橋本の暴走と、ちょっとした違和感
保健室に行った後、皆は寮に戻った。と、現れたのは橋本だ。こちらを見るなり、両手をぶんぶん振るオーバーリアクションで出迎えた。
「いやぁ君たち! 上山先生の授業はどうだった! 大変だったろう! でも、上山先生はいい先生なんだぞ! 誤解しちゃ駄目だぞ!」
相変わらずのハイテンションぶりである。こんなのと、この先毎日付き合っていかなければならないのかと思うと、かなりキツいものを感じる。
そんなことを思いつつ、天城は他の者たちを見てみた。
村上は、妙におとなしい態度だ。神妙な面持ちで下を向いている。先ほど、上山にノックアウトされたのが効いたのだろうか。昨日までの偉ぶった様子が、完全に消え去っている。
中村はというと、相変わらずおどおどしていた。橋本とは目を合わせようとせず、うつむいている。ここにいたくない、という気持ちが全身から溢れていた。やはり、彼女も天城と同じく不登校だったのだろうか。
もっとも、その気持ちもわかる。天城とて、正直に言うなら、こんな場所には来たくなかった。母親の事故死がなければ、絶対に来なかっただろう。
その時、疑問を感じた。
僕はなぜ、ここで普通にいられるのだろう?
天城は、もともと人見知りであった。気も弱く、体力もない。中学時代はいじめに遭い、ずっと不登校だった。実際、この学園に来なかったら、同年代の人間と喋る機会などなかっただろう。
自分が、この学園で普通にしていられる理由は……おそらく灰谷だ。あの男の異様なペースに巻き込まれ、気がつくと喋ったり行動せざるを得ない状況に追い込まれている……そんな気がするのだ。
その灰谷はというと、相変わらずのマイペースぶりだ。ハイテンションに語っている橋本を完全に無視し、窓から外を見ている。
そう言えば、この男はいつも外を見ている。そんなに面白いものでもあるのか……と思い、天城も外を見てみた。
犬を連れた男が、外を歩いていた。男の顔形ははっきりとは見えないが、どうやら外国人のようである。欧米人だろうか、髪は金色で背は高い。体つきもいかつい感じだ。さっきのイリアナ先生もそうだったが、こんな山奥の学園になぜ外国人がいるのだろう。
しかも、連れているのはただの犬ではない。ドーベルマンなのだ。
ドーベルマンといえば、番犬として有名である。知らない人に対しては攻撃的になりやすい、と前に観た動物番組にて語られていた。運動量も多く、普通の人間では飼うことなどできない犬だ……とも言っていた。
それが、こんな山奥の学園にいるとは……天城はわけがわからず、外国人とドーベルマンが通り過ぎていく様をじっと見ていた。
と、橋本が叫ぶ。
「おい天城! どうしたんだボーッとして!?」
「は、はい!?」
天城が慌ててそちらを向くと、橋本は悲しそうな表情になった。
「嫌だなぁ、先生の話はちゃんと聞いてくれなきゃ! でないと先生、グレちゃうぞ!」
「は、はい? グレちゃう?」
反射的に聞き返していた。グレちゃうぞ、とは何のことだろう。怒るぞ、という意味だろうか?
