【番外編】『敏感すぎる体と、二週間の生殺し』〜エミル視点〜
几帳面なはずのスケジュール帳を開いても、ここ最近はまったく文字が頭に入ってこない。
原因は、はっきりと分かっている。
……全部、ルディウスのせいだ。
幾多の試練を乗り越え、晴れて恋人同士になった俺たちだったが、ただ一つ、重大な問題が発生していた。
ルディウスが隙さえあればキスをねだり、肌を重ねようとしてくるのだ。ある時は放課後、人が滅多に来ない日の差し込む図書館の奥で、息もできないほど深く解かされたことだってある。
しかし、本当に頭を抱えているのはそこではない。
一番恐ろしいのは、彼に触れられるたび、俺自身の体が彼を覚えてしまっていることだった。
(な、なんだってこんなに敏感になってるんだ……っ)
授業中、制服の生地が胸や太ももに擦れるだけで、甘く痺れるような熱が走る。自分の意志とは関係なく指先が震え、頬が熱くなってしまうのだ。自分で自分に触れることなんて絶対にできるはずもない。
こんな淫らな体にされてしまっては、学業どころではないではないか。
悩み抜いた末、俺は決心した。
放課後、いつものように甘えてこようとするルディウスを制し、意を決して切り出した。
「ルディウス、しばらく……距離をとらないか?」
「え……?」
ルディウスは一瞬、完璧に呆気にとられたような顔をした。
次の瞬間、その大きな瞳を揺らし、血相を変えて俺の肩を掴んできた。
「な、なに!? どうしたのエミル!? 僕、何か嫌なことしちゃった!? やっぱりこの前の図書館は強引すぎた!? ごめんね、反省する、だから『距離をとる』なんて言わないでよ……!」
泣き出しそうな勢いで慌てふためくルディウスに、強烈な罪悪感が襲いかかる。
「そ、そうじゃないんだ! いや、それもあるかもしれないが、とにかく今は俺自身の問題で……少し落ち着くまで待ってほしい」
「僕が嫌いになったわけじゃないんだよね? 他に好きな人でもできた……?」
不安げに眉を下げ、縋るように見つめてくる。その瞳に胸が締め付けられそうになるが、理由が『体が開発されすぎて困っている』なんて、口が裂けても言えるはずがない。
「違う! 断じてそんなんじゃない! ただ、俺の問題なんだ……」
俺が言葉を濁すと、ルディウスは何かを察したように頷き、悲しげに、でも健気にニパッと笑ってみせた。
「わかった……。すごく辛いけど、エミルがそう言うなら僕、我慢するよ。いい子で待ってるからね」
その健気な笑顔を見送りながら、俺は胸の奥で何度もごめんと謝った。
◇
それから、およそ二週間が経過した。
ルディウスは約束を健気に守り、校内ですれ違っても悲しそうに手を振るだけで、必要以上に近づいてはこなかった。
これで一件落着――のはずだった。
しかし、現実は甘くなかった。
離れて過ごせば収まると思っていた体の疼きは、収まるどころか、ルディウスに触れられない飢餓感でさらに増していたのだ。一人で部屋にいても、彼の手の温もりや、耳元で囁かれる甘い声を思い出して熱熱としてしまう。
「……ハァ」
食堂の隅で深く溜め息をついていると、向かいに座ったメリーナが怪訝そうな顔でストローを咥えた。
「どうしたのよ、最近。ルディウスと喧嘩でもしたの? いつも金魚のフンみたいにくっついてたのに」
限界だった俺は、藁にもすがる思いでメリーナに(詳細な描写はぼかしつつ)事の顛末を相談してみた。
聞き終えたメリーナの反応は、あまりにも冷ややかだった。
「……はぁ。ごちそうさま。アンタねぇ、そんな下らない理由で健気なワンコを放置してたわけ?」
