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『普通の恋が、したかった。』  作者: vastum


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第46話 言いかけた言葉

火曜日。


朝。


昨日の余韻が、まだ少し残っていた。


『もし、本当にそうなったら、ちゃんと教えてね』


栞のその言葉が、頭から離れない。


朝比奈湊は駅へ向かいながら、小さく息を吐いた。


最近、栞の言葉は妙に心臓へ残る。


しかも昨日は、かなり直接的だった。


“まだ”。


“そうなったら”。


全部。


もう完全に、恋愛の話になっている。


なのに。


まだ告白はしていない。


その曖昧さが、最近どんどん苦しくなっていた。


電車へ乗る。


少し混んでいる。


次の駅。


栞が乗ってくる。


湊を見つけると、少しだけ笑った。


「おはよう、湊」


「おはよう」


その笑顔を見た瞬間、昨日の会話が全部蘇る。


栞も少しだけ照れている気がした。


でも、気のせいかもしれない。


「……眠そう」


栞が言う。


「昨日、ちょっと考え事してた」


「昨日の?」


完全に読まれていた。


湊は少しだけ笑う。


「まあ」


栞は小さく頷いた。


「私も」


その一言で、また心臓が静かに跳ねる。


学校へ向かう道。


今日は少し風が強かった。


五月の空気。


暖かいけど、少しだけ涼しい。


「なんか」


栞が前を向いたまま言う。


「昨日、変だったね」


「まあ」


「教室止まってた」


湊は思わず笑う。


たしかに。


あの瞬間だけ、一瞬空気が静かになった。


「でも」


栞が小さく続ける。


「ちょっと楽しかった」


その言葉に、湊は少しだけ驚く。


「楽しかった?」


「みんなの反応」


「余裕だな」


栞は少し笑った。


「湊の顔も面白かった」


「やめろ」


教室へ入る。


今日もいつも通り騒がしい。


でも。


湊が入った瞬間、藤堂がにやっとした。


嫌な予感。


「おはよう、“まだ”」


「殺すぞ」


教室が笑いに包まれる。


最悪だ。


倉田まで笑っている。


「定着してる」


三橋は少し苦笑していた。


「しばらく言われそう」


湊は机へ突っ伏したくなった。


でも、隣を見ると。


栞が少し笑っている。


それを見ていると、怒る気も少し薄れる。


ホームルーム。


山崎がテスト範囲の話をしていた。


教室から悲鳴。


「現実!」


「文化祭返せ!」


藤堂が騒ぐ。


でも、その騒がしさが妙に心地いい。


湊はふと、入学当初を思い出した。


こんなふうに教室で笑っているなんて、想像していなかった。


しかも。


その中心に、栞がいる。


一時間目。


授業。


でも、今日は本当に集中できない。


隣を見るたび、昨日のことを思い出す。


「湊」


小声。


「ん?」


「今日ほんと分かりやすい」


栞が少し笑っている。


「誰のせいだよ」


「半分くらい私」


「全部だろ」


その返しに、栞は少し嬉しそうだった。


授業中。


ふと。


栞の手が机の上で少し触れた。


偶然。


たぶん。


でも、その瞬間、二人とも少し止まる。


「……ごめん」


湊が小さく言う。


栞は少しだけ首を横に振った。


「平気」


その声が、少しだけ柔らかい。


最近、本当に距離が近い。


触れることにも、少しずつ慣れてきている。


でも。


完全には慣れない。


昼休み。


今日は珍しく、湊と栞は少し静かだった。


昨日の話をまだ引きずっている。


でも、その沈黙は嫌じゃない。


「湊」


栞が弁当を食べながら言う。


「ん?」


「もしさ」


その言葉で、湊の心臓が少し跳ねる。


「うん」


栞は少しだけ視線を落とした。


「昨日みたいに聞かれた時」


「……うん」


「前だったら、たぶんすぐ否定してた」


その言葉に、湊は少しだけ黙る。


たしかに。


最初の頃なら。


“違う”って、もっと強く否定していた。


でも昨日、自分はそこまで否定しなかった。


それはたぶん。


もう、隠しきれないからだ。


「湊は?」


栞が聞く。


湊は少し考える。


それから、小さく笑った。


「俺も」


栞はその返事を聞いて、少しだけ安心したように笑った。


午後。


授業は相変わらず長かった。


でも、放課後が近づくにつれて、湊は少しそわそわしていた。


理由は分かっている。


最近。


帰り道が、一番特別だからだ。


放課後。


教室。


夕方の光。


部活へ向かう声。


その中で、湊は鞄を持ちながら栞を見る。


「帰る?」


「うん」


もう自然だった。


一緒に帰ること。


駅へ向かうこと。


その全部が。


夕方の道。


今日は少し風が強い。


髪が揺れる。


制服の袖が揺れる。


その中を、二人で並んで歩く。


「今日」


栞が小さく言う。


「ん?」


「なんか、静かだね」


湊は少し笑った。


「考え事」


「昨日の?」


「まあ」


栞も少し笑う。


「同じ」


少し沈黙。


でも、その沈黙が苦しくない。


むしろ。


言葉にならないものが、ちゃんと流れている感じがした。


「湊」


「ん?」


栞が少しだけ立ち止まりそうになって、それから言った。


「最近さ」


「うん」


「前より、ちゃんと意識してる」


その言葉で、湊の心臓が大きく跳ねる。


風が吹く。


夕方の光。


駅へ向かう人たち。


その全部が、一瞬遠くなる。


「……何を」


やっとそれだけ聞く。


栞は少しだけ笑った。


でも、その笑顔はかなり照れていた。


「分かってるくせに」


その言葉で、湊は完全に黙る。


分かっている。


たぶん。


でも、怖かった。


期待してしまうから。


「湊は?」


静かな声。


逃げられない。


湊は少しだけ息を吐いた。


そして。


「……かなり」


やっとそれだけ言う。


栞は数秒黙った。


それから、小さく笑った。


「そっか」


その“そっか”が、妙に優しかった。


駅が見えてくる。


でも。


今日は、少しだけ帰りたくなかった。


「栞」


気づけば、湊は呼んでいた。


「ん?」


言おうとする。


好き。


その一言。


もう、喉まで来ている。


でも。


電車の音。


人の流れ。


心臓の音。


全部が混ざって、うまく言葉にならない。


「……いや」


結局、飲み込んだ。


栞は少しだけこちらを見る。


でも、急かさなかった。


その代わり、小さく笑う。


「また今度?」


その言葉が、妙に優しかった。


湊は少しだけ苦笑する。


「……読まれてる」


「かなり」


またそれだ。


でも今日は、その言葉に少し救われた。


電車が来る。


二人で乗る。


今日は座れなかった。


並んで立つ。


窓の外には、少しずつ暗くなる街。


湊は吊り革を握りながら思う。


もうたぶん。


時間の問題なんだと思う。


この関係に、名前がつくのは。

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