上山の授業
窓から入ってくる日の光で、天城は目を覚ました。
今は何時だろう。正確な時刻はわからないが、まだ昼にはなっていないだろう。
などと思っていたら、突然に部屋の明かりがついた。次いで、廊下から声が聞こえてきた。
「はい! おはよーさん! みんなのアイドル、ハッシーこと橋本先生だよ! みんな、起きようか!」
確かに橋本の声だ。朝の気分も、この声を聞いたら台無しである。
なんでお前は、朝からハイテンションなんだよ……そんなことを思いつつ、天城は起床した。
一方、橋本はまだ叫び続けている。
「みんな! 朝がきたぞ! 後で橋本先生と一緒に、朝ご飯を食べようじゃないか! いいか君たち! 挑戦し続けることで、可能性は無限大になる! 今日も、先生と一緒に何かに挑戦していこうな!」
「わかったよ! 頼むから静かにしてくれ!」
喚いたのは村上だ。と、橋本もピタリとおとなしくなった。
よく言ったぞ村上。
心の中で彼にエールを送り、天城は服を着替えた。顔を洗い、歯を磨く。よくよく考えてみれば、朝にこうした動作をするのは久しぶりだ。
あのまま、ずっと家に引きこもっていたら、どうなっていたのだろう……そんなことを思いつつ、天城は食堂へと向かった。
食堂には、橋本と山下がいた。橋本はニコニコしており、朝から機嫌が良さそうだ。対照的に、山下は「ダリーな」とでも言いたげな表情である。両者の性格が表れていた。
そして橋本は、いきなり天城に話しかけてきた。
「いやあ、やっぱりみんなで食べる朝ご飯は最高だよな。天城、そう思わないか?」
「あっ、いや、どうなんでしょう……」
仕方なく、そう答える。と、橋本の表情が変わる。
「かーっ、わかってないなあ。いいか、食は人間にとって欠かせないものだ。その食を最大限に楽しむ……これはな、人間にのみ許された贅沢なんだぞ」
「は、はあ……そうですか」
「しょうがない奴だな。よし、今日から先生が隣に座ってやる。さあ、一緒に食べようじゃないか!」
おいおい勘弁してくれ……と思う間もなく、橋本は隣の席にどっかと座った。直後、山下の方を向く。
「さあ、先生と朝ご飯を食べよう!」
その時、山下が口を挟む。
「橋本先生、まずはいただきますを……」
「おう、そうだったな。では、ご唱和ください! いただきます!」
「い、いただきます」
天城は仕方なく言った。が、他の者たちは無言で食べ始めている。
なんで僕だけ……と思う間もなく、橋本に肩を叩かれた。
「さあ天城、食べようじゃないか。見ろ、ウチのご飯は米の中に麦が入ってるんだぞ。凄いだろう?」
言いながら、ご飯を突き出してくる。天城は、愛想笑いを浮かべ頷いた。
「はあ、凄いですね」
「そうだろう。だがな、それだけじゃないぞ。見ろ、この味噌汁にはワカメと豆腐が入っている。ワカメはな、ビタミンや食物繊維が豊富なんだぞ。豆腐はタンパク質がいっぱい入ってる。豆腐をいっぱい食べれば筋肉もりもりだ。村上みたいになれるぞ。なあ村上?」
急に話をふられた村上は、面倒くさそうに答える。
「知らねえよ。だいたい、そのチビじゃ無理だろ。筋トレとかやらなさそうだし」
「何を言ってるんだ。いいか天城、鍛えれば先生くらいにはなれるぞ。見ろ」
そんなことを言った直後、なぜか己の足をパチンと叩く。足を見ろ、というのだろうか。
天城がリアクションに困っていると、見かねたのか山下が横から口を挟む。
「橋本先生、今は食事の時間ですから……」
「あっ、うん、そうだ。やだなあヤマちゃん! これはね、ヤマちゃんのツッコミ待ちのボケだから!」
わけのわからないことを言うと、またしても天城の方を向く。
「さあ天城、食べろ。元気に食べるんだ。先生が、ちゃんと見ててやるから」
「は、はあ」
天城は、仕方なく食べ始めた。と、橋本の矛先は別の人間に移る。
「おい中村、全然食べてないじゃないか。食欲がないのか?」
