第54話 テスト勉強
六月最初の月曜日。
朝。
教室の空気は、いつもより少し重かった。
理由は簡単だ。
「中間テストまで二週間切ってるんだけど」
倉田が机へ突っ伏しながら言う。
「現実きた」
藤堂もかなり死んでいる。
三橋は静かにノートを整理していた。
「文化祭終わった直後だから余計きついね」
教室から小さいため息。
たしかに。
最近ずっと楽しい空気だった。
でも、高校はちゃんと現実を突きつけてくる。
朝比奈湊は席へ座りながら、小さく笑った。
「課題多いな」
「みなと、ちゃんとやってる?」
隣。
栞。
その呼び方も、もう少しずつ自然になってきていた。
「一応」
「絶対ギリギリ」
「失礼」
栞は少し笑う。
その笑顔を見ると、不思議と“まあ頑張るか”って気持ちになる。
ホームルーム。
山崎がプリントを配りながら言う。
「はい、現実逃避終わりなー。中間近いぞー」
教室から悲鳴。
「あと、赤点取るなよ」
「先生、それ毎回言う」
「毎回いるからな」
笑い声。
でも、みんなちょっと焦っている。
湊も、まあまあ焦っていた。
文化祭以降、正直かなり気が抜けている。
「みなと」
栞が小さく言う。
「ん?」
「勉強、教えよっか」
その瞬間。
湊は少しだけ止まる。
「……いいの?」
「私も一人だと飽きるし」
かなり魅力的な提案だった。
というか。
普通に嬉しい。
「朝比奈」
後ろから藤堂。
「何」
「勉強会とか青春だな」
「お前ほんとその単語好きだな」
「便利だからな」
最近、それしか言ってない気がする。
一時間目。
授業。
でも今日は、頭の半分が放課後だった。
勉強会。
つまり。
放課後、栞と二人。
いや、最近ずっとそうだろって話だけど。
“勉強を教えてもらう”っていうのが、妙に特別に感じる。
「みなと」
小さい声。
「ん?」
「今日ほんと分かりやすい」
栞が少し笑っている。
「仕方ないだろ」
「何考えてるか顔に出てる」
かなり読まれている。
でも。
その感じも、最近は嫌じゃなかった。
昼休み。
教室は“勉強やばい”って話で盛り上がっていた。
「数学終わってる」
「英単語覚えられん」
「赤点回避したい」
藤堂が騒ぎ。
倉田が死にそうな顔をしている。
三橋は静かに問題集を開いていた。
「三橋、強いな」
湊が言う。
「今やっとけば後で楽だから」
正論だった。
「みなと」
栞が弁当を食べながら言う。
「ん?」
「今日、図書室でもいい?」
「勉強するならそっちか」
「静かだし」
湊は少し笑った。
「了解」
放課後。
授業終了。
みんなが少しずつ帰る準備を始める。
その中で、湊は鞄へ教科書を詰めながら、少しだけそわそわしていた。
「行こ」
栞が小さく言う。
「うん」
図書室。
放課後だからか、人はそこそこいる。
静かな空気。
ページをめくる音。
窓から入る夕方の光。
かなり落ち着く。
二人で並んで座る。
参考書。
ノート。
シャーペン。
それだけなのに、妙に特別だった。
「みなと」
「ん?」
「ここ違う」
栞がノートを指差す。
かなり近い。
肩が少し触れる距離。
湊は少しだけ心臓がうるさくなる。
「……近い」
小声で言う。
栞は少し笑った。
「教えるから」
「ずるい」
「何が?」
「普通にドキドキする」
言ったあとで少し後悔する。
でも。
栞は少しだけ目を丸くして、それから小さく笑った。
「私も」
その返事が、かなりずるい。
勉強は、思ったより進んだ。
いや。
半分くらいは雑談だったかもしれない。
「みなと、英語苦手?」
「長文眠くなる」
「高校生っぽい」
「それ万能すぎる」
栞が笑う。
その笑顔を見るたび、湊も自然に笑っていた。
夕方。
図書室の人も減っていく。
窓の外は少しオレンジ色だった。
静かだった。
でも、その静けさが心地いい。
「ねえ」
栞が小さく言う。
「ん?」
「こういうの、ちょっと憧れてた」
「勉強会?」
栞は少し頷く。
「放課後に残って、一緒に勉強するやつ」
その言葉が、妙に胸へ沁みる。
たぶん。
自分も同じだった。
普通の高校生活。
放課後。
好きな人と並んで勉強する時間。
昔の自分には、縁がないと思っていた。
でも今は、その中にちゃんといる。
「……俺も」
そう返すと、栞は少し嬉しそうに笑った。
帰り道。
夕方の空。
少し涼しい風。
駅へ向かって歩く。
今日は、勉強したせいか少し疲れていた。
でも。
かなり心地いい疲れだった。
「みなと」
「ん?」
「ちゃんと勉強しないとね」
「彼女に呆れられたくないし」
冗談っぽく言う。
でも。
栞は少しだけ立ち止まって、こちらを見た。
「呆れないよ」
小さい声。
でも。
かなり真っ直ぐだった。
「赤点でも?」
「それはちょっと考える」
「厳しいな」
二人で笑う。
その空気が、すごく好きだった。
駅が見えてくる。
夕方から夜へ変わる空。
「今日」
栞が小さく言う。
「ん?」
「なんか、すごい普通だったね」
その言葉に、湊は少し笑った。
「勉強しただけだしな」
「でも、好きかも」
栞は少し照れたように笑う。
「こういう普通」
その言葉が、静かに胸へ落ちる。
普通。
でも。
好きな人と一緒だと、それはちゃんと特別になる。
電車が来る。
二人で乗る。
今日は座れた。
並んで座る。
少しだけ肩が触れる。
でも、もう自然だった。
窓の外には、夜になり始めた街。
その景色を見ながら、湊は思う。
恋人になったからって、毎日特別なイベントがある訳じゃない。
でも。
こういう何気ない放課後が、きっと一番幸せなんだと。