あきれ果てた顔で冷や汗をかく俺を見下ろしてくる。
「でも、このままじゃ授業も手につかないんだ!」
「あのねぇ、我慢しようとするから変に意識して疼くんでしょ。いっそのこと、思いっきり行くところまでしちゃえばいいじゃない。飽きるくらいに。ルディウスに『好きに触って』って言えば、泣いて喜んで応じると思うわよ?」
「〜〜〜っっ!?」
メリーナのあまりにもストレートで破廉恥な提案に、顔が一気に沸騰する。
しかし――悔しいことに、彼女の言うことには一理あるような気がしてしまった。生殺しのまま一人で悩むより、いっそすべてをルディウスに委ねてしまった方が、この苦しみから解放されるのではないか。それに幸い、明日は休日で授業もない。
その夜。俺は気づけば、ルディウスの部屋の前に立っていた。
二週間ぶりの、ルディウス。
心臓がうるさいほど脈打つ中、意を決してドアをノックする。
カチャ、とドアが開いた。
現れたルディウスは、俺の顔を見るなり、まるで捨て犬が飼い主を見つけたかのようにパッと表情を輝かせた。
「エミル……!? 嘘、入って!」
部屋に招き入れられ、二人きりになる。
緊張で口の中がカラカラになりながらも、俺は覚悟を決めて、事の顛末――なぜ距離を置こうとしたのか、そして今の自分がどうなっているのかを、顔を真っ赤にしながら途切れ途切れに打ち明けた。
話し終えると、ルディウスはしばらく呆然としていたが、やがてその表情がすうっと甘く、どこか危険で濃密な色を帯びて変化した。
「なんだ……そんなことで悩んでたんだ、エミル」
「ル、ルディウス……?」
「ごめんよ。言ってくれれば、僕がいくらでも『対処』してあげたのに」
ぽつりと呟いた瞬間、視界がぐらりと揺れた。
気づいた時には、俺は柔らかいベッドの上に押し倒されていた。見上げるルディウスの瞳には、今まで見せたこともないような揺るぎない熱と執着が宿っている。
「ねえ、エミル。僕がこの二週間、どれだけ会えなくて寂しかったか分かる……?」
耳元で低く囁かれ、首筋に熱い吐息が吹きかけられる。それだけで、二週間溜め込んだ体の熱が一気に弾けた。
「ご要望通り、朝までいーーっぱい、身体の力を抜かせてあげるね♡」
「あっ……ん、ルディウ……っ!」
服の隙間に滑り込んできたルディウスの手指は、俺の弱いところを正確になぞり、容赦なく熱を煽っていく。
あまりの快感に「もう無理、待って」と声を漏らしても、ルディウスは愛おしそうに目を細めるだけで、決して手を緩めてはくれなかった。
◇
カーテンの隙間から、心地よい朝の光が差し込んでいた。
「……う、ん……」
ゆっくりと意識が浮上する。だが、目覚めた瞬間に全身を襲ったのは、重度の倦怠感と激しい痺れだった。
指の一本すら、ピクリとも動かすことができない。全身の関節という関節から力が抜けきり、声すらまともに出ない有様だった。
「あ、起きた? おはよう、エミル」
隣から、あまりにも爽やかで満足げな声が降ってきた。
見上げると、そこには肌をツヤツヤと輝かせ、心の底からスッキリとした笑顔を浮かべたルディウスがいた。毛布から覗く彼の首筋には俺がつけた傷が残っているが、本人は心底幸せそうに俺の頬を優しく撫でてくる。
「ふふ、言ったでしょ? 力抜かせてあげるって。今日は休日でよかったね。一日中、僕がベッドの上で面倒みてあげる」
(……だ、騙された……っ)
頭の中で叫んでも、声になるのはかすかな吐息だけだ。
すっかり満たされてご機嫌なルディウスの腕の中で、俺は二度と変な我慢はすまいと、動かない体で固く心に誓うのだった。




