第79話 夏休みの宿題
八月。
夏休み。
昼。
外はかなり暑かった。
セミの声も、七月よりさらに本気を出している。
エアコンの効いた部屋との温度差がひどい。
朝比奈湊は机へ向かいながら、小さくため息を吐いた。
「……終わる気しない」
目の前。
夏休みの宿題。
数学。
英語。
読書感想文。
積まれているだけで、やる気が消える。
スマホが震える。
『宿題してる?』
栞から。
湊は少し笑った。
『今絶望してる』
すぐ既読。
『同じ』
数秒後。
『一緒にやる?』
その一言だけで、少しだけやる気が戻る。
『行く』
昼過ぎ。
駅前。
夏の日差しがかなり強い。
でも。
今日は外より、“勉強しなきゃ”って現実の方が重かった。
「みなと」
声。
振り向く。
栞。
今日は髪を軽くまとめていた。
白いノースリーブに薄いカーディガン。
夏っぽい。
そして、かなり涼しそうだった。
「……暑そう」
湊が言う。
栞は少し笑う。
「みなとの方が暑そう」
「宿題のせい」
「重症」
二人で少し笑う。
ファミレス。
夏休みだから、学生がかなり多い。
勉強してる人。
喋ってる人。
ドリンクバーを何往復もしてる人。
全部、“夏休み”って感じだった。
「よし」
栞がノートを開く。
「やるか」
「うん」
……十分後。
「無理」
湊が呟く。
「早い」
栞が笑う。
「数学嫌い」
「まだ一ページ」
「もう帰りたい」
「だめ」
かなり即答だった。
でも。
そのやり取りが妙に楽しい。
「みなと」
「ん?」
「ここ違う」
栞がノートを指差す。
近い。
肩が軽く触れそうな距離。
夏の匂い。
髪が少し揺れる。
その全部が近くて、全然集中できない。
「……近い」
思わず小さく言う。
栞は少し笑った。
「教えてるから」
「ずるい」
「何が?」
かなり全部だ。
でも。
栞は楽しそうだった。
ドリンクバー。
冷たいジュース。
少し眠くなる空気。
でも。
好きな人と並んで宿題してるだけで、妙に楽しかった。
「ねえ」
栞がストローをくわえながら言う。
「ん?」
「去年の夏休みって、こんな感じだった?」
その質問に、湊は少し考える。
去年。
一人でだらだらして。
ギリギリで宿題やって。
終わった。
そんな感じだった気がする。
「全然違う」
正直に言う。
栞は少し笑った。
「私も」
そして。
少しだけ照れながら続ける。
「今年の方が好き」
その言葉が、静かに胸へ落ちる。
たぶん。
自分も同じだった。
午後。
少しずつ宿題も進む。
……いや、半分くらいは雑談だった。
でも。
その時間がかなり心地いい。
「みなと」
「ん?」
「ちゃんと集中して」
「してる」
「絶対嘘」
栞が笑う。
その顔を見るだけで、また集中力が消える。
「……見てた」
「知ってる」
かなり分かりやすいらしい。
夕方。
窓の外が少しオレンジ色になる。
ファミレスの中も、少し静かになっていた。
「結構進んだね」
栞がノートを閉じながら言う。
「栞のおかげ」
「みなと一人だったら終わってない」
「否定できない」
二人で少し笑う。
その空気が、かなり好きだった。
帰り道。
夕方の風。
昼より少し涼しい。
「夏休みの宿題ってさ」
栞が歩きながら言う。
「ん?」
「嫌なのに、なんか夏っぽいよね」
その言葉に、湊は少し笑う。
「分かる」
ファミレス。
ドリンクバー。
好きな人と宿題。
それも、多分青春なんだと思う。
「みなと」
「ん?」
栞が少しだけこちらを見る。
夕方の光の中で、その目がかなり柔らかかった。
「今日、楽しかった」
その言葉が、真っ直ぐ胸へ入ってくる。
湊は少しだけ笑った。
「宿題なのに?」
「みなといたから」
その返しが、かなりずるい。
でも。
胸の奥がじんわり熱くなる。
「……俺も」
自然にそう返していた。
駅へ向かう。
夕焼け。
セミの声。
少し疲れた体。
でも。
心はかなり満たされていた。
「ねえ」
栞が小さく言う。
「ん?」
「夏休み終わるまでに、宿題終わるかな」
かなり不安そうな声。
湊は少し考える。
それから、小さく笑った。
「……まあ、一緒にやれば」
そう言うと、栞は少し目を丸くした。
それから。
かなり嬉しそうに笑った。
「うん」
その笑顔が、夕方の夏空よりずっと綺麗だった。




