアナには、言いしれぬ恐ろしさがある。元力士の上山とは、質の異なる怖さだ。
上山の怖さは、巨体と凄まじい腕力からくるものだ。では、イリアナの怖さは何なのか……それは、かつて観た浄瑠璃の人形だ。幼い頃、綺麗な女性の面が、瞬時に般若へと変わるシーンをテレビで観たのだが、本当に怖かった。
今のイリアナは、まさに浄瑠璃人形そのものだ。もちろん、顔そのものは変わっていない。だが、纏う空気は般若のものである……。
しかし、次の瞬間にその空気は消えていた。
「灰谷くんは、何がしたかったのかな?」
困った表情で聞いてきた。天城も、苦笑しつつ答える。
「すみません。悪い奴じゃないんですよね……」




