第58話 寝顔
土曜日。
六月。
朝からかなりいい天気だった。
青空。
少し暖かい風。
もうほとんど夏みたいな空気。
朝比奈湊は駅前でスマホを見ながら、小さく息を吐いた。
今日は栞と映画へ行く約束をしている。
最近、休日に会うのもかなり自然になっていた。
でも。
慣れた訳ではない。
今日も普通に緊張している。
スマホが震える。
『あとちょっと』
栞から。
湊は少し笑う。
『了解』
返信して数分。
「みなと」
声。
振り向く。
栞だった。
白い半袖。
薄いデニム。
かなりシンプルな私服。
でも。
その“普通っぽさ”が、すごく栞らしかった。
「……おはよう」
「おはよう」
栞は少し笑う。
「また見てた」
「仕方ないだろ」
「慣れて」
「無理」
即答だった。
栞が楽しそうに笑う。
その顔を見るだけで、今日来てよかったって思う。
映画館。
休日だから、人はかなり多かった。
カップル。
友達同士。
家族連れ。
その中に、自分たちも混ざっている。
それが少し不思議だった。
「何飲む?」
湊が聞く。
栞は少し考える。
「カフェオレ」
「了解」
ポップコーンも買う。
かなり“映画デート”っぽい。
その事実だけで、少し落ち着かない。
「みなと」
「ん?」
「今日、ほんと彼氏っぽい」
「最近それ好きだな」
「だってそうだから」
その返しが、かなりずるい。
上映開始。
館内が暗くなる。
映画が始まる。
最初は普通に見ていた。
でも。
途中から、湊は少しだけ映画へ集中できなくなった。
隣が近い。
腕が少し触れる。
ポップコーンを取るタイミングが重なる。
そのたび、心臓が少しうるさくなる。
「……ごめん」
小声で言う。
栞は少し笑った。
「何が」
「色々」
「分かりやすい」
かなり読まれている。
映画は、思ったより面白かった。
笑える場面もあって、泣ける場面もあった。
エンドロール。
館内が少し明るくなる。
「よかったね」
栞が小さく言う。
「かなり」
「最後ちょっと泣きそうだった」
「分かる」
二人で少し笑う。
その空気が、かなり心地いい。
昼。
映画館の近くで昼ご飯を食べる。
休日の街は賑やかだった。
でも。
その騒がしさの中で、二人の空気はかなり落ち着いている。
「テスト勉強してる?」
栞が聞く。
「一応」
「怪しい」
「失礼」
栞が少し笑う。
最近、本当にこういう何気ない会話が増えた。
でも。
その全部が好きだった。
昼ご飯のあと。
特に予定は決めていなかった。
だから、少し街を歩く。
雑貨屋。
本屋。
服屋。
その全部を、ゆっくり見る。
「みなと」
栞が小さく呼ぶ。
「ん?」
「これ似合いそう」
見せられたのは、シンプルな黒いキーケースだった。
「高校生にはちょっと高い」
「たしかに」
栞が笑う。
その笑顔を見るだけで、かなり満たされる。
夕方前。
少し歩き疲れて、駅前のカフェへ入った。
窓際の席。
冷たい飲み物。
少し静かな店内。
かなり落ち着く。
「……眠い」
栞がぽつりと言う。
「映画館ちょっと寝そうだった」
「マジ?」
「ちょっとだけ」
栞はストローをくわえながら、少しぼんやり窓の外を見る。
その顔が、かなり眠そうだった。
「昨日遅かった?」
湊が聞く。
栞は少しだけ頷く。
「テスト勉強してた」
「偉いな」
「みなとと違って」
「ひどい」
二人で少し笑う。
でも。
そのあと、栞は本当に眠そうになっていった。
「……やばい」
「寝そう?」
「ちょっと」
その声が、かなり小さい。
店内は静かだった。
外の光も柔らかい。
暖かい空気。
眠くなる条件が全部揃っている。
「寝れば?」
湊が小声で言う。
栞は少しだけこちらを見る。
それから。
「……いい?」
かなり眠そうな顔で聞いてくる。
その瞬間。
心臓が静かに跳ねる。
「うん」
湊が頷くと、栞は少しだけ安心したように笑った。
そして。
ゆっくり。
本当に自然に。
湊の肩へ頭を預けた。
その瞬間。
時間が止まった気がした。
柔らかい髪。
少し甘い匂い。
肩へ伝わる重み。
近い。
かなり近い。
でも。
不思議と嫌な緊張じゃない。
むしろ。
胸の奥が、じんわり温かくなる。
栞は、そのまま少しだけ目を閉じた。
「……ちょっとだけ」
小さい声。
「うん」
湊も、小さく返す。
店内には静かな音楽。
窓の外には夕方の街。
その中で、二人だけゆっくり時間が流れている感じがした。
数分後。
本当に少しだけ。
栞は寝息を立て始めた。
その瞬間。
湊の心臓が、かなりうるさくなる。
寝た。
マジで。
湊は思わず少しだけ視線を下げる。
栞の寝顔。
かなり近い。
柔らかい表情。
安心した顔。
その全部が、信じられないくらい愛しかった。
「……ずるい」
思わず小さく呟く。
こんなの。
好きになるに決まってる。
しばらく。
湊は動けなかった。
いや、動きたくなかった。
この時間が、かなり幸せだったから。
夕方の光が、少しずつオレンジ色へ変わっていく。
その頃。
栞が少しだけ動いた。
「……ん」
ゆっくり目を開ける。
そして。
数秒止まる。
「……寝てた?」
「ちょっと」
栞は少しだけ顔を赤くした。
「ごめん」
「別に」
湊は少し笑う。
「むしろ嬉しかった」
その言葉で、栞はさらに照れた。
「……恥ずかしい」
「かなり可愛かった」
反射みたいに出た。
言ったあと、湊自身少し驚く。
でも。
栞は少しだけ目を丸くして。
それから。
かなり優しく笑った。
「……最近、そういうの自然に言うね」
その言葉に、湊は少し照れながら笑う。
「思ったから」
栞は少しだけ視線を逸らした。
でも。
かなり嬉しそうだった。
窓の外。
夕方。
人が行き交う街。
その景色を見ながら、湊は思う。
好きな人が、自分の肩で安心して眠ってくれる。
それだけで。
世界は、かなり幸せな場所になるんだと。




