第74話 夏の海
朝。
かなり早い時間。
でも、外はもう明るかった。
セミの声。
青空。
窓から入ってくる夏の光。
完全に海日和だった。
朝比奈湊は、鏡の前で何回目か分からない確認をしていた。
髪。
服。
財布。
スマホ。
全部問題ない。
でも。
心臓だけ、全然落ち着かない。
今日は、栞と海へ行く。
しかも。
水着。
そこを考えるだけで、朝からかなり危なかった。
スマホが震える。
『起きてる?』
栞。
『起きてる』
すぐ既読。
『えらい』
『子供扱いすんな』
数秒後。
『でもちょっと安心した』
その一言だけで、少し口元が緩む。
駅前。
朝なのに、かなり暑い。
海へ向かう人も多い。
サンダル。
帽子。
浮き輪。
夏の景色だった。
「みなと」
声。
振り向く。
そして。
その瞬間、時間が止まった。
栞。
白い薄手の上着。
その下に見える、水色の水着。
短パン。
少しまとめた髪。
夏の光の中で、その姿が信じられないくらい綺麗だった。
「……え」
やっと出た声が、それだった。
栞は少し照れたように笑う。
「その反応なに」
「……いや」
無理だ。
これは。
かなり無理。
「変?」
少し不安そうに聞いてくる。
その瞬間。
湊はかなり強く首を横に振った。
「全然」
即答だった。
「……めちゃくちゃ似合ってる」
言った瞬間。
栞が少し止まる。
それから。
耳を赤くしながら、小さく笑った。
「……ありがと」
その顔が、また心臓に悪い。
電車。
今日は少し遠出。
窓の外には、夏の景色が流れていく。
青空。
海へ向かう道。
その全部が、かなり特別だった。
「ねえ」
栞が小さく言う。
「ん?」
「みなと、今日ずっと静か」
「仕方ないだろ」
「そんなに?」
かなり楽しそうな顔。
「……水着、破壊力ある」
正直に言ってしまう。
すると。
栞が一瞬止まった。
それから。
かなり顔を赤くしながら笑った。
「急にそういうこと言う」
「本音」
最近、本当に隠せなくなっている。
海。
駅を降りた瞬間、潮の匂いがした。
青い海。
白い砂浜。
強い日差し。
夏そのものだった。
「すご」
栞が目を細める。
その横顔が、かなり綺麗だった。
砂浜を歩く。
足が少し熱い。
波の音。
子供たちの声。
全部が、キラキラして見える。
「みなと」
「ん?」
「海、久しぶり?」
「かなり」
「私も」
二人で少し笑う。
その空気が、かなり心地いい。
荷物を置く。
パラソル。
レジャーシート。
全部が“夏のイベント”って感じだった。
でも。
湊は正直、それどころじゃなかった。
近い。
水着姿の栞が、ずっと近い。
しかも。
本人が全然無防備だ。
「みなと」
「ん?」
「顔赤い」
「暑いから」
「絶対違う」
かなり楽しそうだった。
海へ入る。
冷たい。
気持ちいい。
「うわ、冷たっ」
栞が少し跳ねる。
その反応が、妙に可愛い。
「慣れれば平気」
「みなと、意外と普通に楽しんでる」
「意外って何」
波が来る。
二人とも少しバランスを崩す。
その瞬間。
栞が反射的に湊の腕を掴んだ。
「……っ」
近い。
かなり。
濡れた髪。
夏の匂い。
全部が近すぎる。
「……ごめん」
栞が少し照れながら言う。
「いや」
心臓が、かなり危ないだけだ。
昼。
海の家。
焼きそば。
かき氷。
夏の定番みたいな昼ご飯。
でも。
好きな人と食べるだけで、全部特別だった。
「みなと」
「ん?」
「今日、楽しそう」
栞が笑う。
湊も少し笑った。
「まあ」
本当に楽しかった。
海。
夏。
好きな人。
それだけで、十分だった。
午後。
少しだけ浜辺を歩く。
波打ち際。
濡れた砂。
夏の光。
その景色が、信じられないくらい綺麗だった。
「ねえ」
栞が小さく言う。
「ん?」
「今日、来れてよかった」
その声が、かなり優しい。
湊は少しだけ海を見る。
青い波。
光る水面。
そして。
隣にいる栞。
「……俺も」
自然にそう返していた。
風が吹く。
栞の髪が揺れる。
その瞬間。
湊は、また少し見惚れてしまう。
「みなと」
「ん?」
「また見てる」
かなり嬉しそうな顔。
「……仕方ないだろ」
そう言うと、栞は少しだけ照れながら笑った。
「そんなに?」
その問いに、湊は少しだけ止まる。
でも。
今日は、ちゃんと言いたかった。
「……今日、ずっと可愛い」
小さい声。
でも、本音だった。
栞は数秒止まる。
それから。
顔を真っ赤にしながら、俯いた。
「……海、暑すぎる」
絶対誤魔化してる。
でも。
その反応が、かなり愛しかった。
夕方。
少しずつ空がオレンジ色になる。
海が、夕陽で光っていた。
帰る時間。
でも。
まだ少し帰りたくない。
そんな空気だった。
「夏休みって感じだったね」
栞が小さく言う。
「かなり」
またその言葉。
でも。
今日は、本当にそれしか出てこない。
電車へ乗る。
並んで座る。
少し疲れている。
でも。
かなり満たされていた。
「みなと」
「ん?」
栞が少しだけこちらへ寄る。
肩が触れる。
「今日、多分ずっと忘れない」
その言葉が、静かに胸へ沁みる。
湊は少しだけ笑った。
「……俺も」
窓の外には、夏の夕焼け。
その景色を見ながら、湊は思う。
今年の夏は。
きっと、一生忘れない夏になる。




