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『普通の恋が、したかった。』  作者: vastum


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第5話 クラスLINE

高校生活が始まって、一週間が経とうとしていた。


まだ一週間。


でも湊には、もう少し長く感じていた。


毎日、新しいことがある。


新しい教室。


新しい授業。


新しい人間関係。


それらを一つずつ覚えていくだけで、頭の中が少し疲れる。


中学の頃は、学校生活なんて半分くらい無意識だった。


誰がどこに座るかも、昼休みにどんな話をするかも、全部“いつも通り”で済んでいた。


けれど今は違う。


クラスの空気を読む。


誰がどういうタイプか考える。


どこまで踏み込んでいいのか迷う。


笑うタイミングを考える。


その全部をやっているせいか、家に帰る頃には妙に疲れていた。


ただ、その疲れは嫌なものではなかった。


むしろ、ちゃんと高校生活をしている感じがした。


木曜日の朝。


湊は電車のドア横に立ちながら、スマホを見ていた。


クラスLINEの通知が溜まっている。


昨日の夜から、急に動き始めた。


きっかけは藤堂だった。


『明日小テストあるの終わってる』


その一言から始まり、


『まだ何もしてない』


『俺も』


『どこ出るんだっけ』


『最初の範囲』


『それが分からん』


みたいな会話が延々続いた。


途中から関係ない話になり、購買のメロンパンがどうとか、体育教師が怖そうだとか、そんな話まで広がっていた。


湊は最初、どう返せばいいか分からなかった。


既読だけつけるのも変か。


でも何回も送るのもうるさいか。


そんなことを考えているうちに、藤堂が『朝比奈数学教えて』と送ってきた。


それに倉田が『俺も』と続く。


湊は少し迷ってから、


『今日の範囲ならたぶん』


と返した。


すると藤堂が、


『頼れる男』


とスタンプを送ってきた。


たったそれだけなのに、湊は少し嬉しかった。


高校に入ってから、“自分が誰かに必要とされる感覚”が少しずつ増えている気がする。


もちろん大げさなものではない。


数学を少し教えられるとか、グループLINEで普通に返事できるとか、その程度だ。


でも中学の頃の湊なら、そこに入る前に躊躇していた。


既読だけつけて終わっていたかもしれない。


そう思うと、自分でも少し変わっている気がした。


電車が揺れる。


窓に映る自分の顔は、相変わらず普通だった。


特別格好良くなった訳でもないし、急に陽キャになった訳でもない。


でも、“学校に居場所がない感じ”は少し減っていた。


次の駅で、雨宮が乗ってきた。


湊は自然に顔を上げる。


雨宮もすぐに気づいたらしい。


小さく会釈する。


それがもう当たり前みたいになっていた。


雨宮は湊の近くへ来た。


「おはよう」


「おはよう」


「LINEうるさかった」


開口一番それだった。


湊は少し笑う。


「藤堂が元気だった」


「夜なのに元気」


「分かる」


雨宮はスマホを少し見せた。


通知がかなり溜まっている。


「全部見た?」


湊が聞く。


「途中で諦めた」


「俺も半分くらい」


「でも、朝比奈ちゃんと返してた」


「なんか返さないのも変かなって」


雨宮は少しだけ笑った。


「真面目」


「普通だろ」


「たぶん」


最近、“普通”という言葉が二人の間で妙に多かった。


それなのに不思議と飽きない。


湊はつり革につかまりながら聞いた。


「雨宮は返さないの?」


「読むだけで疲れる」


「分かる」


「あと、送るタイミング分かんない」


その言葉に、湊は少し驚いた。


雨宮も同じなのか。


もっと自然に人付き合いができるタイプだと思っていた。


「朝比奈も?」


「めちゃくちゃ考える」


「何考えるの」


「今送ったら変じゃないか、とか」


雨宮は少し黙ったあと、小さく笑った。


