第43話 打ち上げ
木曜日。
文化祭が終わって数日。
教室の空気は、少し落ち着きを取り戻していた。
でも、完全に元通りという訳ではない。
前より笑い声が増えた。
誰かと誰かが話している光景が自然になった。
その変化は、文化祭が終わったあともちゃんと残っていた。
朝比奈湊は、その空気をぼんやり感じながら席へ座る。
「おはよう、湊」
隣。
栞。
今日も当たり前みたいにその声がある。
「おはよう」
最近、それだけで少し安心する。
栞は鞄を机へ置きながら、小さく息を吐いた。
「今日ちょっと眠い」
「最近ずっと言ってるな」
「文化祭終わって気抜けた」
「分かる」
湊も少しだるかった。
文化祭前は、毎日が忙しかった。
でも今は急に静かになった感じがする。
その差で、少し力が抜けていた。
「朝比奈ー!」
後ろから藤堂の声。
嫌な予感。
「今日、放課後打ち上げな!」
「ああ」
「忘れてた顔すんな」
「いや普通に覚えてる」
今日はクラスの文化祭打ち上げ。
近くのファミレス。
大人数で集まるらしい。
最初に聞いた時、湊は少しだけ驚いた。
こういう集まりへ、自分が自然に参加する側になっている。
そのことがまだ少し不思議だった。
「雨宮さんも来るよな?」
藤堂が聞く。
栞は小さく頷いた。
「行く」
「よし!」
なぜか藤堂が満足そうだ。
倉田がぼそっと言う。
「お前、幹事向いてるな」
「祭り男だからな!」
「便利だなその設定」
教室に笑い声。
その空気が、かなり心地いい。
一時間目。
授業はいつも通り。
でも、今日はみんな少し浮ついていた。
打ち上げがあるからだ。
先生の話を聞きながらも、教室の空気がどこか柔らかい。
湊はノートを取りながら、ふと隣を見る。
栞は真面目に板書している。
でも、たまに少し眠そうに瞬きをしていた。
「眠そう」
小声で言う。
栞は少しだけ笑った。
「昨日、写真整理してた」
「まだやってたのか」
「文化祭、結構撮ってた」
「送って」
栞は少し目を丸くした。
それから、小さく笑う。
「いいよ」
そのやり取りだけで、妙に嬉しい。
最近、本当にこういう小さい約束が増えた。
昼休み。
打ち上げの話で盛り上がっていた。
「何人来る?」
「結構多い」
「一組、仲良くなったよなー」
藤堂がしみじみ言う。
それに、何人かが普通に頷いていた。
文化祭前なら、こんな空気にはなっていなかった気がする。
「朝比奈」
倉田が急に言う。
「何」
「最初、お前打ち上げとか来なさそうだった」
湊は少し笑う。
「俺も思ってた」
教室に笑いが起きる。
でも、それは本音だった。
前の自分なら、適当に理由をつけて帰っていた気がする。
人が多い場所は得意じゃない。
騒がしいのも、そこまで好きじゃなかった。
でも今は。
少し違う。
「今は普通に楽しみそう」
三橋が静かに言う。
その言葉に、湊は少しだけ考える。
それから、正直に頷いた。
「……まあ、少し」
藤堂が笑う。
「成長!」
「便利だなその言葉」
でも。
本当にそうかもしれない。
放課後。
授業が終わると、みんな少しテンションが上がる。
「行くぞー!」
藤堂が先頭。
その後ろを、クラスメイトたちがぞろぞろ歩く。
夕方の街。
制服姿の集団。
かなり目立つ。
湊はその少し後ろを歩きながら、隣を見る。
栞がいた。
「なんか不思議」
栞が小さく言う。
「何が」
「クラスみんなでこういうの」
「たしかに」
中学の頃には、こういう記憶があまりない。
放課後に、クラスでどこかへ行く。
そんなこと、自分にはあまり縁がなかった。
