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『普通の恋が、したかった。』  作者: vastum


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89/92

第89話 文化祭前日

十月。


文化祭前日。


朝から学校全体が、かなり浮ついていた。


廊下には段ボール。


色紙。


装飾。


どこのクラスも準備で騒がしい。


「文化祭って感じだなー!」


藤堂が朝からかなり元気だった。


「テンション高すぎ」


倉田が呆れた顔をする。


でも。


教室の空気は、みんな少し似ていた。


授業なんて、ほとんど頭へ入っていない。


「みなと」


栞が席から少し身を乗り出す。


「今日、放課後遅くなる?」


「多分」


「私も」


その言葉だけで、少し嬉しくなる。


放課後。


教室は完全に“文化祭前夜”だった。


机を端へ寄せる。


飾り付け。


ポスター。


買ってきた猫柄の紙コップも置かれている。


「これ絶対雨宮さんだろ」


藤堂が笑う。


「可愛いじゃん」


栞が言い返す。


そのやり取りを見ながら、湊は少し笑った。


こういう時間が、かなり好きだった。


「朝比奈ー!」


呼ばれる。


「これ上貼って」


脚立を渡される。


「みなと、高いとこ平気?」


栞が聞く。


「普通」


「落ちないでね」


かなり心配そうだった。


「大丈夫」


脚立へ上がる。


教室を見下ろす。


夕方の光。


騒がしいクラスメイト。


文化祭前の空気。


その全部が、妙に青春っぽかった。


「みなと」


下から栞が見上げてくる。


「ん?」


「執事服、届いたらしい」


その瞬間。


少し止まる。


「……忘れてた」


「私は忘れてない」


かなり楽しそうな顔。


嫌な予感しかしない。


「絶対似合う」


「まだ言ってる」


「だって見たいし」


その顔が、妙に嬉しそうで、強く否定できなくなる。


準備は、思ったより長引いた。


外はもう暗くなり始めている。


教室の中だけが明るい。


「疲れたー!」


誰かが叫ぶ。


「でもなんか楽しい」


その声に、みんな少し笑った。


たしかに。


疲れてるのに、妙に楽しい。


それが文化祭前だった。


「みなと」


栞が小さく呼ぶ。


「ん?」


「ジュース買い行かない?」


「行く」


二人で教室を抜ける。


廊下。


静かな階段。


さっきまでの騒がしさが少し遠くなる。


自販機前。


夜の空気。


少し冷たい風。


「秋って感じ」


栞が小さく言う。


「昼との差すごい」


ジュースを買う。


缶コーヒー。


カフェオレ。


その何でもない時間が、かなり落ち着く。


「ねえ」


栞が缶を持ちながら言う。


「ん?」


「明日、ちょっと緊張する」


その言葉に、湊は少しだけ笑う。


「文化祭で?」


「うん」


栞は少し夜空を見る。


「なんか、特別な日になりそうだから」


その声が、かなり柔らかい。


湊も少し空を見る。


去年まで。


文化祭なんて、“学校行事”くらいだった。


でも今は違う。


好きな人と同じクラスで。


同じ準備をして。


一緒に当日を迎える。


それだけで、かなり特別だった。


「……もう特別だろ」


自然にそう言っていた。


栞が少し止まる。


それから。


かなり嬉しそうに笑った。


「そうかも」


その顔を見るだけで、胸の奥が温かくなる。


少し沈黙。


でも。


その静けさが心地いい。


夜風。


秋の匂い。


遠くから聞こえる準備の声。


全部が、ゆっくり流れていく。


「みなと」


「ん?」


栞が少しだけ近づく。


かなり近い。


「明日、いっぱい写真撮ろうね」


その言葉が、静かに胸へ残る。


文化祭の写真。


多分、何年経っても見返すやつだ。


「……撮る」


湊が言う。


栞は少し笑った。


「あと」


「ん?」


「執事姿も」


「それは嫌」


即答だった。


すると。


栞が吹き出した。


「絶対かっこいいのに」


「ハードル上げるな」


二人で少し笑う。


その空気が、かなり好きだった。


教室へ戻る。


文化祭前夜の空気。


騒がしいクラス。


でも。


その中で、ふと栞と目が合う。


少し笑う。


それだけで、不思議と安心する。


帰り道。


夜。


少し冷たい風。


「明日、晴れるかな」


栞が言う。


「多分」


「晴れてほしい」


その声が、少し楽しそうだった。


駅が見えてくる。


電車の光。


夜のホーム。


「ねえ、みなと」


「ん?」


栞が少しだけ照れながら笑う。


「文化祭、みなとと回るの楽しみ」


その瞬間。


胸の奥が、じんわり熱くなる。


湊は少しだけ空を見る。


秋の夜空。


その景色を見ながら、小さく笑った。


「……かなり」


またその言葉。


でも。


明日への楽しみが、ちゃんと全部詰まっていた。

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