「同じだ」


その言葉が妙に嬉しかった。


学校へ向かう道。


朝の空気は少し暖かくなっていた。


桜はもうかなり散っている。


道路脇には、薄い花びらが風で集まっていた。


「小テスト、勉強した?」


湊が聞く。


「一応」


「一応って危ないやつ?」


「たぶん」


「俺もたぶん」


「朝比奈、できそうなのに」


「そんなことない」


「普通にできる側」


「その普通なんなんだよ」


雨宮は少し笑った。


高校へ着くと、教室はもう半分くらい埋まっていた。


藤堂が教室の後ろで倉田と騒いでいる。


「終わったわー」


「何が?」


「小テスト」


「まだ始まってない」


「気持ちが」


倉田が机に突っ伏している。


三橋は普通に英単語帳を見ていた。


湊は自分の席に座った。


雨宮も隣へ座る。


「朝比奈」


「ん?」


「シャーペンある?」


「今日はある」


湊は筆箱を少し開けて見せた。


雨宮が頷く。


「成長したね」


「まだ言う?」


「しばらく言う」


「長いな」


「積み重なるから」


湊は笑った。


その時、藤堂が後ろから身を乗り出してきた。


「雨宮さん、朝比奈に数学教わった?」


「少し」


「いいなー。俺も教われ」


「授業聞けよ」


三橋が冷静に言う。


藤堂は「正論やめろ」と笑った。


教室の空気は、もうかなり“クラス”になっていた。


最初の数日のような探り探り感が少し薄れている。


話す相手が固定され始めている。


休み時間に自然に集まる場所も決まり始めていた。


その流れに、湊は少し安心していた。


自分も、一応そこに入れている。


完全に中心ではない。


でも、外でもない。


それが嬉しかった。


一時間目は数学だった。


小テスト。


教室全体が少し静かになる。


紙が配られる音。


教師の「始め」の声。


湊は問題を見る。


昨日やった範囲。


思ったより解ける。


途中、一問だけ少し迷った。


隣を見ると、雨宮も真剣な顔で解いている。


髪が少し揺れる。


シャーペンを持つ指が細い。


そんなことを考えている自分に、湊は少し驚いた。


前なら、隣の女子の手なんて気にしたことなかった。


小テストが終わる。


藤堂が机に突っ伏した。


「無理」


「早くない?」


湊が言う。


「二問目で終わった」


「諦めるのが?」


「理解が」


雨宮が少し吹き出した。


「朝比奈と同じこと言ってる」


藤堂が顔を上げる。


「え、何それ」


「前、数学で」


「俺、雨宮さんと同レベル?」


「悪い意味でな」


「最悪」


教室に小さく笑いが広がる。


こういう空気にも、少しずつ慣れてきた。


二時間目の休み時間。


クラスLINEがまた動いていた。


藤堂が小テストの答えについて騒いでいる。


倉田が『全部勘』と送っている。


湊は机でスマホを見ながら少し笑った。


その時、雨宮が小さく言った。


「朝比奈って、LINEだと少し喋るね」


「え」


「教室より」


湊は少し考えた。


確かにそうかもしれない。


文字だけの方が、少し楽だ。


表情を気にしなくていい。


沈黙もない。


送る前に考えられる。


「直接より考える時間あるから」


「分かる」


「雨宮は?」


「私、逆かも」


「逆?」


「文章の方が悩む」


「なんで?」


「残るから」


ああ、と湊は思った。


それも分かる。


一度送った言葉は残る。


変なことを書いたら、ずっと見返せる。


それが怖いのかもしれない。


「だからあんまり送らない?」


「うん」


「でも既読は早い」


雨宮が少しだけこちらを見る。


「見てるんだ」


「なんとなく」


「気持ち悪い」


「ごめん」


湊は笑った。


雨宮も少し笑った。


三時間目は体育だった。


高校に入って初めての体育。


男子は体育館、女子はグラウンドに分かれる。


着替えの時間、教室の空気とはまた違う空気になる。


藤堂たちはすでに盛り上がっていた。


