白土市と人道学園
白土市は、四方を山に囲まれた地域である。そのため、昔は他の土地との交流や交易は難しかった。特に雪が降り積もる冬などは、余所との交流などまず不可能である。
必然的に、白土で生まれ育った者同士の絆は強固なものになる。その結び付きは、傍から見れば異常であった。お上の命令より、土地の有力者の言葉の方が重い。村八分になった者を秘密裏に始末するなど、当たり前のことであった。白土から離れて住むことは出来ても、白土で育った者の匂いを消すことは出来ない……こんな言い伝えまであるくらいだ。
そんな白土市で、古くから絶大なる権力を持っているのが神居家だ。かつて広大な土地を治めていた豪族の末裔であり、様々な人間と太いパイプを築いていた。かつて白土市では、神居家に従わざる者は人にあらず……とまで言われていたのだ。
さすがに現在では、神居家の威光も以前ほどではない。ネット社会となった現代で、堂々と神居家のために法を犯すような者もいない。
それでも、各方面に未だ強い影響力を持つのも確かである。忖度という言葉は、神居家のためにあるようなものだ。
神居家の威光は、未だ見えざる呪縛として白土市に存在している──
そんな白土市の山奥に、ひっそりと佇んでいるのが人道学園である。神居家の人間が協力していたため、設立はスムーズに進んだ。山中の荒れ果てた土地を切り開き、広大な学園を作り上げた。
にもかかわらず、この学園の正確な位置は地元民もよく知らない。その上、山は旅行者の入山を固く禁止している。いかつい監視員が定期的に山中を回っており、万が一迷い込んだ者がいれば居丈高な態度で怒鳴られ追い出される始末だ。
また、出入りする業者も限られている。外部の人間は、迂闊に入れないシステムになっていた。
謎なのは、その出入りできる業者の中に外国人の企業があることだ。それも、デボン共和国なる国名である。
◆◆◆
新入生の自己紹介が終わると、食堂内にもうひとりの男が入ってきた。
こちらは、黄色いTシャツにデニムパンツ姿の男だ。落ち着きのない態度と、妙に軽快な動作が特徴的である。年齢はわかりづらく、二十代といえば二十代に見えなくもないが、四十代と言っても通じるだろう。
髪こそ染めていないが、締まりのない顔つきと軽い動きは、山下と同じ系統の人種であることが窺えた。
「さて、これから学園内を案内する。橋本先生、お願いします」
山下の言葉に、橋本は頷いた。
「どうも、橋本です。まあ気軽に、ハッシーやハシモっちゃんとか呼んでくれていいからね。これから、俺と一緒に青春時代を楽しもうじゃないか」
わけのわからないことを言って、ひとりで笑っている。だが、生徒の方は誰ひとり反応しない。冷たい空気が漂っている。
すると、橋本は頭をポリポリ掻く。直後、またしてもとんでもない言葉が飛び出る。
「いやあ、滑っちゃったかなあ。ま、俺は元スケート選手だったからね。昔は朝から晩まで滑りまくってたよ。やっぱ、その影響が今も出てるみたいだね」
「えっ!? そうだったんですか!?」
素っ頓狂な声をあげたのは山下だ。すると、橋本は彼の肩を叩いた。
「嫌だなあヤマちゃん! 冗談に決まってるじゃん! 新入生は緊張してるだろう!? この場を和ませるためのギャグだよギャグ! ここは、ツッコんでくれなきゃ! ヤマちゃんのツッコミ待ちだったのに!」
そんなことを言って、ガハハと笑った。だが、生徒の方はニコリともしていない。すると、山下は顔をしかめた。
「ちょっとみんな! ここ笑うとこだから!」
そんなことを言ったが、これまた誰ひとり反応しない……と思いきや、村上がボソッと呟く。
「全然笑えねえよ」
この惨憺たる状況を見て、天城はさすがに憐れになった。仕方なく、ひとり愛想笑いを浮かべてみせる。
その愛想笑いを観た途端、橋本は急に動き出した。天城に近づき、がっちりと彼の手を握る。
「君、名前は?」
「あっ、天城光一です」
「天城光一か……じゃあ、君のあだ名はアマコウだ」
「ア、アマコウ?」
さすがの天城も顔をしかめる。アマコウは、さすがに勘弁して欲しい。
しかし、橋本は怯まなかった。
「アマコウは嫌か? じゃあ、また別のあだ名を考えておこう」
言った後、何かを思いついたかのようにポンと手を叩く。
「そうだ。天城、君を工具係に任命する」
「はい?」
天城は、またしても顔をしかめる。工具係とは、いったい何なのだろう?
