第82話 八月の終わり
八月最後の週。
昼過ぎ。
空は高かった。
真夏みたいな強さは少し減ったけど、まだ十分暑い。
セミの声も聞こえる。
でも。
どこか、“夏の終わり”が近づいている空気だった。
朝比奈湊は、自室の机へ突っ伏しながら小さく息を吐く。
「……終わらない」
目の前。
夏休みの宿題。
最後まで残していた読書感想文。
完全に自業自得だった。
スマホが震える。
『進んでる?』
栞から。
湊は少しだけ笑う。
『現実逃避してる』
すぐ既読。
『最低』
『助けて』
少し間。
それから。
『行く』
その一言だけで、かなり救われた気分になる。
午後。
インターホン。
玄関を開ける。
「お邪魔します」
栞。
今日はかなりラフな格好だった。
大きめのTシャツ。
短パン。
髪は後ろで軽く結んでいる。
“夏休みの終わり”って感じの姿だった。
「暑い」
栞が小さく言う。
「ごめん、部屋涼しいから」
「生き返る」
その感じが、妙に可愛い。
部屋。
机。
参考書。
ノート。
なんか、付き合う前だったら絶対想像してなかった景色だった。
好きな人が、自分の部屋で一緒に宿題してる。
それだけで、かなり特別だった。
「どこまでやったの?」
栞が聞く。
湊は少し黙る。
「……半分」
「絶対嘘」
かなり即答だった。
「三割」
「正直」
栞が笑う。
その笑顔を見るだけで、少し安心する。
机を並べる。
シャーペンの音。
ページをめくる音。
エアコンの風。
静かな時間。
でも。
その空気が、かなり心地いい。
「みなと」
「ん?」
「全然進んでない」
「栞のせい」
「なんで」
「いるから」
反射みたいに言ってしまう。
すると。
栞が少し止まった。
それから。
耳を赤くしながら笑う。
「……そういうの急に言う」
「本音」
「ずるい」
でも。
かなり嬉しそうだった。
少し休憩。
コンビニで買ってきたアイスを食べる。
夏の終わりのアイス。
窓の外には、白い雲。
「なんかさ」
栞がアイスを食べながら言う。
「ん?」
「夏休み終わる実感ない」
その言葉に、湊は少し窓の外を見る。
たしかに。
まだ夏は続きそうなのに。
もうすぐ学校が始まる。
「でも、あとちょっとだな」
「ね」
栞が少し笑う。
でも。
その笑い方は少しだけ寂しそうだった。
「みなと」
「ん?」
「夏休み、楽しかった?」
その質問に、湊は少しだけ止まる。
楽しかった。
本当に。
去年までとは、比べ物にならないくらい。
海。
花火。
夜の電話。
宿題。
何でもない帰り道。
その全部が、特別だった。
「……かなり」
自然にそう答えていた。
栞は少し吹き出す。
「ほんとそれ好きだね」
「便利だから」
「でも分かる」
栞は少しだけ窓の外を見る。
夏の光が、その横顔へ当たっていた。
「私も、かなり楽しかった」
その声が、かなり柔らかい。
部屋に少し沈黙が落ちる。
でも。
その静けさが苦しくない。
むしろ、安心する。
風。
エアコンの音。
好きな人の存在。
その全部が、穏やかだった。
「ねえ」
栞が小さく言う。
「ん?」
「二学期始まっても、いっぱい帰ろうね」
その言葉が、静かに胸へ沁みる。
教室。
放課後。
帰り道。
その時間が、自分たちの始まりだった。
「……帰る」
湊が言う。
栞は少し嬉しそうに笑った。
「よかった」
夕方。
宿題は、思ったより進んだ。
……いや、半分くらいは雑談だったけど。
でも。
その時間がかなり好きだった。
「終わったー」
湊が机へ突っ伏す。
「まだ全部じゃない」
栞が笑う。
「もう頑張った」
「子供」
かなり楽しそうだった。
窓の外。
夕焼け。
夏の終わりみたいな光。
「みなと」
「ん?」
栞が少しだけこちらを見る。
かなり優しい目だった。
「今年の夏、みなとと過ごせてよかった」
その言葉が、真っ直ぐ胸へ入ってくる。
湊は少しだけ息を吐く。
それから。
小さく笑った。
「……俺も」
本当に。
今年の夏は、多分一生忘れない。
好きな人と過ごした夏。
その全部が、自分の中で特別になっていた。
玄関。
帰る時間。
少し涼しくなった夜風が入ってくる。
「また明日ね」
栞が笑う。
その言葉が、かなり自然になっていることが嬉しかった。
「うん」
栞が外へ出る。
でも。
少しだけ振り返った。
「みなと」
「ん?」
少し照れながら。
でも、ちゃんと笑って言う。
「夏、終わるのちょっと嫌だね」
その声が、静かに胸へ残る。
湊は少しだけ夜空を見る。
夏は終わる。
でも。
この気持ちは、きっと終わらない。
「……でも、次もあるだろ」
そう返すと、栞は少しだけ目を細めた。
「うん」
その笑顔が、夜の空気の中でかなり綺麗だった。




