第50話 普通の恋
月曜日。
朝。
目が覚めた瞬間。
朝比奈湊は、最初に昨日のことを思い出した。
観覧車。
告白。
『私も』
手を繋いだ帰り道。
全部。
夢じゃなかった。
その事実を思い出した瞬間、胸の奥がまた熱くなる。
スマホを見る。
通知。
『おはよう』
栞からだった。
短い一言。
でも、その四文字だけで顔が緩む。
昨日までとは違う。
今はもう。
ちゃんと、“彼女”だ。
湊は少しだけ照れながら返信する。
『おはよう』
そのあと、少し迷ってから。
『ちゃんと寝れた?』
送信。
数秒後。
『ちょっと寝れなかった』
その返事を見て、湊は思わず笑ってしまう。
自分も同じだった。
学校へ向かう。
朝の空気。
五月の風。
全部がいつも通りなのに、少し違って見える。
理由は簡単だ。
今日は、栞へ会える。
しかも、“彼女として”。
駅。
改札前。
少しだけ緊張する。
昨日あれだけ一緒にいたのに。
むしろ、昨日より緊張しているかもしれない。
「湊」
声。
振り向く。
栞。
制服姿。
いつも通り。
なのに。
今日は少しだけ特別に見えた。
「……おはよう」
やっとそれだけ言う。
栞は少し笑った。
「おはよう」
それから。
少しだけ照れたように言う。
「なんか緊張するね」
湊は苦笑した。
「かなり」
二人で少し笑う。
でも。
その空気が、すごく心地いい。
電車へ乗る。
今日は少し空いていた。
並んで立つ。
でも、昨日までと少し違う。
距離感が分からない。
近づいていいのか。
でも、離れるのも変な感じがする。
そんな空気。
「……なんか変」
栞が小さく言う。
「分かる」
「昨日まで普通だったのに」
「昨日のせい」
栞は少し笑った。
「たしかに」
少し沈黙。
でも、その沈黙が嫌じゃない。
むしろ。
ちゃんと同じことを考えている感じがして、少し嬉しかった。
学校へ向かう道。
朝日。
登校する生徒たち。
その中を、二人で歩く。
すると。
「おはよー」
後ろから声。
藤堂だった。
最悪のタイミング。
しかも。
数秒で気づかれた。
「……え?」
藤堂が止まる。
湊と栞を見る。
それから。
「え、お前ら」
察しが良すぎる。
湊は少し顔をしかめる。
栞は少し照れていた。
数秒の沈黙。
そして。
「マジで!?」
朝からうるさい。
「声でかい!」
「いやだって!」
藤堂が本気で驚いている。
そこへ倉田と三橋まで合流した。
「何騒いで――」
倉田も止まる。
三橋は数秒で察した。
「……ああ」
「ああじゃない!」
藤堂が爆笑している。
「付き合ったの!?」
もう逃げられない。
湊は少しだけ観念して、小さく頷いた。
「……まあ」
その瞬間。
藤堂がガッツポーズした。
「青春!!」
「お前絶対言うと思った」
教室へ着く頃には、もう完全にバレていた。
というか。
藤堂が隠す気ゼロだった。
「おめでとー!」
「やっぱり!」
「知ってた!」
女子たちまで盛り上がる。
湊は本気で顔を覆いたかった。
でも。
栞も、ちゃんと笑っていた。
嫌そうじゃない。
むしろ。
少し嬉しそうだった。
それだけで、かなり救われる。
「朝比奈」
倉田が笑いながら言う。
「普通に彼氏じゃん」
その言葉が、妙にくすぐったい。
彼氏。
まだ全然慣れない。
「雨宮さんも彼女感ある」
「やめろ」
教室に笑い声。
でも。
その空気が、かなり温かかった。
ホームルーム。
先生が来ても、教室は少しざわざわしていた。
藤堂が後ろから小声で言う。
「観覧車?」
「殺すぞ」
「図星!」
うるさい。
でも。
否定できない自分がいた。
一時間目。
授業。
当然、集中なんてできない。
隣を見る。
栞も少し落ち着かない感じだった。
でも。
目が合うと、少し笑う。
それだけで、胸が温かくなる。
「湊」
小さい声。
「ん?」
「なんか、まだ変な感じ」
「分かる」
栞は少しだけ笑った。
「でも、嫌じゃない」
その言葉に、湊も少し笑う。
「俺も」
昼休み。
今日は本当に質問攻めだった。
「いつから?」
「どっちから?」
「観覧車でしょ絶対」
察しが鋭すぎる。
湊は途中から、もう抵抗を諦めていた。
でも。
その騒がしさすら、少し楽しい。
昔の自分なら。
こういう中心にいることなんて、絶対なかった。
「湊」
栞が小さく呼ぶ。
「ん?」
「今日、ずっと嬉しそう」
湊は少し笑った。
「そりゃまあ」
「分かりやすすぎ」
「栞も」
そう返すと、栞は少しだけ照れたように笑った。
放課後。
教室。
夕方の光。
いつもの景色。
でも。
今日は全部少し違って見える。
「帰る?」
湊が聞く。
栞は小さく頷いた。
「うん」
自然に並んで歩く。
昇降口。
校門。
駅までの道。
全部、今まで何度も歩いた道。
でも。
今日は、隣にいる意味が違う。
「……なんか」
栞が少し笑う。
「ん?」
「付き合ったのに、今までとあんまり変わらないね」
湊は少し考える。
それから、小さく笑った。
「まあ、元々かなり近かったし」
栞も少し笑った。
「たしかに」
でも。
変わったものもある。
視線。
言葉。
空気。
そして。
気持ちを、隠さなくてよくなった。
駅が見えてくる。
夕方の空。
少し暖かい風。
「湊」
「ん?」
栞が少しだけ立ち止まる。
それから。
小さく、でもちゃんと笑って言った。
「普通の恋、できたね」
その言葉で。
湊は少しだけ胸が熱くなった。
普通。
ずっと欲しかったもの。
特別じゃなくていい。
ドラマみたいじゃなくていい。
ただ。
放課後、一緒に帰って。
学校で笑って。
休日に遊んで。
好きな人が隣にいる。
それだけでよかった。
「……うん」
湊は静かに頷く。
「かなりいい感じの」
栞は少し笑った。
「かなり?」
「かなり」
またその言葉。
でも。
今はもう、それが愛しかった。
電車が来る。
二人で乗る。
並んで座る。
窓の外には、夕方から夜へ変わる街。
その景色を見ながら、湊は思う。
中学時代。
“普通”になれなかった自分。
でも。
高校へ来て。
席が近くなって。
少しずつ話して。
笑って。
好きになって。
今。
ちゃんと、“普通の恋”をしている。
それはきっと。
誰かから見れば、ありふれた青春なのかもしれない。
でも。
湊にとっては。
ずっと欲しかった、特別な毎日だった。