「いや、工具係といっても、大したことをやるわけじゃない。ただ、生徒たちが使うための工具を君に持ってきてもらいたいんだよ。仕事はそれだけだ」
「あの、力仕事ですか?」
「何を言ってるんだ。女の子でも持てるようなものばかりだから心配ない。今から案内するよ」
そこで、橋本は山下の方を向いた。
「じゃあヤマちゃん、後は頼んだよ。寮に案内しておいてね」
「わかりました」
山下が答えると、橋本は天城を連れ山中に入っていった。
山道はデコボコで、歩きにくいという言葉すら生ぬるい有様だ。途中で何度も転びそうになりながら、懸命に橋本の後を追った。
「あ、あの、なんでこんな場所に工具を?」
思わず聞いてしまった。学園内に置けばいいのに、なぜこんな場所に置くのだろう。
「いやね、生徒の手の届くところに工具を置いたら、喧嘩になった時に危険だろ。実際、ここに来る生徒は……まあ、何というか、元気な子が多いからさ。ただ、君なら工具を悪用しなさそうだからね。四人の中では、君がもっとも相応しいと思ったのだよ」
「はあ、そうですね」
天城も、苦笑しつつ頷いた。
「だから、工具はこういう場所で管理することに決まったんだ。もうすぐだからさ」
「わかりました」
「それより、ここは急斜面だからね。気をつけてよ。落ちたら、とんでもないところまで行っちゃうから。気がついたら、あの世まで行っちゃってた……ってことになるかもしれないよ」
言いながら、橋本は脇を指差す。天城も、そちらを見てみた。
一見すると、ただのなだらかな丘にしか見えない。大量の草が生えており、そんな恐ろしい場所には思えなかった。
その時、前を歩いていた橋本が頭を抱える。
「あっちゃー、やっちまったよ。先生、小屋の鍵を忘れちまったよ。アマちゃん、ちょっと待っててくれ」
「えっ?」
鍵を忘れたという言葉もさることながら、アマちゃんとは何だろう……困惑する天城の前で、橋本はすまなそうに両の手のひらを合わせてみせた。ごめん、のジェスチャーだ。
「ホントごめん。小屋を開けられないんだ。だから、ここでちょっと待ってて。座って休んでていいからさ」
そう言うと、橋本は来た道を戻っていった。
ひとり残された天城は、不安になり周りを見回す。改めて見ると、異様なところだった。辺りには、森の匂いとでもいうべきものが充満している。風に揺れる木の葉が、カサカサという音をたてていた。こんな場所に、なぜ学校など作ったのだろうか。
時おり、鳥の鳴く声が聞こえる。可愛いものではなく、キェーやグェーというようなものだ。あの奇怪な鳴き声はやめて欲しい。
その時だった。
「おーい……こっちに来なよ……」
どこからか声が聞こえた。
天城はビクリとなり、立ち上がって周囲を見回す。しかし、誰もいない。
今の何?
背筋がゾクリとなった。不気味な声の主は、どこにいるのだ。それとも幻聴か。ひょっとして、幽霊かもしれない。
「何やってる……こっちだよ……早く来な……」
またしても、あの不気味な声だ。しかも、地面の方から聞こえる。どういうことだろうか。
ひょっとして、この急斜面に誰かいるのだろうか。天城は近づいていき、そっと下を覗いてみる。
その時、何者かが音もなく近寄る。しかし、天城は気づいていなかった。
次の瞬間、天城は背中を強く押される。
突然のことに、抵抗などできない。よろけた拍子にバランスが崩れた。天城の体は、一瞬のうちに急斜面を転がり落ちていった──




