第62話 冷たい缶ジュース
月曜日。
七月。
朝からかなり暑かった。
教室へ入った瞬間、むわっとした空気が肌へまとわりつく。
「無理……」
倉田が机へ突っ伏している。
「夏、強すぎる」
藤堂はハンディファンを顔へ当てながら言った。
「文明に感謝」
「お前それ毎日言ってるな」
教室に笑い声。
窓は全開。
でも、入ってくる風もぬるい。
完全に夏だった。
朝比奈湊は席へ座りながら、制服の襟元を少し引っ張る。
「暑い」
思わず呟く。
すると。
「ほんとそれ」
隣。
栞。
今日は珍しく、少しだけ髪を高めに結んでいた。
首元が見える。
そのせいで、朝から心臓に悪い。
「……髪」
湊が言う。
栞は少しだけこちらを見る。
「ん?」
「結んでるの、なんか新鮮」
その瞬間。
栞は少しだけ目を丸くした。
それから、小さく笑う。
「暑いから」
「似合ってる」
反射みたいに出た。
最近、本当にこういう言葉が自然に出る。
でも。
言ったあとで、ちゃんと照れる。
栞も少しだけ耳が赤かった。
「……ありがと」
その声が、かなり柔らかい。
一時間目。
授業。
でも今日は、教室全体がかなりだるそうだった。
暑い。
眠い。
夏特有の空気。
窓の外では、もうセミが鳴いている。
「みなと」
小さい声。
「ん?」
「今日、絶対みんな授業入ってない」
栞が小さく笑う。
たしかに。
先生の声も、どこか遠く感じる。
「夏休み前だからな」
「気抜けてる」
「お互いな」
栞は少し笑った。
その横顔を見ているだけで、妙に落ち着く。
昼休み。
今日は珍しく、教室が静かだった。
みんな暑さで少しバテている。
「購買行く?」
湊が聞く。
栞は少し考える。
「行く」
廊下。
昼の光。
かなり暑い。
購買へ向かう途中、窓から強い日差しが入ってくる。
「夏って感じ」
栞が言う。
「かなり」
購買は混んでいた。
パン。
ジュース。
アイス。
みんな冷たいものを求めている。
「何飲む?」
湊が聞く。
栞は少し迷ってから。
「オレンジのやつ」
「了解」
二人でジュースを買う。
冷たい缶。
その感触が気持ちいい。
教室へ戻る途中。
廊下の窓際。
少し風が入ってくる場所で、二人とも立ち止まった。
「涼しい」
栞が小さく言う。
「生き返る」
湊も缶ジュースを開ける。
炭酸の音。
夏っぽい音だった。
「みなと」
「ん?」
栞が少しだけこちらを見る。
それから。
「飲む?」
自分のジュースを少し差し出してくる。
その瞬間。
湊は少し止まる。
「……え」
「嫌?」
「いや」
かなり心臓がうるさい。
でも。
断る理由もない。
湊は少しだけ缶を受け取る。
栞が飲んでいた場所。
そこが妙に気になる。
「……意識してる」
栞が少し笑う。
「仕方ないだろ」
「みなと、こういう時ほんと分かりやすい」
かなり悔しい。
でも。
栞は楽しそうだった。
湊は少しだけ意識しながら、一口飲む。
冷たい。
甘い。
でも。
それ以上に、妙に落ち着かない。
「……はい」
返す。
栞は少しだけ笑った。
そして。
何も気にしてないみたいに、また同じ場所へ口をつけた。
その瞬間。
湊の心臓がまたうるさくなる。
「……ずるい」
思わず呟く。
「何が?」
「色々」
栞は少しだけ楽しそうに笑った。
昼の光。
夏の風。
冷たい缶ジュース。
その全部が、妙に青春っぽかった。
放課後。
今日は特に予定はなかった。
でも。
二人とも自然に一緒に帰る。
夕方。
昼よりは少し涼しい。
でも、まだかなり夏だった。
「暑いね」
栞が言う。
「夏祭りの日も暑そう」
その言葉に、湊は少しだけ心臓が跳ねる。
夏祭り。
浴衣。
まだちゃんと決まってないのに、最近ずっと頭にある。
「みなと」
「ん?」
「今日、ずっと顔分かりやすい」
「最近それしか言ってない」
「だってほんとだから」
栞が笑う。
その笑顔が、夕方の光の中でかなり柔らかかった。
駅までの道。
少しオレンジ色の空。
セミの声。
夏の匂い。
その全部が、少し特別に感じる。
「ねえ」
栞が小さく言う。
「ん?」
「高校入る前って、こんな夏想像してた?」
その質問に、湊は少しだけ止まる。
高校入る前。
その頃の自分は。
普通になりたかった。
教室で浮かないように。
ちゃんと高校生活を送りたかった。
でも。
今は。
好きな人がいて。
放課後が楽しみで。
夏祭りの約束までしている。
そんな未来、想像していなかった。
「……してない」
正直に言う。
栞は少し笑った。
「私も」
そして。
少しだけ照れながら続ける。
「でも、今かなり好き」
その言葉が、静かに胸へ沁みる。
湊は少し笑った。
「……俺も」
それだけで十分だった。
駅が見えてくる。
夕方のホーム。
電車が来る。
二人で乗る。
今日は座れた。
並んで座る。
少しだけ肩が触れる。
でも。
もうそれが自然だった。
「みなと」
「ん?」
栞が小さく缶ジュースを見せる。
もう空っぽだった。
「これ、なんか青春っぽかったね」
その言葉に、湊は少し笑う。
「缶ジュース一本で?」
「そういうのが青春なんじゃない?」
その返しが、妙に栞らしかった。
窓の外には、夏の夕方。
その景色を見ながら、湊は思う。
たぶん。
こういう何気ない瞬間が。
あとで一番忘れられなくなるんだろうなと。




