異種対決
天城の不安をよそに、上山は部屋の中央に立ち手招きする。
「ほら、来いよ。先生が、きっちり相手してやるからよ」
言われた灰谷は、部屋の中央に進み出た……はずだった。だが、すぐに引き返していく。
上山の片眉が、ピクリと動いた。しかし、灰谷はお構いなしだ。
「うーん、ちょっとしっくりこないのですよね」
そう言うと、さらに下がっていく。ついには、部屋の外に出てしまったのだ。
そこから、首を捻りつつ室内を眺める。何が気になるのかは不明だが、本人は真剣な表情だ。
上山はというと、プルプル震えていた。無論、怒りゆえだ。しかし、灰谷は気にも留めていない。首を捻り顎を手で擦りつつ、中央の床を眺めている。
と、ポンと手を叩いた。
「よし、これで行こう」
言ったかと思うと、すたすた歩いていく。先ほどと、動きには何ら変わりはない。そのまま室内に入ると、ひとりでウンウン頷きながら歩いて行く。
天城の鼓動が早くなった。下手をすれば、残酷な殺人ショーだ。あの上山は、素手でも簡単に人を殺せるだろう。
「オラァ! 用意はいいかぁ! さっさと来んかい! でないと捻り潰すぞ!」
そこで、上山の罵声が飛んだ。しかし、灰谷は表情ひとつ変えない。上山の前まで行ったかと思うと、突然すまなそうな顔でペコペコ頭を下げだした。
「先生すみません、ちょっとトイレ行ってきます」
そんなことを言って、引き返しトイレに行ってしまったのだ。
言うまでもなく、上山の怒りは爆発寸前である。その場で、ドスンと足を踏み鳴らした。
「あんの野郎……いっぺん殺さねえと、わからんらしいな」
こんなことを言っているのだ。もはや、これは殺人予告に等しい。
見ている天城は、耐えられなくなってきた。山下に近づき、そっと囁く。
「先生……このままだと、灰谷くんが本当に殺されちゃいますよ」
しかし、山下の口から出てきたのは、信じられない言葉だった。
「まお、見ときなよ。灰谷は、こんなんで死ぬような男には思えない。俺の勘が間違っていなければ、だけどね」
「何を言ってるんですか」
天城は小声で抗議するが、山下は涼しい顔で答える。
「いいか、マジモンの相撲で闘ったら……灰谷に百パーセント勝ち目はないんだよ。冷静に対処されたら、勝負は数秒で終わる」
語る山下の表情は、いつもと異なっていた。口調も違う。天城は、思わず聞き入っていた。
「ところがだ、上山先生は今、完全にキレちまってる。冷静さを失い、灰谷を叩きのめすことのみに頭がいっている。相撲を取る、ということすら忘れている」
「ど、どういうことですか?」
「つまりだ、相撲では攻撃と同時に防御も大事ってことさ。ところが、今の上山先生にあるのは……灰谷をぶちのめす、それだけだ。つまりは、隙も生まれやすい」
「隙?」
「ああ。ま、普通の人間なら、隙があろうがなかろうが、上山先生に一瞬で捻り潰されちまう。けどな、あいつは何かやらかしてくれそうな気がするよ」
語る山下。ふと見ると、いつの間にか村上も意識を取り戻していた。虚ろな目で、怒っている上山を見つめている。
その時、灰谷がトイレから出てきた。妙に晴れやかな表情である。こうなると、もはやシュールだった。
「いやぁ、すっきりしましたよ。相撲の最中に漏らしでもしたら、大変ですからね」
「いいから来いやぁ! でねえと今すぐ殺す!」
喚いたのは上山だ。完全に冷静さを失っている。その顔も、今や赤鬼のごとき形相だ。
天城は、恐怖のあまり膝が震えだした。自分が闘うわけではないのだが、見ているだけで怖くて仕方ない。
このまま、灰谷が殺されてしまうのではないだろうか──
「お待たせしました。もう準備万端です。やりましょう」
そう言うと、灰谷は蹲踞の姿勢を取る。
「ふざけやがって……いくぞオラァ!」
「いいですよ」
