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『普通の恋が、したかった。』  作者: vastum


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第66話 夏の夜

花火が、夜空へ広がる。


赤。


青。


金色。


大きな音と一緒に、光が空いっぱいへ咲いていく。


川沿い。


少し離れた場所。


祭りの賑わいは遠くに聞こえる。


その中で、朝比奈湊はただ栞を見ていた。


浴衣。


夜風で少し揺れる髪。


花火の光に照らされる横顔。


綺麗だった。


本当に。


「みなと?」


栞が少し不思議そうにこちらを見る。


その瞬間。


湊の心臓が、大きく跳ねる。


近い。


かなり。


あと少し手を伸ばせば触れられる距離。


花火の音が響く。


夏の夜。


全部が、少しだけ現実じゃないみたいだった。


「……いや」


やっとそれだけ言う。


でも。


視線は逸らせなかった。


栞は数秒こちらを見ていた。


それから。


少しだけ照れたように笑った。


「今日、ほんとずっと見てる」


「仕方ないだろ」


本音だった。


今日は、無理だ。


浴衣姿の栞が、ずっと綺麗すぎる。


花火がまた上がる。


夜空が光る。


その光の中で、栞が小さく呟いた。


「夏って、すごいね」


「何が」


「なんか、全部特別に見える」


その言葉が、静かに胸へ落ちる。


たしかに。


今日の景色は、全部特別だった。


でも。


それは多分、隣に栞がいるからだ。


「みなと」


「ん?」


栞が少しだけ近づく。


浴衣の袖が、軽く触れる。


その瞬間、心臓がまたうるさくなる。


「手」


小さい声。


「……ん」


湊はゆっくり手を伸ばす。


指が重なる。


浴衣姿の栞の手は、少しだけひんやりしていた。


でも。


握ると、ちゃんと温かい。


「……なんか変な感じ」


栞が少し笑う。


「浴衣だと」


「分かる」


いつもの手繋ぎなのに。


今日は、全部少し違う。


花火。


夜風。


浴衣。


その全部のせいで、距離感まで変わってしまう。


少し沈黙。


でも。


その静けさが心地いい。


「ねえ」


栞が小さく言う。


「ん?」


「みなと、今日かなり優しい」


その言葉に、湊は少し苦笑する。


「今日だけ?」


「いつも優しいけど」


栞は少し照れたように笑った。


「今日は特に」


その顔が、かなり愛しかった。


花火の音。


夜空。


川の匂い。


全部が、ゆっくり流れていく。


その中で。


湊は少しずつ、覚悟を決めていた。


あと少し。


本当に、あと少し。


「栞」


名前を呼ぶ。


「ん?」


栞がこちらを見る。


花火の光が、その瞳へ映っている。


綺麗だった。


湊は少しだけ息を吸う。


そして。


「……こっち向いて」


小さい声。


でも。


栞にはちゃんと届いた。


数秒。


栞は少しだけ目を丸くしていた。


それから。


何も言わず、ゆっくりこちらを向く。


近い。


かなり。


心臓が、痛いくらいうるさい。


でも。


逃げたくなかった。


湊は少しだけ手に力を入れる。


栞も、握り返してくれる。


その瞬間。


背中を押された気がした。


花火が、大きな音を立てて夜空へ開く。


その光の中で。


湊は、ゆっくり顔を近づけた。


栞は、逃げなかった。


むしろ。


少しだけ目を閉じた。


そして。


ほんの一瞬。


唇が触れる。


柔らかい。


でも。


頭が真っ白になるくらい、一瞬だった。


花火の音。


夜風。


全部が遠くなる。


触れて、離れる。


そのあと。


二人とも、数秒動けなかった。


「……」


「……」


静かだった。


でも。


心臓だけ、ありえないくらいうるさい。


「……みなと」


栞が小さい声で呼ぶ。


かなり顔が赤い。


多分、自分も同じだった。


「……ごめん」


反射みたいに言ってしまう。


すると。


栞が少しだけ目を丸くした。


それから。


かなり照れながら、小さく笑う。


「なんで謝るの」


「いや……なんか」


言葉が出てこない。


すると。


栞が少しだけこちらへ近づいた。


そして。


「……嬉しかった」


小さい声。


でも。


真っ直ぐだった。


その言葉を聞いた瞬間。


胸の奥が、一気に熱くなる。


「……俺も」


やっとそれだけ返す。


栞は少し俯きながら笑った。


でも。


ちゃんと嬉しそうだった。


花火は、まだ続いている。


夜空へ次々光が咲いていく。


その景色を、二人で並んで見る。


でも。


もう、さっきまでと同じではいられなかった。


手を繋いだまま。


肩が少し触れたまま。


その距離が、妙に愛しい。


「ねえ」


栞が小さく言う。


「ん?」


「今日、多分ずっと忘れない」


その言葉が、静かに胸へ沁みる。


湊は少し笑った。


「……俺も」


本当に。


今日の花火も。


浴衣姿も。


夜風も。


そして。


さっきの一瞬も。


全部、ずっと忘れないと思った。


祭りの帰り道。


人混み。


提灯の光。


でも。


二人の間には、少し静かな空気が流れていた。


気まずい訳じゃない。


ただ。


お互い、まだ少しだけドキドキしている。


「みなと」


「ん?」


栞が少しだけこちらを見る。


それから。


かなり照れながら言った。


「……もう一回したくなったら、ちゃんと言って」


その瞬間。


湊の心臓が、本気で止まりそうになる。


「……それ反則」


思わずそう言う。


栞は少しだけ笑った。


でも。


耳は真っ赤だった。


夏の夜。


少し湿った風。


遠くでまだ花火の音が響いている。


その景色を見ながら、湊は思う。


今年の夏は、きっと。


一生忘れない夏になる。

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