第59話 文化祭の写真
火曜日。
六月。
中間テストまで、あと一週間。
教室の空気も、少しずつ“勉強モード”になり始めていた。
……とはいえ。
完全に真面目かと言われると、そんなこともない。
「無理」
倉田が机へ突っ伏している。
「英語長文、文字多すぎる」
「英語に文句言うな」
藤堂が笑う。
三橋は静かに単語帳をめくっていた。
そのいつもの空気を聞きながら、朝比奈湊は少しだけ笑った。
最近、本当にこの教室が好きだった。
「おはよう、みなと」
隣。
栞。
今日も自然に名前を呼ばれる。
「おはよう」
栞は席へ座りながら、小さく欠伸をした。
「眠い」
「勉強?」
「昨日、文化祭の写真見返してた」
その言葉に、湊は少しだけ反応する。
文化祭。
もう結構前の気がする。
でも、まだ一ヶ月も経っていない。
「まだ見てるのか」
「楽しかったから」
栞は少し笑う。
その笑顔を見ていると、湊まで少し温かい気持ちになる。
文化祭。
たぶん。
自分たちが、一番変わり始めた時間だった。
一時間目。
授業。
でも今日は、教室全体が少し静かだった。
テスト前だからかもしれない。
窓から入る風。
シャーペンの音。
ページをめくる音。
その空気が、かなり落ち着く。
「みなと」
小さい声。
「ん?」
栞がスマホを少しだけこちらへ向ける。
そこには、文化祭の日の写真。
射的ブース。
笑ってる藤堂。
景品を持った倉田。
その後ろに、少しだけ写っている湊。
「懐かしい」
湊が小声で言う。
栞は少し笑った。
「まだ一ヶ月経ってないのにね」
でも。
たしかに懐かしかった。
あの頃は、まだ付き合っていなかった。
なのに。
今よりずっと、お互いを意識していた気がする。
昼休み。
今日は珍しく、クラス全体が勉強していた。
いや、半分くらいは喋ってるけど。
「朝比奈」
藤堂が言う。
「何」
「文化祭の時、お前分かりやすすぎたよな」
「急に何」
「雨宮さんばっか見てた」
「うるさい」
教室に笑い声。
でも。
栞も少し笑っていた。
「ほんと?」
栞が聞く。
「かなり」
藤堂が即答する。
「射的の説明してる時も、受付チラチラ見てた」
全部見られていた。
最悪だ。
「……そんな見てた?」
栞が少し楽しそうに聞く。
湊は少しだけ視線を逸らす。
「……まあ」
その返事に、教室がまた笑う。
でも。
嫌じゃない。
むしろ。
今は少し誇らしい気持ちすらあった。
放課後。
今日は勉強のため、図書室へ行く予定だった。
でも。
「みなと」
栞が小さく言う。
「ん?」
「その前に、ちょっと教室残ろ」
その言葉に、湊は少しだけ止まる。
「うん」
放課後の教室。
人が少しずつ減っていく。
夕方の光。
窓の外から聞こえる運動部の声。
その空気が、かなり好きだった。
栞は自分の席へ座る。
そして。
スマホを取り出した。
「見せたいのある」
「何」
栞は少し笑った。
「文化祭の日の写真」
その瞬間。
湊は少し嫌な予感がした。
「待て」
「もう遅い」
栞が見せてきた写真。
そこには。
文化祭の日の教室。
射的ブース。
そして。
受付にいる栞を、めちゃくちゃ見ている湊。
「……うわ」
かなり分かりやすい。
自分でも引くくらい見ている。
「みなと」
栞が少し笑いながら言う。
「この時、何考えてたの?」
湊は少しだけ顔を覆いたくなる。
でも。
もう隠しても意味がない。
「……可愛いなって」
言った瞬間。
栞が止まる。
それから。
耳まで赤くなった。
「……急」
「聞いたのそっちだろ」
「そうだけど……」
栞は少し俯きながら笑った。
でも。
かなり嬉しそうだった。
夕方の教室。
静かな空気。
二人だけ。
その時間が、妙に柔らかかった。
「ねえ」
栞が小さく言う。
「ん?」
「文化祭、ほんと楽しかったね」
湊は少しだけ窓の外を見る。
夕方。
オレンジ色の空。
その景色を見ながら、小さく頷く。
「かなり」
あの日がなかったら。
たぶん、自分たちはまだ付き合っていなかった。
「文化祭終わったあと」
栞が静かに言う。
「ちょっと寂しかった」
「うん」
「でも、そのあともっと近くなった」
その言葉が、静かに胸へ落ちる。
たしかに。
文化祭は終わった。
でも。
そこから、自分たちは始まった。
「みなと」
「ん?」
栞が少しだけこちらを見る。
かなり優しい目だった。
「好きになってよかった」
その瞬間。
胸の奥が、じんわり熱くなる。
湊は少しだけ笑った。
「……俺も」
それだけで十分だった。
図書室へ向かう途中。
廊下。
夕方の光。
二人で並んで歩く。
「なんか」
栞が少し笑う。
「ん?」
「昔の写真見ると、ちょっと面白い」
「何が」
「まだ付き合ってないのに、もう好きなの分かる」
その言葉に、湊は苦笑する。
「そんな分かりやすかった?」
「かなり」
またそれだ。
でも。
今日は、その言葉がすごく温かかった。
図書室。
静かな空気。
勉強道具を広げる。
でも。
その前に。
栞が小さく言った。
「みなと」
「ん?」
「文化祭の写真、消さないからね」
湊は少し笑った。
「なんで」
栞は少しだけ照れながら、でもちゃんと笑った。
「大事な思い出だから」
その言葉が、静かに胸へ沁みる。
普通の高校生活。
文化祭。
放課後。
帰り道。
そして、恋。
その全部が。
今の湊にとって、何より大切な青春になっていた。




