第85話 放課後の教室
九月。
二学期。
放課後。
窓の外が少しずつオレンジ色になっていた。
夏ほどじゃない。
でも、まだ少し暑い。
教室の中には、夕方特有の静かな空気が流れていた。
「じゃあなー」
藤堂が鞄を持って出ていく。
「また明日」
倉田も続く。
少しずつ、人が減っていく教室。
その空気が、朝比奈湊は結構好きだった。
静かで。
ゆっくりしていて。
なんか、“放課後”って感じがするから。
「みなと」
声。
振り向く。
栞。
新しい席になってから、前みたいに授業中ずっと隣じゃなくなった。
でも。
こうして放課後になると、自然に一緒に帰る。
それが、今はかなり当たり前になっていた。
「今日、日直だった」
栞が少し困った顔をする。
「黒板消すの手伝って」
「いいよ」
黒板。
チョークの跡。
夕方の光。
その景色が、妙に青春っぽかった。
「なんかさ」
栞が黒板を消しながら言う。
「ん?」
「放課後の教室って好き」
その言葉に、湊は少し窓の外を見る。
夕焼け。
静かな教室。
遠くから聞こえる運動部の声。
たしかに。
かなり好きな空気だった。
「分かる」
そう返すと、栞は少し笑った。
「みなと、こういうの好きそう」
「何そのイメージ」
「なんとなく」
黒板を消す。
チョークの粉が少し舞う。
その時。
「……っ」
栞が少し背伸びした。
上の方が届かないらしい。
「貸して」
湊が前へ出る。
近い。
かなり。
栞の髪が肩へ軽く触れた。
その瞬間、少し心臓が跳ねる。
「みなと」
「ん?」
「今ちょっと意識した」
かなり楽しそうな顔。
「……するだろ」
「分かりやすい」
最近ほんとそればっかだ。
でも。
栞が嬉しそうだから、悪くない。
黒板を消し終わる。
誰もいない教室。
夕方。
静かな空気。
「なんか」
栞が小さく言う。
「ん?」
「二人きりだね」
その言葉が、妙に静かに響く。
たしかに。
教室に残ってるのは、自分たちだけだった。
風が吹く。
カーテンが揺れる。
夕焼けの光が、教室へ入ってくる。
その景色が、かなり綺麗だった。
「みなと」
「ん?」
栞が少しだけこちらを見る。
かなり柔らかい目だった。
「夏休み終わったのに、まだ毎日楽しい」
その言葉が、静かに胸へ沁みる。
湊は少しだけ笑った。
「……俺も」
本当に。
学校が始まったら少し寂しくなると思っていた。
でも。
教室で会える。
放課後がある。
帰り道がある。
その全部が、ちゃんと特別だった。
「ねえ」
栞が小さく言う。
「ん?」
「席離れたの、ちょっとだけ嫌だった」
その声は、少し照れていた。
湊は少し笑う。
「俺も」
即答だった。
すると。
栞が少しだけ目を丸くする。
それから。
かなり嬉しそうに笑った。
「なんか安心した」
その顔を見るだけで、胸の奥が温かくなる。
少し沈黙。
でも。
その静けさが心地いい。
窓の外。
夕焼け。
遠くの部活の声。
全部が、ゆっくり流れていく。
「みなと」
「ん?」
栞が少しだけ近づく。
かなり近い。
夕方の光が、その横顔を照らしていた。
「……キスしたくなった」
その瞬間。
心臓が、本気で止まりそうになる。
「……急」
やっとそれだけ返す。
栞はかなり照れていた。
耳が赤い。
でも。
ちゃんとこちらを見ている。
「だって、今なんかそういう空気」
小さい声。
その言葉に、湊は少しだけ息を吐く。
確かに。
静かな放課後。
二人きりの教室。
夕焼け。
全部が、少し特別だった。
湊はゆっくり栞へ近づく。
栞も、逃げない。
むしろ。
少しだけ目を閉じた。
夕方の教室。
静かな空気。
その中で、そっと唇が触れる。
短い。
でも。
胸が熱くなるには十分だった。
離れる。
数秒。
二人とも少し動けない。
「……みなと」
栞が小さく笑う。
かなり顔が赤い。
「放課後って感じ」
その言葉に、湊は思わず笑ってしまう。
「どういう感じだよ」
「青春っぽい」
またそれだ。
でも。
今日は本当にそう思った。
好きな人と。
夕焼けの教室でキスする。
そんなの、完全に青春だった。
帰り道。
夕方から夜へ変わる空。
少し涼しい風。
「ねえ」
栞が小さく言う。
「ん?」
「今日、多分ずっと忘れない」
その言葉が、静かに胸へ残る。
湊は少し空を見る。
秋に近づいていく空。
でも。
胸の奥は、まだ夏みたいに熱かった。
「……俺も」
自然にそう返していた。
そして、二人で少し笑った。