答えたと同時に、上山の巨体が突進してきた。そのスピードは速い。車が突っ込んでくるかのごとき勢いだ。
天城は、思わず顔をしかめる。が、次に起きたことは彼の想像の遥か上であった。
天城は見た。
上山の巨体が突進してきた時、灰谷の顔に笑みが浮かぶ。かかったな、とでも言わんばかりの様子だ。
次の瞬間、灰谷は飛んだ──
灰谷は、突進してきた上山の体に飛びついたのだ。その体を踏み台にし、さらに高く飛んだ。
しかも、登ったすぐ後には背後に着地していた。
この間、一秒ほどだろうか。灰谷の動きは異常に速かった。にもかかわらず、天城にははっきり見えた。
一方、上山は何が起きたのかわからない。目の前にいた男が、自分の体をよじ登り背後に回る……そんなことは、相撲の世界では有り得ない展開だ。
しかも、上山は完全に冷静さを失い、心も体も怒りに支配されていた。こうなると、もはや止まらない。
次の瞬間、灰谷はさっとしゃがみ込む。標的を見失い、たたらを踏んでいる上山の両足をすくったのだ。
平常時なら、上山は耐えられたかもしれない。しかし、怒りで冷静さを失っていた上山の体は、堪えられなかった。
一瞬の間を置き、上山の巨体が倒れる──
勝った!
天城は、目の前の出来事が信じられなかった。次いで、声が聞こえてきた。
「あいつ、勝ちやがった……」
村上の声だ。これまた、信じられないという感情がこもっている。
山下はというと、冷静な表情で状況を見ている。この信じられない光景を見ても、何も感じていないのか。
倒れた上山は、呆然となっていた。床に両手を着き、口を半開きにしたまま床を見つめている。
だが、それは長く続かなかった。鬼のごとき表情で飛び起きる。
「てめえは……殺す」
静かな口調であった。その分、本気であることが窺える。
上山は、くるりと向き直った。その視線の先にあるのは、涼しい表情で立っている灰谷だ。
「もう許さねえ……」
そう凄んだ時だった。突然、山下が動く。上山の隣に行ったかと思うと、彼の右手を高々と上げる。
直後、彼の口から予想外の言葉が飛び出す。
「この勝負、上山先生の勝ち。灰谷、お前の負けだ」
山下が何を言っているのか、天城には全くわからなかった。他の者たちにしても同様だったらしい。しばらくの間、沈黙が場を支配する。
しかし、天城は納得いかなかった。なぜ、上山の勝ちなのだ?
「えっ? なんで上山先生の勝ちなんですか?」
言った瞬間、しまったと思った。予想通り、上山に睨まれる。
しかし、ここでも山下は冷静だった。
「灰谷は、上山先生の後ろに回り込んだ。直後に、しゃがみ込んで上山先生の足を払った。が、この時に膝が床に着いてしまった。相撲では、膝が土俵に着いたら負けと決まっている。したがって、上山先生の勝ちだ」
淡々と語っていった山下に、天城は何も言えなかった。一方、灰谷はというと、神妙な顔つきで頭を下げる。
「先生、僕の負けです。さすがは元力士ですね。僕もいろいろ試してみたのですが、やはり相手になりませんでした。いやあ、大したものだ」
その声からは、わざとらしさが感じられなかった。本気で敗北を認め、感心しているかのように見える。
こうなると、上山も引かざるを得なかった。これが違う状況ならば、怒りに任せて飛びかかっていただろう。だが、山下の勝利宣言に続いて灰谷の敗北宣言、さらには生徒たちの目もある。
「そ、そうか。お前も自分の力がわかっただろう。あまり調子に乗るな」
取ってつけたようなセリフを言った時だった。山下が、今思いついたかのような表情で口を開く。
「そうだ。ものはついでだし、これから保健室に行こう。村上と天城は、念のため診てもらうんだ」
「えっ、僕もですか?」
天城が聞くと、山下は頷いた。
「そうだ。お前は昨日、斜面を転げ落ちただろう? 異常がないかどうか診てもらった方がいい」