と、橋本はさらなる行動に出た。
「おい、なんだそれ? グレちゃうぞが通じないのか? もう、プンプン!」
そんなことを言いながら、自分の頭に拳を乗せたのだ。何をわけのわからないことをやっているのだろうか。完全に理解不能である。
いつもなら、このへんで村上が「いい加減にしろ」とツッコむのだが、上山と闘ったダメージが大きいのか、まだ本調子ではないらしい。あるいは、あの敗北により学園ではおとなしくしていようと決めたのか。
と、さすがに見かねたのだろうか。山下が止めに入る。
「橋本先生、そろそろ昼食の方を……」
「あっ、それもそうだな。よし、みんなで昼ご飯を食べようじゃないか!」
こうして、皆は食堂にて昼食をとる。
しかし、天城の不幸は終わらなかった。橋本は彼の隣に座り、ハイテンションに話しかけてきたからだ。
「いいか天城、お前もいつかは社会に出ていく。そうしたら、お前より歳上の世代が大勢いるんだぞ。そういう世代と話を合わせられるように、昭和のギャグくらい覚えておいた方がいいぞ」
「はあ、そうですか……」
天城は、仕方なく答える。なぜ、この男はこうまでハイテンションでいられるのだろうか。
「そうですか、じゃないよ! まずは、ツッコむことから教えてやる。いいか、先生がボケたらツッコむんだ。そしたら、就職した先で人気者になれるぞ。ツッコミ役は貴重だからな」
「い、いやあ……難しそうですね。僕には無理です」
「難しそう? 今、難しそうと言ったのか? それは違うぞ。断じて認めん!」
またしても声が大きくなってきた。困った男に好かれてしまったなあ……などと思いつつ、天城は仕方なく謝った。
「す、すみません」
「天城、お前は何もわかっていない。お前の中には、秘められたツッコミ役の可能性があるんだ。俺は、お前を信じている。だから、お前も俺を信じろ。お前ならできると信じている俺の読みを信じるんだ」
いよいよわけがわからなくなってきた。思わず助けを求めて横を見るが、村上は死んだ魚のような目で昼食を食べている。中村は、自分に矛先が向かないよう必死で顔を逸らしている。灰谷にいたっては、箸を止め天井を見つめているのだ。
みんな、僕に押し付けないでくれよ……と、今度は山下の方を見る。と、そこで異変に気づいた。
山下は、訝しげな表情でこちらを見ている……いや、正確に言うとハイテンションで騒ぎ続ける橋本を眺めているのだ。こいつは何をしているんだ? とでも言わんばかりの表情を浮かべている。
と、そこで山下は動いた。どうやら、天城が自分を見ていることに気づいたらしい。苦笑しつつ口を開く。
「橋本先生、そのくらいにしておきましょう。天城は、さっきから一口も食べられてませんよ」
「おう、そうだったか。すまんすまん。それにしても、ヤマちゃんはツッコミが遅いなあ」
どうやら、矛先が山下に向いたらしい。その間に、天城は食べ始める。内容は、ご飯と味噌汁と肉野菜炒め、それに見たこともない焼き菓子だ。パンケーキに似ているが、形や色が異なる。ヨーロッパ系の菓子だろうか。バウムクーヘンに似ている気もする。
これは何なのだろう、と思いつつ食べ続ける。味は悪くない……というより、下手な料理屋よりは確実に上のレベルだ。麦が入っているご飯も新鮮である。
一方、橋本と山下の会話は続いていた。
「それにしても、橋本先生は天城のことがえらく気に入ったようですね」
「おお、気に入ったよ。俺はな、初めて見た時から気づいてた。天城は只者じゃない。俺へのツッコミ役を任せられるのは、こいつしかいないってな」
そう言うと、橋本は天城の方を向いた。
「そうだろ天城? お前も、そう思うだろ?」
またしても、矛先がこちらに向いてしまった。天城は、仕方なく頷く。
と、橋本は笑いながら背中を叩く。
「ほら見ろ。俺と天城はな、もう名コンビなんだよ。一緒にMー1にチャレンジするか? がはははは!」
聞いた瞬間、背中がゾクリとなった。まさか、本気でMー1グランプリへの挑戦に付き合わされるのだろうか。人前で、こっちの背筋が寒くなるような橋本のボケ連発に、ツッコミを入れ続けなくてはならないのか。天城は、引きつった表情で橋本を見た。
すると、山下が笑いながら口を挟む。
「橋本先生、その言い方は誤解を招きますよ。ほら、天城が困ってるじゃないですか」
「あっ……そ、そうだな。いいか天城、先生は結婚し嫁もいる。だから、今さら芸人の世界に飛び込む気はない。安心しろ」
橋本の暴走という味つけ付きの昼食を終えると、三人は山下の案内により、あちこちを見て回る。畑や家畜小屋、図書室、レクリエーションルームなどなど……この敷地内には、実に様々な施設がある。
しかし、天城の中には小さな違和感が芽生えていた。それが何なのかはわからない。ただ、何かがおかしいということだけはわかる。
その違和感の正体に気づいたのは、夕食をとった後、眠りにつく直前になってからだった。
僕たち以外の生徒は、いったいどこにいるんだ?




