山下という教師
やがて、ふたりの乗った電車は、目的の駅に到着した。ドアが開くと、天城と灰谷は並んで降り立つ。
あたりは、異様なまでに静かであった。
「それにしても、閑散としてますねえ」
灰谷がぽつりと呟く。彼の言葉どおり、駅前はひどく寂れていた。改札口には駅員がひとり立っているだけで、無言の空気が全体を支配している。
駅を一歩出ると、舗装された道路はすぐに終わった。そこから先は雑草の茂る荒れ地と、うっそうとした森林が広がっていた。時おり、奇妙な声が聞こえる。鳥か、あるいは獣か。
いずれにしても、都会で生まれ育った天城にとっては完全な異世界だった。
「おい、なんだよここ……」
思わず口をついて出た言葉に、自分でも苦笑する。
そんな時だった。遠くから、エンジン音が近づいてくる。白い中古車が、ほこりを巻き上げながら道を走ってきた。スピードはのんびりしていて、どこか拍子抜けするような走り方だった。
「どうやら、迎えが来たようですね」
灰谷が静かに言い、天城は無言で頷いた。
やがて車は、ふたりの前で停車した。運転席のドアが開き、出てきたのは締まりのない顔の青年である。
髪は脱色されて明るい茶色、服装は白いTシャツに、ゆるんだ膝丈の短パン。足元はサンダルだ。
さらに極めつけなのは、その顔である。ぼんやりした目つきに、間延びした口元。近所のコンビニにたむろしてそうな大学生、という印象が正直なところだった。
「どうもどうもー。俺は山下修司だよ。人道学園で生活指導をしてる教師さ。君たちは……天城光一くんと、灰谷誠司くん、だよね? 迎えに来たんだよ」
「あっ、はい!」
思わず声が裏返る。天城は慌てて背筋を伸ばした。目の前の男が教師だなどと、にわかには信じられない。
パンフレットでは、「自然とふれあい、人間性を育む」だの「心のケアを大切にします」だのと、立派な言葉を並べ立てていた。
写真に写っていた教師たちも、みんな爽やかで清潔そうだった。いかにも「理想の教師像」の見本という感じの人たちであった。
普通の人間は、それを見てどう思うのかは知らない。だが、天城は嫌なものを感じた。どこかのインチキ宗教団体のような匂いを、パンフレットから感じ取っていたのだ。
パンフレットに登場していた教師と、山下はあらゆる面から見て真逆である。が、どこか親しみやすさを感じた。
「はい。僕が灰谷誠司です」
落ち着いた声で応じた灰谷は、妙に大人びた雰囲気を漂わせていた。この男、本当に自分と同じ歳なのだろうか……と天城は思った。
「じゃあ、後ろに乗って。行こうか」
山下がそう言ったその瞬間、灰谷がするりと動いた。
その動きは異様に素早く、一瞬のうちに山下へと接近していた。天城には、いつ動き出したのかすらわからなかった。
「あなたは、本当に人道学園の教師なんですか?」
鼻と鼻とが触れ合わんばかりの位置で、灰谷は尋ねた。
「う、うん。そうだよ? なにか問題でもある?」
山下は、少し引き気味に笑った。というより、体全体が後ろに反っている。灰谷の圧に、完全に引いているのだ。
一方、灰谷は彼の顔をまっすぐ見つめていた。何を考えているのか、何をする気なのか、全くわからない。横にいる天城も、なぜか緊張しつつ成り行きを見守っている。
ややあって、灰谷は口を開く。
「いえ、別に。ただ、想像とはずいぶんと違う方だったので驚いてしまいました」
驚いてしまった、などと言っているが、表情は先ほどと全く変わっていない。喜怒哀楽、どの感情も浮かんでいなかった。
対する山下は、ヘラヘラ笑いながら答える。
「あっはっは、まあね。俺、あんまり形式ばったの苦手なんだよ。ここの学園もそういうの、あんまり気にしないんだ。だから、こんな格好でも上から怒られたりしないしさ。本当、気楽でいいよ」
「そうですか。わかりました」
