第53話 雨と相合傘
金曜日。
朝。
空はかなり暗かった。
教室の窓から見える景色も、どんよりしている。
「絶対降るなこれ」
倉田が窓を見ながら言った。
「朝の時点で湿気やばい」
藤堂は机へ突っ伏している。
「梅雨じゃん……」
まだ六月前。
でも、空気はかなり梅雨っぽかった。
朝比奈湊は席へ座りながら、鞄から折り畳み傘を出す。
「みなと、傘持ってきた?」
隣。
栞。
「一応」
栞は少しだけ困ったように笑った。
「私、忘れた」
その瞬間。
湊の心臓が少し跳ねる。
「……マジ?」
「朝、降ってなかったから」
たしかに。
家を出た時は曇っているだけだった。
でも今は、完全に降りそうだ。
「まあ、なんとかなるか」
栞は軽く言う。
でも。
湊の頭には、すでに一つの言葉しかなかった。
相合傘。
かなり意識してしまう。
「朝比奈」
後ろから藤堂。
「顔分かりやす」
「うるさい」
「絶対今、相合傘とか考えた」
「殺すぞ」
図星だった。
教室に笑い声。
栞も少し笑っている。
でも。
耳が少し赤い。
たぶん、同じことを考えている。
一時間目。
授業中。
窓の外では、ついに雨が降り始めていた。
細かい雨音。
少し暗い教室。
その空気が、妙に落ち着く。
「降ったね」
栞が小さく言う。
「うん」
「帰り、よろしく」
その言葉で、湊の心臓がまたうるさくなる。
よろしく。
つまり。
確定。
「……はい」
かなり情けない返事になった。
栞が少し笑う。
「緊張してる」
「誰のせいだよ」
「私」
即答だった。
昼休み。
雨はさらに強くなっていた。
窓が白っぽくなるくらい。
「うわ、帰りめんど」
倉田が言う。
藤堂はスマホで天気予報を見ている。
「夜まで降るっぽい」
その言葉で、湊は少しだけ落ち着かなくなる。
ずっと一緒に帰ることになる。
いや。
別にいつも一緒に帰っている。
でも。
今日は違う。
傘の中。
距離が近い。
かなり近い。
「みなと」
栞が小さく呼ぶ。
「ん?」
「今日、朝から分かりやすすぎ」
「無理だろ」
「ちょっと面白い」
その笑顔が、かなりずるい。
午後。
授業。
雨音。
眠くなる空気。
でも、今日は全然集中できない。
帰り道ばかり考えている。
自分でもかなり単純だと思う。
放課後。
ホームルーム終了。
外は完全に雨だった。
しかも結構強い。
昇降口には、生徒たちが集まっている。
傘を開く音。
騒がしい声。
その中で。
「みなと」
栞が小さく近づいてくる。
「……帰ろ」
もう、その一言だけで心臓がうるさい。
傘を開く。
黒い傘。
そこへ、栞が入ってくる。
近い。
かなり。
肩が普通に触れる距離。
「……狭い」
栞が少し笑う。
「折り畳みだから」
「でも、なんか落ち着く」
その言葉が、静かに胸へ落ちる。
雨の音。
傘を打つ水滴。
その中を、二人で歩く。
いつもの帰り道。
でも。
今日は世界が少し狭い。
傘の下だけが、自分たちの空間みたいだった。
「みなと」
「ん?」
「なんか、付き合ってるって感じする」
その言葉で、湊の心臓がまた跳ねる。
「……今さら?」
「今日特に」
栞は少しだけ肩を寄せる。
雨が強いから。
たぶん、それが理由。
でも。
それだけじゃない気がした。
「濡れる」
湊が言う。
「みなとが寄せて」
「無茶言うな」
栞が少し笑う。
その笑い声が、雨音の中で妙に優しかった。
駅へ向かう途中。
信号待ち。
傘の下。
人通りはそこそこある。
でも、不思議と二人だけ静かな感じがした。
「ねえ」
栞が小さく言う。
「ん?」
「付き合う前も、こういうのちょっと想像してた」
その言葉に、湊は少しだけ驚く。
「想像?」
「相合傘とか」
かなり意外だった。
栞は少しだけ照れたように笑う。
「ベタだけど」
「……俺も」
正直にそう言う。
栞は少し目を丸くした。
「ほんと?」
「かなり」
「またそれ」
二人で少し笑う。
その空気が、すごく好きだった。
駅が見えてくる。
雨で少し霞んでいる。
ホーム。
人が多い。
でも。
傘を閉じる瞬間、少しだけ寂しくなった。
「なんか」
栞がぽつりと言う。
「ん?」
「傘の中、好きだった」
その言葉が、静かに胸へ沁みる。
湊は少し笑った。
「俺も」
電車が来る。
二人で乗る。
今日は座れなかった。
並んで立つ。
窓には雨粒。
街の光が滲んでいる。
「みなと」
「ん?」
栞が少しだけこちらを見る。
それから。
かなり小さい声で言った。
「今日、ちょっと彼氏っぽかった」
その瞬間。
湊の心臓が、本気で止まりそうになる。
「……何それ」
「傘、ちゃんと寄せてくれたし」
「普通だろ」
「でも、嬉しかった」
その言葉が、かなりずるい。
湊は少しだけ視線を逸らす。
窓の外。
雨。
夜へ変わっていく街。
でも。
胸の中は、かなり温かかった。
「栞」
「ん?」
「今日、かなり可愛かった」
反射みたいに出た。
言ったあとで、自分でも驚く。
でも。
栞は少しだけ目を丸くして、それから照れたように笑った。
「……急」
「思ったから」
栞は少し俯く。
耳が赤い。
「……そういうの、ずるい」
でも。
その声は、かなり嬉しそうだった。
電車が揺れる。
雨の夜。
窓に映る光。
その景色を見ながら、湊は思う。
“普通の恋”。
それはきっと。
こういう雨の日の帰り道まで、全部特別にしてしまうものなんだと。