「バスケやりてー」


「まだ体力測定だろ」


「最悪」


更衣室は騒がしい。


湊はその空気を少し離れた場所から見ていた。


完全に馴染めていない。


でも、前みたいに“どこにも入れない”感じでもない。


その中間にいる。


それが今の湊にはちょうどよかった。


体育館へ向かう途中、女子の列とすれ違った。


雨宮がいた。


体操服姿。


別に印象が大きく変わる訳ではない。


でも、制服じゃないだけで少し違って見える。


雨宮も湊に気づいた。


一瞬だけ目が合う。


「頑張って」


小さく言われた。


「何を」


「体力測定」


「体育苦手そうに見える?」


「普通」


湊は笑った。


「雨宮こそ」


「私、シャトルラン嫌い」


「それは分かる」


すれ違う。


それだけだった。


でも湊は、なんとなくその会話を引きずった。


体育は思ったより疲れた。


反復横跳び。


握力。


立ち幅跳び。


シャトルラン。


藤堂はやたら運動ができた。


倉田は見た目通りそこそこだった。


三橋は意外と体力があった。


湊は全部普通だった。


本当に普通。


悪くもないが、特別良くもない。


体育館の床に座りながら、湊は息を整えた。


「朝比奈って平均って感じだな」


藤堂が言う。


「悪口?」


「褒め言葉」


「それ、雨宮と同じこと言うな」


「え、マジ?」


藤堂が笑う。


「二人、やっぱちょっと似てるよな」


その言葉に、湊は少しだけ黙った。


似ている。


そんなこと考えたことなかった。


でも、否定もしづらかった。


昼休み。


今日は購買へ行くことになった。


藤堂が「メロンパン食いたい」と騒いだからだ。


湊も一緒についていく。


購買はかなり混んでいた。


「戦争じゃん」


倉田が言う。


「高校の購買ってこうなんだ」


湊は周囲を見回した。


上級生たちが普通に列へ割り込んでくる。


人気のパンはすぐなくなる。


運動部らしい男子たちは買う量も多い。


高校っぽい。


結局、湊は焼きそばパンを買った。


教室へ戻る途中、廊下で雨宮とすれ違う。


「買えた?」


雨宮が聞く。


「一応」


「何買った?」


「焼きそばパン」


「高校生っぽい」


「何それ」


「購買のパン食べてる感じ」


「雨宮は?」


「おにぎり」


「普通だな」


雨宮は少しだけ笑った。


「普通だから」


教室へ戻る。


昼休みの空気は、もうかなり日常になっていた。


湊はパンを食べながら、周囲を見た。


誰かが笑っている。


誰かがスマホを見ている。


誰かが机に突っ伏している。


その全部の中に、自分もいる。


高校生活が始まって、まだ一週間も経っていない。


でも湊は、少しずつこの教室に馴染み始めていた。


放課後。


ホームルームが終わる。


今日は部活見学へ行く人が多かった。


藤堂は当然バスケ部。


倉田は帰宅部宣言。


三橋は図書室を見に行くらしい。


湊はまだ決めていない。


「朝比奈どうする?」


藤堂が聞く。


「今日は軽く見てみる」


「お、青春」


「その言い方やめろ」


藤堂は笑って教室を出ていった。


湊は鞄を持つ。


その時、隣から声がした。


「朝比奈」


「ん?」


「部活、何見るの」


「まだ決めてない。適当に」


「そっか」


雨宮は少し考えてから言った。


「じゃあ、図書室行く」


「部活じゃないじゃん」


「落ち着くから」


「普通にサボり場所だろ」


「否定できない」


湊は笑った。


雨宮も少し笑う。


教室の外では、運動部の掛け声が響いていた。


夕方の光が廊下へ差し込んでいる。


高校の放課後の音だった。


湊はふと思った。


自分は今、ちゃんと高校生活をしている。


隣の席の女子と話して、クラスLINEを見て、購買のパンを食べて、放課後の話をする。


そんな毎日が、少しずつ特別になり始めている気がした。

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