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『普通の恋が、したかった。』  作者: vastum


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第78話 夏の夜道

七月の終わり。


夜。


昼間の熱気が、まだ少し残っていた。


でも。


風は少しだけ涼しい。


朝比奈湊は、自室でスマホを見ながら小さく息を吐く。


今日は昼間、家族の予定で外へ出ていた。


だから、栞とは会っていない。


たった一日。


でも。


最近は会うのが当たり前になっていたせいか、少し物足りなかった。


スマホが震える。


『暇』


栞から。


その一言だけで、自然に笑ってしまう。


『俺も』


すぐ既読。


『ちょっと散歩しない?』


その文字を見た瞬間、心臓が少し跳ねる。


夜の散歩。


なんか、それだけで特別だった。


『行く』


即答。


『駅前』


『うん』


夜。


駅前。


昼より人は少ない。


でも、夏の夜特有のざわざわした空気があった。


コンビニの光。


車の音。


遠くで聞こえる虫の声。


その全部が、妙に心地いい。


「みなと」


声。


振り向く。


栞。


黒いTシャツ。


薄いスカート。


昼間より少し大人っぽく見える。


夜のせいかもしれない。


「こんばんは」


栞が笑う。


「こんばんは」


なんか変な感じだった。


昼じゃない。


制服でもない。


夜に会うだけで、空気が少し違う。


「夜なのに暑いね」


栞が言う。


「夏だからな」


「でも昼より好きかも」


たしかに。


夜風。


少し静かな街。


その空気が、かなり落ち着く。


二人で歩く。


特に目的地はない。


ただ、並んで歩く。


それだけ。


でも。


その時間がかなり好きだった。


「みなと」


「ん?」


「最近、夏休み楽しい?」


その質問に、湊は少し笑う。


「かなり」


「またそれ」


栞が笑う。


でも。


その“かなり”以外、本当に出てこなかった。


毎日が、ちゃんと楽しい。


「去年の夏って、何してた?」


栞が聞く。


湊は少し考える。


家。


ゲーム。


適当に過ごして終わった気がする。


「普通にだらけてた」


「私も」


栞が少し笑う。


「でも今年、全然違う」


その声が、かなり柔らかい。


たしかに。


今年は違う。


予定がある。


会いたい人がいる。


夜に散歩したり。


電話したり。


そんなことが、全部特別だった。


コンビニで飲み物を買う。


夜のコンビニ。


明るい光。


少し冷たい空気。


その感じが、なんか好きだった。


「みなと」


「ん?」


「炭酸飲める?」


「普通に」


「じゃあ交換しよ」


その瞬間。


また少し心臓が跳ねる。


最近、本当に距離感がおかしい。


でも。


嫌じゃない。


むしろ。


その近さが、かなり嬉しい。


外へ出る。


夜風。


湿った夏の空気。


缶ジュースを飲む。


炭酸が喉に刺さる。


「夏って感じ」


栞が言う。


「分かる」


少し歩く。


川沿い。


前にも来た場所。


夜だから、昼より静かだった。


水の音。


虫の声。


街灯の光。


その全部が、かなり綺麗だった。


「ねえ」


栞が小さく言う。


「ん?」


「夏、終わるの嫌だね」


その言葉に、湊は少し空を見る。


夜空。


薄い雲。


たしかに。


夏って、始まる前は長く感じるのに、始まるとすぐ終わる。


「まだ七月だけどな」


「でも、なんかすぐ終わりそう」


栞が少し笑う。


その笑い方が、少しだけ寂しそうだった。


湊は少しだけ考える。


それから。


「……終わっても、また来年あるだろ」


自然にそう言っていた。


栞は少しだけこちらを見る。


「うん」


「その時も、多分一緒にいる」


言ったあとで、自分でも少し止まる。


でも。


本音だった。


栞は数秒こちらを見ていた。


それから。


かなり柔らかく笑った。


「……それ、なんか嬉しい」


その笑顔が、夜の中でかなり綺麗だった。


少し沈黙。


でも。


その静けさが心地いい。


風が吹く。


栞の髪が揺れる。


夜の匂い。


夏の空気。


全部が、ゆっくり流れていく。


「みなと」


「ん?」


栞が少しだけこちらへ近づく。


肩が軽く触れる。


「今日、会えてよかった」


その小さい声が、真っ直ぐ胸へ入ってくる。


湊は少し笑った。


「……俺も」


本当に。


ただ夜を歩いてるだけなのに。


それだけで、かなり幸せだった。


駅へ戻る道。


街灯。


夜風。


少し眠そうな空気。


「なんか」


栞が小さく笑う。


「ん?」


「夜の散歩、ハマりそう」


「分かる」


昼とは違う。


静かで。


ゆっくりで。


でも。


好きな人との距離は、少し近く感じる。


駅が見えてくる。


電車の音。


夜のホーム。


「みなと」


「ん?」


栞が少しだけ照れながら笑った。


「来年の夏も、いっぱい会おうね」


その言葉が、静かに胸へ沁みる。


湊は少しだけ目を細めた。


「……かなり」


またその言葉。


でも。


今日はその“かなり”に、未来まで全部詰まっている気がした。

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