「あの、私は少食なので……」
か細い声で答えた中村だったが、橋本は一度ロックオンしたら止まらない。
「あのなあ、食べないと体によくないぞ。先生は、過度なダイエットには反対なんだ。だいたいな、女の子というのは、もっとポチャっとしてる方が──」
「橋本先生、それ以上いうとセクハラです」
山下の冷静なツッコミに、橋本はピタリと口を閉じる。だが、それは一瞬だった。
「あ、そうだったな……最近は、いろいろややこしいよな」
そんなことを言い出す橋本を無視し、天城は食べ続けている。天城もまた少食だったはずなのに、今日は箸が進む。
やがて天城が食べ終えたのを合図に、山下が皆の顔を見回した。
「全員、食べ終わったよね。では、ご馳走さまでした」
「ご馳走さまでした」
天城と中村と灰谷は、山下に倣って言った。が、村上だけは無言のまま、そっぽを向いていた。
その後、橋本と山下はどこかに行ってしまい、四人は食堂に取り残された。
当然ながら、誰ひとり喋ろうとしない。ヤンキーの村上すら、無言でじっとしている。室内には、重苦しい空気が漂っていた。
いっそ、自分から話しかけてみようか……と、隣に座っている灰谷の方を向いた時だった。食堂に山下が入ってきた。
「これから授業だよ。とりあえずついてきて」
その言葉に、四人は立ち上がった。山下の後に続き歩いていく。
着いた所は、天城の想像を完全に超えていた。
外からは木製の小屋にしか見えなかったが、中はまるで違う。床と壁は、柔らかいウレタン状のものが敷き詰められている。広さは、テニスコートくらいだろうか。天井はさほど高くなく、雲梯や懸垂のための鉄棒が設置されている。さらには、天井から太いロープがぶら下がっていたりもした。
そんな中に座っていたのは、教師の上山であった。白のポロシャツを着て、黒い短パンを履いている。相変わらず、同じ人間とは思えない体格だ。天城は、ここまで大きな男を見たことがなかった。
上山は、天城らの姿を見るなり立ち上がった。ニヤリと笑う。
同時に、山下が口を開く。
「今回は、上山先生の授業だ」
生徒たちに向かい言った後、上山に頭を下げた。
「すみません。上山先生、よろしくお願いします。くれぐれも、お手柔らかに……」
言われた上山は、余裕の表情で頷いた。
「うむ。今日は、俺流の授業をやらせてもらう。まずは、挨拶代わりに相撲でもやるか」
とんでもないことを言ったかと思うと、まず村上に目線を合わせた。
「おい村上、先生がお前に相撲を教えてやる。さあ、かかってこい」
「はあ? 嫌だね。なんでそんなことしなきゃなんねえんだよ、くだらねえ」
村上は、そう言って顔を背け座り込む。が、いつもの強気な態度がない。怯えているような雰囲気すら感じさせる。
と、上山は呆れた様子でかぶりを振った。
「おいおい、なんだよ。先生とやるのが怖いのか? お前、最高にカッコ悪い奴だな。実は膝ガクガクで、立つこともできないってか?」
「ちょっと待てよ。別に怖いとは言ってねえだろうが」
「怖くないなら、やれんだろうが。それとも何か? お前は、自分より弱いとわかってる人間しか殴れないヘタレなんじゃねえのか?」
聞いている村上の表情が変わっていた。明らかに、怒りゆえだ。
横で見ている天城は、どうすればいいかわからず灰谷の方を見る。この男なら、何とかしてくれるのではないか……。
しかし、灰谷は両者のやり取りを無視していた。窓から外をボーッと眺めている。我関せず、という態度だ。
その間にも、上山は喋り続ける。
「お前、自己紹介の時に言ってたそうだな。凶悪で凶暴で凶器大好きで地元じゃ有名だと。だったらよ、その凄さを見せてくれよ。それとも何か? お前の地元じゃ泣き虫のオタクみたいなのしかいなかったのか?」
「ざけんじゃねえ!」
喚くと同時に、村上は立ち上がった。鬼のような形相で、上山を睨みつける。
「上等じゃねえか……やってやるよ!」




