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『普通の恋が、したかった。』  作者: vastum


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第76話 夜更かし

七月。


夏休み。


夜。


窓の外から、虫の声が聞こえていた。


昼間の暑さはまだ少し残っている。


でも。


夜風は少しだけ涼しい。


朝比奈湊はベッドへ寝転びながら、スマホを見ていた。


時刻は十一時前。


本当なら、そろそろ寝る時間。


でも。


今日はまだ眠くなかった。


というより。


眠りたくなかった。


スマホが震える。


『起きてる?』


栞から。


湊は少し笑う。


『起きてる』


すぐ既読。


『よかった』


その三文字だけで、胸の奥が少し温かくなる。


数秒後。


着信。


『栞』


表示を見た瞬間、自然に口元が緩む。


「……もしもし」


『もしもし、みなと』


夜の声。


昼より少し柔らかい。


その声を聞くだけで、部屋の空気まで変わる気がした。


「眠くないの?」


湊が聞く。


『ちょっと昼寝しちゃった』


「子供かよ」


『みなとも寝てないじゃん』


「まあ」


栞が少し笑う。


その声が、かなり好きだった。


少し沈黙。


でも。


その静けさが心地いい。


『ねえ』


栞が小さく言う。


「ん?」


『最近、夏休みっぽい』


またその言葉。


でも。


今日はその意味がよく分かった。


昼まで寝て。


好きな人と会って。


夜に電話して。


そんな毎日が、すごく夏休みっぽかった。


「みなと」


『ん?』


「海の写真、また見てた」


その瞬間。


湊は少しだけ天井を見る。


「……俺も」


かなり見た。


しかも。


ほとんど栞が写ってるやつ。


『やっぱり』


楽しそうな声。


「何が」


『絶対そうだと思った』


完全に読まれている。


でも。


否定もできなかった。


「栞」


『ん?』


「水着、ほんと反則だった」


思わず言ってしまう。


電話の向こうで、一瞬静かになる。


それから。


『……急』


かなり照れてる声。


「本音」


『みなと、最近ほんとそういうこと普通に言う』


「思ったから」


すると。


電話の向こうで、小さく笑う声がした。


『……嬉しいけど』


その声が、かなり柔らかい。


窓の外。


夜風。


虫の声。


その全部が、ゆっくり流れていく。


『ねえ』


栞がまた小さく言う。


「ん?」


『夏休み終わるの嫌かも』


その言葉に、湊は少しだけ止まる。


まだ始まったばかりなのに。


でも。


分かる気がした。


今が楽しすぎるから。


「分かる」


『学校も好きだけど』


「うん」


『今の感じ、ずっと続けばいいのに』


その声が、少しだけ静かだった。


湊は少しだけスマホを握り直す。


「……続くだろ」


自然にそう言っていた。


『ほんと?』


「多分」


『“多分”なんだ』


栞が笑う。


その笑い声につられて、湊も笑った。


夜。


電話。


好きな人の声。


それだけなのに。


どうしてこんなに安心するんだろう。


『みなと』


「ん?」


少しだけ。


栞の声が静かになる。


『今日、会いたかった』


その瞬間。


胸の奥が、一気に熱くなる。


「……今日会ってないだけだろ」


『でも会いたかった』


真っ直ぐだった。


飾ってない。


でも。


だからこそ、かなり嬉しい。


「……俺も」


自然にそう返していた。


電話の向こうで、少しだけ嬉しそうに笑う気配がした。


時刻は、もう日付が変わりそうだった。


でも。


どちらも電話を切ろうとしない。


『みなと』


「ん?」


『眠い?』


「まだ」


『私も』


少し笑う。


多分、お互い同じだった。


まだ話していたい。


ただそれだけ。


『なんかさ』


栞が小さく言う。


「ん?」


『こういう時間、好き』


その言葉が、静かに胸へ沁みる。


夜更かし。


電話。


好きな人の声。


何気ない時間。


でも。


多分、あとで思い返した時、一番忘れられないのはこういう夜なんだと思う。


「……俺も好き」


小さい声。


でも、本音だった。


電話の向こうで、少し静かになる。


それから。


『……今ちょっとドキッとした』


かなり照れた声。


湊は思わず少し笑う。


「栞もたまにそういうこと言うだろ」


『私はいいの』


「ずるいな」


二人で少し笑う。


窓の外。


夏の夜。


虫の声。


静かな部屋。


でも。


耳元には、栞の声がある。


それだけで、かなり幸せだった。


『ねえ、みなと』


「ん?」


『夏終わっても、いっぱい電話しよ』


その言葉に、湊は少しだけ目を閉じる。


夏は、いつか終わる。


でも。


今のこの気持ちは、多分ちゃんと残る。


「……する」


そう返すと、栞は小さく笑った。


『約束ね』


その声が、かなり優しかった。


時計を見る。


もう深夜だった。


でも。


今日は、まだ少しだけ眠りたくなかった。

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