第56話 初めての電話
金曜日。
六月。
朝から少し眠かった。
理由は単純だ。
昨夜、寝る前に栞とメッセージを続けすぎた。
『寝る?』
『まだちょっと眠くない』
そんなやり取りを何度も繰り返していたら、気づけばかなり遅い時間になっていた。
朝比奈湊は欠伸を噛み殺しながら、駅へ向かう。
スマホが震える。
『眠い』
栞からだった。
湊は少し笑う。
『同じ』
すぐ既読。
『昨日話しすぎた』
『誰のせい』
『半分みなとのせい』
かなり都合がいい。
でも、そのやり取りだけで朝から少し幸せだった。
改札前。
栞は珍しく、本当に眠そうだった。
「おはよう……」
「おはよう」
声がかなり小さい。
湊は思わず笑ってしまう。
「そんな眠い?」
栞は少しだけ頷いた。
「昨日、寝るタイミング分かんなくなった」
「それは分かる」
二人で少し笑う。
でも、その笑い方もどこか眠そうだった。
電車へ乗る。
今日は空いている。
並んで座る。
朝日が窓から入ってくる。
その暖かさと眠気で、かなりぼんやりする。
「みなと」
栞が小さく呼ぶ。
「ん?」
「……ちょっとだけ寝そう」
「寝れば」
栞は少しだけこちらを見る。
それから。
かなり自然に、湊の肩へ軽く頭を預けた。
その瞬間。
湊の眠気が全部吹き飛ぶ。
近い。
柔らかい。
シャンプーの匂い。
心臓がかなりうるさい。
「……栞」
小声で呼ぶ。
「んー……」
半分寝てる。
ずるい。
これはかなりずるい。
でも。
嫌じゃなかった。
むしろ。
かなり嬉しい。
学校へ向かう道。
「ごめん」
栞が少し照れながら言う。
「何が」
「電車」
「別に」
「重くなかった?」
「軽かった」
栞は少し笑った。
「今ちょっと彼氏っぽかった」
「ちょっと?」
「かなり」
またそれだ。
でも、そのやり取りが最近本当に好きだった。
教室。
今日は全体的に眠そうな空気だった。
金曜日だからかもしれない。
「だる……」
倉田が完全に溶けている。
藤堂は机へ突っ伏したまま。
三橋だけ普通に勉強していた。
「三橋、強いな」
湊が言う。
「眠いけど」
「見えない」
教室に笑い声。
その空気が、かなり心地いい。
一時間目。
授業。
当然、眠い。
でも。
隣を見るたび、さっきの電車を思い出してしまう。
「みなと」
小声。
「ん?」
「まだ引きずってる?」
栞が少し笑っている。
「……誰のせいだよ」
「私」
最近、ほんと即答する。
その感じが妙に可愛い。
昼休み。
今日は珍しく、二人とも少し静かだった。
眠いのもある。
でも。
それ以上に、空気が落ち着いている。
「ねえ」
栞が弁当を食べながら言う。
「ん?」
「今日、夜電話する?」
その瞬間。
湊は少し止まる。
電話。
今までメッセージはたくさんしていた。
でも。
ちゃんと電話したことはない。
「……する」
少しだけ声が硬くなる。
栞は少し笑った。
「緊張してる」
「仕方ないだろ」
「私も少し緊張する」
その返しで、また心臓がうるさくなる。
放課後。
今日は特に寄り道はしなかった。
お互い眠かったし、夜に電話する約束もある。
でも。
帰り道の空気はかなり柔らかかった。
「みなと」
「ん?」
「今日、何時くらいなら平気?」
「十時くらい?」
栞は小さく頷く。
「じゃあ、そのくらいにかける」
“かける”。
その言葉だけで、妙に緊張する。
夜。
部屋。
時計は十時前。
湊はベッドへ座りながら、落ち着かずスマホを見ていた。
何話すんだ。
いや、普段めちゃくちゃ話してるだろ。
でも、電話は違う。
声だけ。
距離感も違う。
考えているうちに、スマホが震えた。
着信。
『栞』
その表示だけで心臓が跳ねる。
湊は少し深呼吸してから通話ボタンを押した。
「……もしもし」
少し緊張した声。
すると。
『もしもし、みなと』
その声が、耳へ直接届く。
普段聞いている声なのに。
電話越しだと、妙に近い。
「……なんか変な感じ」
湊が言う。
栞が小さく笑った。
『分かる』
少し沈黙。
でも、その沈黙すら変に意識してしまう。
『みなと』
「ん?」
『今、緊張してる?』
「……かなり」
栞が笑う声。
その音が、すごく柔らかかった。
『私も』
そこからは、本当に他愛ない話だった。
今日の授業。
テスト。
藤堂がうるさかったこと。
そんな普通の話。
でも。
不思議なくらい楽しかった。
『なんかさ』
栞が小さく言う。
「ん?」
『声だけだと、ちょっと恥ずかしいね』
その言葉で、湊の心臓がまた跳ねる。
「分かる」
『でも、好きかも』
その声が、かなり優しかった。
時計を見る。
もう一時間以上話している。
でも、全然そんな感じがしない。
『みなと』
「ん?」
少しだけ。
栞が静かになる。
『今日、肩ありがと』
その瞬間。
朝の電車が頭へ蘇る。
「……別に」
『安心した』
小さい声。
でも。
かなり真っ直ぐだった。
湊は少しだけ天井を見る。
嬉しい。
本当に。
「……また貸す」
そう言うと、栞が少し笑った。
『うん』
その返事だけで、胸が温かくなる。
『そろそろ寝る?』
栞が言う。
「明日休みだし、もうちょい話す?」
少し勇気を出して言う。
すると。
少しだけ間が空いて。
栞が、小さく笑った。
『……私も今、それ言おうとしてた』
その瞬間。
湊は思わず笑ってしまう。
夜。
部屋。
好きな人の声。
たったそれだけなのに。
世界が少し優しく感じた。




