第4話:冷たい拒絶と、歪んだ執着
それからの日々は、俺にとって生きた心地のしない拷問のような時間の連続だった。
二度目の人生では、彼らに関わらない。ふたりの幸せを邪魔せず、遠くから静かに消える。
そう決意したはずなのに、現実は真逆に転がり続けていた。
「あ、エミル! 今日の座学の講義、隣いいかな?」
「エミル、髪に葉っぱついてるよ。……ふふ、今日も本当にかっこいいね」
「ねえ、なんで目を見てくれないの? 僕、君のその綺麗な金色の瞳が見たいな」
食堂でも、訓練場でも、廊下でも。
まるで示し合わせたような「偶然」を装い、ルディウスは隙さえあれば俺の懐へと潜り込んできた。やわらかな茶色の巻き毛を揺らし、ビー玉のように澄んだ青い瞳で俺をじっと見つめてくる。その瞳に宿っているのは、社交辞令でも親愛でもない、隠しようもない甘い熱だ。
(……おかしい。何かが絶対におかしい……!)
前世の同じ時期、彼の視線の先にいたのはいつもメリーナだったはずだ。
混乱して助けを求めるように視線を巡らせても、当のメリーナは離れた席で紅茶を啜りながら、どこか生温かい……あるいは「楽しそう」とも取れる眼差しで俺たちを眺めているだけだ。
(どうしてメリーナは怒らないんだ? なぜルディウスは俺ばかりを見る……!?)
差し出される純粋な好意。無邪気なスキンシップ。
それらが差し出されるたび、俺の脳裏には前世の凄惨な光景が鮮明に蘇り、背筋を凍りつかせる。
——鮮血に染まるメリーナの胸元。
——自ら腹部を切り裂いたルディウスの絶望した顔。
——手にかかった、あの冷たく重い血の感触。
俺が二人を殺したのだ。俺の醜い嫉妬と独占欲が、すべてを壊したのだ。
そんな殺人者に、どうして笑いかけられる? どうしてそんな愛おしそうな顔で俺を追うんだ?
拒絶すればするほど近づいてくるルディウスの存在は、今の俺にとって優しさなどではなく、罪を突きつける鋭い刃そのものだった。
また二人を傷つけてしまう。俺が近くにいるだけで、またあの惨劇が繰り返されてしまうのではないか——。
恐怖で胸が押しつぶされそうになり、夜も眠れない日々が続いた。
(……出て行こう。この学校から、ふたりの視界から、完全に消えるんだ)
俺が辿り着いた答えは、ひとつしかなかった。
この寄宿学校には、年に一度、優秀な生徒を対象とした「実戦前線部隊への志願制度」が存在する。
国の国境付近で行われている泥沼の戦場への早期派遣。功績を挙げれば異例の出世が約束されるが、その分死亡率は極めて高い。前世では出世など興味のなかった俺だが、二人から物理的に距離を置くにはこれ以上の手段はなかった。
自室で志願書に自分の名前を記入し、しっかりと胸ポケットに仕舞い込む。
教官室へこれを提出すれば、もう後戻りはできない。夕闇が迫る無人の廊下を、俺は教官室へ向かって足早に歩いていた。これでいい。これで二人を守れるんだ。胸の奥を刺すような痛みを抱えながらも、どこか安堵していた、まさにその時だった。
ガシッ、と痛いほどの力で腕を掴まれた。
「……っ!?」
振り向く間もなく、力任せに体を引きずられる。
パタン、と重いドアの音が響き、俺は見覚えのある部屋——ルディウスの自室へと押し込まれていた。
「……な、なにを——」
「……どこに行こうとしてたの?」
暗がりの中、ルディウスが立っていた。
いつもの太陽のような笑みはどこにもない。影が落ちたビー玉の瞳は光を失い、ぞっとするほど暗い色を湛えて俺を鋭く射抜いていた。
彼の視線は、俺の胸ポケットから覗く紙片に固定されている。
「さっきメリーナから聞いたよ。『エミルが教官室で前線部隊の志願書を受け取ってたよ。あいつ、また極端なこと考えて死ににいく気じゃない?』って……!」
ルディウスが怒声に近い声を張り上げ、俺の肩を強く掴み据える。爪が食い込むほどの強い力。
「教官室に出しに行くつもりだったんだろ!? 死んじゃうかもしれないんだぞ! 志願者の生存率なんて半分以下だって知ってるだろ! なんでそんなことしようとするんだよ、エミル!!」
必死に俺を止めようとするルディウス。その距離の近さに、触れ合う体温のあたたかさに、俺はたまらず顔を背けた。
もう耐えられなかった。限界だった。
「……そうしないと、ダメなんだ……っ」
「エミル……?」
「そうしないと……また、二人を傷つけてしまう……! 二人をまた、壊してしまうんだ……っ!」
溢れ出たのは、絞り出すような悲鳴だった。
視界が涙で歪み、膝から崩れ落ちそうになる。前世の罪悪感と、彼を失うことへの恐怖で、胸が割れるように痛かった。ぽろぽろと零れ落ちる涙を止められない僕を見て、ルディウスはハッと息を呑んだ。
掴まれていた肩の力が、ふっと抜ける。
「……っ、なんだ……やっぱり……君も、死に戻ってたんだね……?」
ルディウスの口から漏れたのは、信じられない言葉だった。
呆然とする俺の顔を、ルディウスは狂おしいほどの愛おしさを込めた目で見つめ直す。
「ごめん……ごめんよ、エミル……っ。あぁ、泣かないで……僕の可愛いエミル……」
囁くような甘い声。
ルディウスはそっと手を伸ばすと、俺の頬を伝う涙を、優しく唇で吸い上げた。
温かく、少し湿った感触。拒絶する隙さえ与えられず、そのまま彼の顔が目の前に迫る。
「んっ……!?」
重ねられたのは、あまりにも深く、情熱的な口づけだった。
驚きで目を見開く俺の頭の後ろに手が回され、逃げられないようにしっかりと固定される。
すれ違うだけの唇ではなく、隙間をこじ開け、舌を滑り込ませてくる容赦のないキス。前世の最後に俺が彼へ贈った一方的な口づけとは違う、熱く、甘く、俺の体温をすべて奪い去るような支配的なキスだった。
(な、にが……なんで……っ!?)
頭の中が、ぐちゃぐちゃに掻き乱される。
俺は罪人だ。彼を刺した殺人者だ。それなのに、なぜ彼は俺を責めない? なぜ俺の涙を拭い、こんなにも狂おしく愛を注ぐようにキスをしてくるんだ?
「ん……ぁ……っ」
息が続かず、思考が白く染まっていく。
前世の重い罪悪感と、今唇から伝わってくる強烈な快感と甘い熱。
矛盾した感情の渦に飲み込まれながら、俺はルディウスの腕の中でただただ翻弄されることしかできなかった。




