相撲
室内は、異様な雰囲気になっていた。
部屋の中央では、村上と上山が向かい合っている。村上も百八十センチはありそうな長身であり、体格もゴツい。Tシャツから覗く二の腕は筋肉質であり、街の喧嘩なら敵なしであろう。
だが、上山の体はレベルが違っていた。ポロシャツを脱ぎ裸になった彼の姿は、もはや同じ人間とは思えないものだった。タレントなどに見られる「いい体」「マッチョ」などとは根本的に違う。
これが、元力士の体か──
唖然となっている天城だったが、他の者たちは文字通り三者三様であった。
中村は、目をつぶり顔を背けている。こんな場所にいることすら我慢ならない、という雰囲気だ。
教師の山下はというと、始まったよ……とでも言いたげな様子で顔をしかめている。
灰谷はといえば、のんびりした様子で窓から外を見ている。何を考えているのか、全く窺い知れない。
そんな中、上山が声を発した──
「オラ村上! さっさと来んかい! ビビったんなら、土下座すれば許してやるぞ!」
その言葉に、村上の怒りが再び湧き上がった。目つきが変わり、上山を睨む。
「るせーなー! 今いってやるよ! オラァ!」
喚くと同時に、恐ろしい勢いで突進していった──
ドスン! という音が響き渡る。村上の全力の体当たりが、上山に炸裂したのだ。並の人間なら、簡単にフッ飛ばされていただろう。
しかし、上山はその体当たりを受け止めた。余裕の表情だ。その上、微動だにしていない──
「悪くはない。十五のガキにしちゃあ上等だ」
村上を受け止めたまま、上山は語ってみせる。見ている者たちにも、聞かせているかのような口調だ。
「だがな、しょせんは素人レベルだ!」
怒鳴ると同時に、上山の表情が変わる。
直後、村上をポンと押した。あまりにも無造作な動きだ。にもかかわらず、押された側の村上は簡単によろけた。
その瞬間、上山の張り手が飛ぶ──
村上の顔面に炸裂した一撃は、とんでもない威力のものであった。これまで聞いたこともないような音とともに、村上の体が吹っ飛んでいく。
直後、床に倒れた──
「上山先生、やりすぎですよ。こいつ、意識飛んじゃってるじゃないですか」
山下が責めるような口調で言うと、倒れた村上のそばにしゃがみ込む。
顔を覗きこみ、体のあちこちを触った。
「意識は飛んでるけど、それ以外は無事みたいだね。よかったよかった」
いや、よかったじゃねえだろ……。
見ている天城は、心の中で叫んでいた。
あの村上が、まるで子供のようだった。全力の突進も通じず、たった一発の張り手でフッ飛ばされ意識を失ったのだ。
さらに、その一撃で村上は意識を失っている。元力士の肩書は、伊達ではないのだ……と思った時だった。
天城が想像もしていなかった言葉が飛んでくる──
「よし、次は天城だ。こい」
「は、はい?」
まさか、自分に矛先が向くとは思わなかった。慌てて目を逸らすが、上山は笑いながら手招きをしている。
「いいから来い。お前は体も小さいし、手加減してやる。さあ、来いよ。思いっきりぶつかって来い。全力を出して人にぶつかっていくって、結構いいもんだぞ。汗を流せば、たいていのことは忘れられる。スカッとするんだよ」
その言葉に、天城は慌ててかぶりを振った。冗談ではない。あんな張り手を食らったら、スカッとする前に死んでしまう。
「い、いいです……僕はひ弱だし、ケガしたくないです」
言いながら、誰か味方になってくれないのかと周りを見る。
しかし、味方はいなかった。山下は村上を介抱しているし、灰谷はボーッと外を見ている。
中村にいたっては、ガタガタ震えながらうずくまっているのだ。まるで、目に映る全てを拒絶しているかのようだった。
そして、上山は容赦ない。
「そんなこと言うなよ。先生と遊んでくれよ。でないと、先生スネちゃうぜ」
その時、予想もしなかった言葉が飛んでくる。