でも今は、その輪の中にいる。
それが少し嬉しい。
ファミレスへ着く。
人数が多いせいで、かなり騒がしい。
「うわ、修学旅行みたい」
倉田が笑う。
「高校生っぽい」
栞が小さく言う。
湊は少し笑った。
「最近それ好きだな」
「便利だから」
「普通みたいに言うな」
席へ座る。
偶然、湊の隣は栞だった。
向かいには藤堂と三橋。
倉田はドリンクバーへ向かっている。
「文化祭お疲れー!」
藤堂が勝手に乾杯を始める。
みんな笑いながらグラスを上げた。
打ち上げは、思っていたよりずっと楽しかった。
文化祭の話。
失敗談。
写真。
誰かが撮った変な顔。
笑い声がずっと続いている。
「朝比奈、文化祭の日めっちゃ受付見てたよな」
藤堂が突然言う。
湊が止まる。
「は?」
「いや、視線分かりやすかった」
「見てない」
「いや見てた」
倉田まで笑う。
「雨宮さんいたしな」
湊は本気で顔を押さえたくなった。
栞は隣で少し笑っている。
「……そんな見てた?」
湊が小声で聞く。
栞は少し考えるふりをして。
「かなり」
終わった。
でも、そのあと栞が小さく言う。
「嬉しかったけど」
その一言で、また全部持っていかれる。
「お前らほんと青春だな」
藤堂が笑う。
「最近それしか言ってない」
「でも実際そうだろ」
たしかに。
少し前の自分なら、こんな場所で笑っていなかった。
こんなふうに、誰かの隣で安心していなかった。
食事が進む。
みんな自由に話している。
その空気を見ながら、湊はふと思った。
このクラス、かなり好きかもしれない。
「湊」
栞が小さく呼ぶ。
「ん?」
「今日、ちゃんと楽しそう」
その言葉に、湊は少しだけ笑った。
「楽しいし」
栞は少し目を細める。
「よかった」
その顔が、妙に優しかった。
帰り道。
打ち上げが終わる頃には、外は夜だった。
クラスメイトたちと駅前で別れる。
「また明日ー!」
「課題忘れんなよ!」
「現実!」
そんな声が飛び交う。
湊と栞は、自然と同じ方向へ歩き始める。
夜風が少し涼しい。
「楽しかった?」
栞が聞く。
「かなり」
「私も」
少し沈黙。
でも、その静けさが心地いい。
「なんかさ」
湊がぽつりと言う。
「うん」
「文化祭終わっても、ちゃんと続いてる感じする」
栞は少しだけ笑った。
「分かる」
クラスの空気。
放課後。
こういう時間。
全部、文化祭で終わらなかった。
むしろ、そこから少し続いている。
「湊」
「ん?」
「最近、前より笑うようになった」
その言葉に、湊は少しだけ止まる。
「そう?」
「かなり」
栞はそう言って、小さく笑った。
「前はもっと、壁あった感じ」
湊は少しだけ夜空を見上げる。
たしかに、そうだったかもしれない。
でも今は違う。
「……まあ」
少し照れながら言う。
「今、結構楽しいから」
栞は数秒黙って、それから静かに笑った。
「うん。知ってる」
駅が見えてくる。
夜のホーム。
電車が来る。
二人で乗る。
今日は座れた。
並んで座る。
ファミレスの余韻。
クラスの笑い声。
文化祭の話。
全部がまだ残っている。
栞が窓の外を見ながら、小さく言った。
「なんか、ちゃんと高校生してるね」
その言葉に、湊は少しだけ笑った。
「今さら?」
「最近ずっと思う」
たぶん、自分も同じだった。
普通の高校生活。
放課後。
打ち上げ。
好きな人と並んで帰る時間。
昔、自分には関係ないと思っていたもの。
でも今は、その中にちゃんといる。
そして湊は、そのことが少し誇らしかった。




