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『普通の恋が、したかった。』  作者: vastum


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第75話 夏の匂い

海へ行った次の日。


朝。


目が覚めた瞬間、体が少し重かった。


日焼け。


疲れ。


そして、多分寝不足。


昨日のことを思い出しすぎたせいだ。


朝比奈湊はベッドの上で小さく息を吐く。


窓の外。


青空。


セミの声。


完全に夏だった。


スマホを見る。


通知。


『筋肉痛』


栞から。


その一言だけで、思わず笑ってしまう。


『俺も』


すぐ既読。


『海、体力使う』


『はしゃぎすぎ』


『みなとも』


そのやり取りだけで、昨日の海が頭へ蘇る。


波。


夕焼け。


水着姿の栞。


思い出した瞬間、また少し心臓がうるさくなる。


『今日どうする?』


湊が送る。


少し間。


それから。


『会う?』


その四文字を見て、自然に口元が緩む。


『会う』


もう最近、即答しかしていない気がする。


昼。


駅前。


昨日より少しだけ風がある。


でも、かなり暑い。


「みなと」


声。


振り向く。


栞。


今日は髪を下ろしていた。


白いTシャツ。


ラフな格好。


でも。


海の次の日だからか、妙に距離が近く感じる。


「おはよう」


「もう昼」


「分かってる」


栞が少し笑う。


その笑顔を見るだけで、胸の奥がじんわり温かくなる。


「日焼けしたね」


栞が言う。


「栞も」


腕。


首元。


少しだけ赤くなっている。


夏の跡だった。


「痛い?」


湊が聞く。


栞は少しだけ腕を見る。


「ちょっと」


そう言いながら笑う。


その姿が、なんか愛しかった。


ショッピングモール。


涼しい。


「生き返る」


栞が小さく息を吐く。


二人で適当に店を回る。


本屋。


雑貨屋。


服屋。


でも。


今日はどこか、空気がゆっくりしていた。


海のあとだからかもしれない。


疲れているのに、心地いい。


「みなと」


「ん?」


「昨日の写真見た?」


その瞬間。


心臓が少し跳ねる。


「……見た」


かなり見た。


夜、寝る前に何回も。


「どうだった?」


栞が少しだけこちらを見る。


湊は少し考える。


でも。


結局、本音しか出てこなかった。


「……可愛かった」


言った瞬間。


栞が止まる。


それから。


かなり顔を赤くしながら笑った。


「またそういうこと言う」


「本音」


「ずるい」


でも。


かなり嬉しそうだった。


フードコート。


冷たい飲み物。


少し遅めの昼ご飯。


夏休みだからか、人も多い。


「なんかさ」


栞がストローをくわえながら言う。


「ん?」


「海行ったあとって、夏始まった感ある」


その言葉に、湊は少し笑う。


「分かる」


去年までの夏とは、全然違う。


予定がある。


思い出が増えていく。


好きな人が隣にいる。


それだけで、毎日が少し特別だった。


「みなと」


「ん?」


「昨日、楽しかったね」


かなり柔らかい声。


湊は少しだけ窓の外を見る。


強い光。


夏の空。


その景色を見ながら、小さく頷く。


「かなり」


またその言葉。


でも。


昨日の海を思い出すと、本当にそれしか出てこない。


午後。


少しだけ遠回りして帰る。


川沿い。


夏の風。


セミの声。


昨日より少し静かな時間。


でも。


その空気が、かなり心地よかった。


「ねえ」


栞が小さく言う。


「ん?」


「なんか、夏の匂いする」


湊は少し空気を吸う。


草の匂い。


暑いアスファルト。


少し湿った風。


たしかに、“夏”の匂いだった。


「分かる」


「好きかも」


栞が笑う。


その横顔を見る。


夕方の光。


少し日焼けした肌。


風で揺れる髪。


その全部が、妙に綺麗だった。


「……みなと」


「ん?」


栞が少しだけこちらを見る。


「また見てる」


かなり楽しそうだった。


「仕方ないだろ」


「最近ほんと素直」


自分でもそう思う。


でも。


好きな人を見て、好きだって思うのを、もう隠せなかった。


少し沈黙。


でも、その静けさが心地いい。


「みなと」


また名前を呼ばれる。


「ん?」


栞が少しだけ近づく。


肩が軽く触れる。


「昨日より、もっと好きかも」


その瞬間。


胸の奥が、一気に熱くなる。


夕方の風。


セミの声。


全部が遠くなる。


「……急だな」


やっとそれだけ返す。


すると。


栞は少し照れながら笑った。


「ほんとに思ったから」


その顔が、かなり愛しかった。


湊は少しだけ空を見る。


夕焼けが、川へ反射している。


夏の景色。


そして、隣には栞。


「……俺も」


自然にそう返していた。


栞は少しだけ目を細めた。


かなり嬉しそうだった。


駅へ向かう道。


夕方から夜へ変わる空。


その景色を見ながら、湊は思う。


夏って、多分。


景色だけじゃない。


好きな人が隣にいるだけで、全部特別になるんだと。

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