「先生、お願いがあります」
灰谷であった。先生の出した問題に解答する小学生のように、右手をビシッと伸ばしている。
上山は、訝しげな表情になった。
「なんだ灰谷? トイレか?」
「いいえ。今の相撲を見て感動しました。先生は、本当にお強いですね」
「うん? まあ、な。先生は、これでも幕下までいったんだぞ」
灰谷におだてられて、嫌な気分はしなかったらしい。自慢げな表情で言った。
しかし、その表情は一変する。灰谷の口から、とんでもないセリフが飛び出したのだ。
「ですので、次は僕に胸を貸してください」
「お前が? 無理無理、相手にならん」
かぶりを振りつつ、上山は答えた。さらに、手まで振っている。
しかし、灰谷に引く気はない。
「しかし……この天城さんは、僕よりも弱そうですよ。そんな天城さんは誘うくせに、僕の挑戦は受けないんですか?」
「何言ってんだお前。いいか、お前じゃ相手にならないんだよ」
「あっ! もしかしてアレですか!? 天城さんのことが好きなんですか!? 好きだから、相撲に見せかけ抱きついたりキスしたりしちゃおうとか思ってます!? ああ、それは失礼しました」
横で聞いている天城は、愕然となっていた。この男、何を言い出すのだろうか。会った直後から変な奴だとは思っていたが、ここまでとは思わなかった……。
上山はというと、怒りで顔が赤くなっている。
「おいコラ、何を言ってんだ? いい加減にしないと殺すぞ」
「おやおや、殺すといいましたか? 怖い怖い。今、この人殺すって言いましたよ。いいんですか? これ、脅迫ですよ」
灰谷は、とぼけた表情で山下に話を振った。しかし、山下は困った顔で答える。
「いや、俺に言われてもなあ……」
しどろもどろである。どうやら山下は、学園内の立場は上山よりも下らしい。
その時、上山がドスンと足を踏み鳴らした。直後、憤怒の形相で口を開く。
「お前、とことん人を舐めきってるな。いいだろう。俺が直々に稽古をつけてやる。ただし、骨折くらいは覚悟してるんだろうな?」
「えっ、どっちの骨ですか? 先生が骨折するんですか? 大丈夫です。僕もそんな物騒なことはしませんから」
またしても、人を食ったような言葉を返した灰谷。こうなると、もはや上山を止めることなどできない。
「上等だ……やってやるよクソガキが! 死んでも文句言うんじゃねえぞ!」
その言葉に、灰谷はニヤリと笑う。
「やっと、やる気になってくれたんですね。では、始めましょう」
そんなやり取りを、唖然とした表情で見ていた天城だったが、ここでようやく我に返る。
確かに、灰谷も腕力はある。痩せているとはいえ、天城の体を引っ張り上げたのだ。この体格にしては強いであろう。
しかし、上山の強さはそんなレベルではない。自分たちとは、完全に違う生き物なのだ。
その上、今は完全に怒っている。村上とやった時には、まだ余裕があった。気絶させたとはいえ、手加減もできていたのだろう。
ところが、今の状態では手加減などしないし、それ以前にできないだろう。
怒りのままに、灰谷を殺してしまいかねない──
天城は、そっと山下に近づく。直後、小声で囁いた。
「山下先生、止めてくださいよ。上山先生、完全にブチ切れてるじゃないですか。灰谷くんが殺されますよ」
「ああ、ブチ切れてるな。こうなっちゃうと、俺じゃ無理だ。止められない。下手すりゃ、俺まで殺される」
呑気な口調である。天城は、思わず顔をしかめた。
「そんなこと言ってていいんですか。灰谷くんが殺されちゃったら、どうするんですか」
「まあ、落ち着け。上山先生だって、さすがに殺すまではいかないだろう」
「そんな……」
「それにな、俺もちょっと見てみたいんだよ」
「何をですか?」
「灰谷だよ。あいつが、上山先生を相手にどう闘うのか……ちょっと興味がある」