そう言うと、灰谷はスッと動いた。何事もなかったかのように、後部座席へと乗り込む。
山下はあやふやな表情で頷くと、天城に近づいた。
「ちょっと変わってるよね。あの子」
耳元で囁いた。その声は意外にも低く、落ち着いていた。軽薄な見た目とのギャップに、天城は少しだけ安心する。
「まあ、はい。ちょっと……どころじゃないかも知れないです」
「でも、なんか芯が強そうな子だよ。ああいうタイプ、たまにいる。俺、そういうの嫌いじゃない」
そう言って山下は微笑み、運転席に戻った。天城もまた、後部座席へと乗り込む。
車は静かに発進した。舗装されていない道をガタガタと揺れながら進む。車内では、山下も灰谷も一言も喋らなかった。そんな状態ゆえ、天城もまた無言のままであった。ただ、窓の外の風景を眺めていた。しかし、代わり映えがない。どこまで進んでも、森の中である。
やがて、天城はぼんやりと過去のことを思い出していた。
・・・
天城光一は、東京に生まれ東京に育った。両親は、光一が幼い頃に離婚し母親に引き取られた。もっとも、それも特段不幸とは思わなかった。父親の記憶はあまりなかったし、母は優しかった。
だが、中学校に入学してから全てが変わる。
それは、些細なきっかけだった気がする。思い出そうとしても、何が最初だったのかすら思い出せない。
確かなことは……気づけば、自分はいじめられる側になっていた。
暴力、無視、言葉の刃。それが日常になっていく。
学校に行くのが怖くなり、家から出ることすらできなくなっていた。
しかし、母は何も言わず見守ってくれた。優しかった。責めることも、強いることもなかった。ただ、静かに寄り添ってくれた。
そんな母が、事故で死んだ。
飲酒運転の車が暴走し、その巻き添えになったと聞いた。
それはあまりにも突然で、実感すら湧かなかった。ただ、ぽっかりと心に穴が開いたようだった。
そこに現れたのが、別れたはずの父親だった。
「光一、すまなかった。これからは、父さんと一緒に暮らそう」
優しげな笑みを浮かべていた。目元には涙すら浮かべていた。
光一は頷くしかなかった。当時は、何も考えられなかった。考えたくなかった。ただ、その場の流れに身を任せるだけだった。
母の葬式も、父が喪主を務め滞りなく済ませた。
そうこうしているうちに、光一は中学生を卒業し高校へ行く年齢になっていた。だが、今さら受験などできない。既に四月を過ぎており、どこの高校も入れない。編入試験を受けるという手もあったが、正直いって自信はなかった。
そんな時、父から意外な言葉をかけられる。
「光一、この学校に行ってみないか?」
同時に差し出されたのは、人道学園のパンフレットである。全寮制であり、大自然の中で過ごし様々な体験をさせるのが目的だと書かれている。希望者には、高卒認定試験も受けさせるという。
正直、胡散臭いと思った。これが母から言われたことであれば、即座に断っていただろう。
だが、今の光一は全てにおいて投げやりであった。しかも、父との同居生活はどうにも居心地が悪い。特に叱られるわけでも、嫌な部分があるわけでもない。
ただ、なんとなく一緒にいたくなかった。だからこそ、この話に乗ってしまった。
・・・
「そろそろ到着するよ。バスも通ってないから、車でしか行けないんだよね」
不意に聞こえてきた山下の声で、天城は現実に引き戻された。
「けっこうな山奥なんですね」
そっと尋ねると、明るい声が返ってきた。
「うん。でも、都会と違って静かだよ。空気もきれいだしね。慣れてみれば、良いところだよ。スマホ使えないけどね」
「はあ……」
そう答えたものの、天城の気持ちはまだ晴れない。
本当に、ここでやっていけるのだろうか?
天城の中に、言いようのない不安が広がっていった。




