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『普通の恋が、したかった。』  作者: vastum


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第64話 あと少し

土曜日。


七月。


朝からかなり暑かった。


空は青い。


雲も夏っぽい。


セミの声まで聞こえる。


完全に夏だった。


朝比奈湊は駅前のベンチへ座りながら、小さく息を吐く。


今日は、栞と夏祭り用の買い物へ行く約束をしていた。


といっても、栞の浴衣に合わせる小物を少し見るだけらしい。


でも。


“浴衣”。


その単語だけで、未だにかなり落ち着かない。


スマホが震える。


『着いた』


短いメッセージ。


湊が顔を上げると、ちょうど栞がこちらへ歩いてくるところだった。


白いワンピース。


小さめのバッグ。


髪は今日は下ろしている。


夏の光の中で、その姿が妙に柔らかく見えた。


「おはよう」


栞が笑う。


「おはよう」


そのあと。


少しだけ視線を逸らしながら。


「……今日も見てた」


「仕方ないだろ」


「最近ほんと素直」


かなり自覚はある。


でも。


好きなものを好きって思うのは、もう隠せなくなっていた。


駅前のショッピングモール。


休日だから、人はかなり多い。


カップル。


友達同士。


家族連れ。


その中を、二人で並んで歩く。


「暑い」


栞が小さく言う。


「夏だからな」


「みなと、夏得意?」


「普通」


「私はちょっと苦手」


そう言いながら、栞は少しだけ髪を耳へかけた。


その仕草に、また心臓がうるさくなる。


「……顔」


栞が少し笑う。


「うるさい」


「分かりやすい」


もう最近、完全に遊ばれている気がする。


雑貨屋。


アクセサリーショップ。


色んな店をゆっくり見る。


「どっちがいいと思う?」


栞が小さい巾着を見せてくる。


白っぽいのと、淡い青。


「……青」


「なんで?」


「栞っぽい」


その瞬間。


栞が少し止まる。


それから。


かなり柔らかく笑った。


「それ、ちょっと嬉しい」


その笑顔だけで、かなり満たされる。


昼。


フードコート。


冷たい飲み物。


人の声。


休日のざわざわした空気。


でも。


二人の間の空気はかなり落ち着いていた。


「ねえ」


栞がストローをくわえながら言う。


「ん?」


「夏祭り、緊張する?」


その質問に、湊は少し止まる。


かなりする。


でも。


素直に言うのも悔しい。


「……まあ」


栞が少し笑った。


「私も」


その返事が、妙に嬉しい。


「浴衣、やっぱ着るんだ」


湊が言う。


栞は少しだけ照れながら頷いた。


「せっかくだし」


その瞬間。


頭の中で勝手に想像してしまう。


浴衣姿の栞。


夜。


花火。


無理だ。


今からかなり危ない。


「みなと」


「ん?」


「また顔出てる」


「出るだろ」


「何考えてるか分かる」


かなり読まれている。


でも。


栞はその反応を少し楽しそうに見ていた。


午後。


買い物を終えて、少し街を歩く。


夏の日差し。


強い光。


少し汗ばむ空気。


その全部が、“高校生の夏”って感じだった。


「ちょっと休憩したい」


栞が言う。


「うん」


駅近くの小さな公園。


木陰のベンチ。


そこへ座る。


風が少しだけ涼しい。


「生き返る」


栞が小さく息を吐く。


その横顔を見ながら、湊も少しだけ空を見上げた。


青空。


白い雲。


夏の匂い。


その景色が、妙に綺麗だった。


「ねえ」


栞が小さく言う。


「ん?」


「夏祭りの日、花火見えるかな」


「見えるだろ」


「ちゃんと見たい」


その言葉が、静かに胸へ落ちる。


花火。


夜空。


隣には栞。


その景色を想像すると、胸の奥が少し熱くなる。


「みなと」


「ん?」


栞がこちらを見る。


少しだけ真面目な顔だった。


「最近さ」


「うん」


「前より、もっと好きになってる気がする」


その瞬間。


湊の心臓が、大きく跳ねる。


夏の風。


セミの声。


全部が一瞬遠くなる。


「……急だな」


やっとそれだけ返す。


栞は少しだけ照れながら笑った。


「なんとなく思ったから」


その顔が、かなり愛しかった。


湊は少しだけ視線を逸らす。


でも。


ちゃんと伝えたかった。


「……俺も」


小さい声。


でも、本音だった。


栞は少しだけ目を細めた。


かなり嬉しそうだった。


少し沈黙。


でも、その静けさが苦しくない。


むしろ。


もっと近づきたいって思ってしまう。


風が吹く。


栞の髪が少し揺れる。


その瞬間。


湊は自然に、栞の髪へ触れそうになった。


でも。


直前で止まる。


「……みなと?」


栞が少し不思議そうにこちらを見る。


近い。


かなり。


あと少し。


その距離だった。


でも。


湊は小さく笑って、手を引っ込めた。


「髪、ついてた」


誤魔化す。


かなり下手な誤魔化し。


栞は数秒こちらを見ていた。


それから。


少しだけ照れたように笑った。


「……そっか」


多分、バレている。


でも。


その空気は嫌じゃなかった。


むしろ。


少し甘くて、くすぐったい。


夕方。


駅へ向かう道。


空が少しオレンジ色になっている。


「夏祭りまで、あと少しだね」


栞が言う。


「うん」


その“あと少し”が、妙に特別に聞こえる。


たぶん。


自分たちは、少しずつ変わっている。


付き合った頃より。


もっと近く。


もっと自然に。


でも。


まだ少しだけ、触れるのが怖い。


その距離感すら、今は愛しかった。


駅が見えてくる。


夕方のホーム。


電車が来る。


二人で乗る。


今日は座れた。


並んで座る。


肩が少し触れる。


その温度が、かなり落ち着く。


「みなと」


「ん?」


栞が小さく笑う。


「今日、なんかずっと優しかった」


その言葉に、湊は少しだけ苦笑する。


「彼氏だからな」


反射みたいに出た。


すると。


栞は少しだけ目を丸くして。


それから。


かなり嬉しそうに笑った。


「……そういうの、好き」


その顔を見た瞬間。


湊は思う。


多分。


自分はこれからも、何度でも。


この人を好きになるんだろうなと。

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