第42話 文化祭のあと
文化祭翌週の月曜日。
朝。
学校へ向かう足取りが、少しだけ重かった。
疲れが残っている。
昨日は一日ほとんど寝ていた。
でも、それだけじゃない。
文化祭が終わった。
その事実が、思っていたより大きかった。
駅へ向かう途中。
湊は無意識に昨日のことを思い出していた。
片付け後の教室。
帰り道。
『今日の栞、結構可愛かった』
自分で言ったくせに、思い返すだけで恥ずかしくなる。
でも、栞が少し嬉しそうだったことも覚えている。
その記憶が、胸の奥に静かに残っていた。
電車へ乗る。
少し眠そうな学生が多い。
文化祭明けだからか、全体的に空気が静かだった。
次の駅。
栞が乗ってくる。
湊を見つけると、小さく笑った。
「おはよう、湊」
「おはよう」
その声を聞くだけで、少し安心する。
栞も少し眠そうだった。
「眠い?」
湊が聞く。
栞は小さく頷く。
「かなり」
「同じ」
「文化祭の疲れ?」
「たぶん」
少し沈黙。
でも、その沈黙はいつも通り落ち着く。
「なんか」
栞が窓の外を見ながら言う。
「終わった感じするね」
その言葉に、湊は少しだけ胸がざわついた。
終わった感じ。
たしかに。
あれだけ毎日文化祭準備をしていたのに、急にそれがなくなる。
その空白が、少し寂しい。
「……うん」
小さく頷く。
「でも、なんか変な感じ」
栞は少し笑った。
「分かる」
学校へ向かう道。
今日は少し静かだった。
文化祭前みたいな浮ついた空気はない。
でも、その代わり。
どこか柔らかい空気が残っている。
教室へ入る。
一瞬、少しだけ違和感があった。
普通の教室に戻っている。
射的ブースも。
背景も。
看板もない。
いつもの机。
いつもの黒板。
でも。
空気だけは、少し違っていた。
「うわ、戻ってる……」
倉田が教室を見回しながら言う。
「当たり前だけど寂しいな」
藤堂も珍しく静かだった。
「祭りのあと感すごい」
三橋が席へ座りながら小さく言う。
「でも、なんかクラスの空気変わった気する」
その言葉に、湊は少しだけ頷いた。
たしかに。
文化祭前より、みんな自然に話している。
距離が近い。
教室の空気が柔らかい。
たった数週間なのに、ちゃんと変わっていた。
「朝比奈」
藤堂がにやにやしながら言う。
「何」
「文化祭ロス?」
「お前じゃあるまいし」
「でもちょっとあるだろ」
図星だった。
準備期間も、本番も、かなり楽しかった。
だからこそ、急に終わると少し寂しい。
ホームルーム。
山崎が教卓へ立つ。
「文化祭お疲れー。まあ今日から通常営業な」
教室から小さいため息。
「あと、一組結構評判よかったぞ」
その言葉で、教室が少し明るくなる。
「マジ?」
「やっぱ俺の呼び込み」
「絶対違う」
笑い声。
その空気が、少し嬉しかった。
文化祭が終わっても、ちゃんとこの空気が残っている。
それが安心する。
一時間目。
久しぶりの普通の授業。
でも、教室全体がどこかぼんやりしていた。
先生も少し苦笑している。
「文化祭明けだからって寝るなよー」
すでに数人危ない。
湊もかなり眠かった。
隣を見る。
栞も少しぼんやりしている。
「眠そう」
小声で言う。
栞は少しだけ笑った。
「昨日、文化祭の写真見返してた」
湊の心臓が少し跳ねる。
「……見返したんだ」
「うん」
栞は少しだけ視線を落とした。
「楽しかったから」
その言葉が、静かに胸へ沁みる。
湊も、昨日少しだけ写真を見返した。
クラスのみんな。
射的ブース。
笑っている栞。
見返しているだけで、少し胸が温かくなる。
「俺も見た」
そう言うと、栞は少し嬉しそうに笑った。
昼休み。
今日は文化祭の話ばかりだった。
「他クラス行った?」
「あそこのお化け屋敷やばかった」
「写真送れ」
みんなまだ余韻の中にいる。
その空気が、妙に心地いい。
湊は弁当を食べながら、ぼんやり教室を見回した。
文化祭は終わった。
でも。
何かが終わった感じは、あまりしない。
むしろ。
少し続いている感じがする。
「湊」
栞が小さく呼ぶ。
「ん?」
「今日、なんか静か」
「余韻」
「分かる」
栞も少しだけ笑った。
「なんか、昨日のことまだ引きずってる感じ」
その言葉が、妙にしっくりくる。
たぶん今のクラス全体がそうだった。
放課後。
今日は久しぶりに準備のない放課後だった。
それなのに、教室には人が結構残っている。
誰かと話している。
写真を見せ合っている。
笑っている。
その光景を見て、湊は少しだけ安心した。
終わったからって、全部消える訳じゃない。
ちゃんと残っている。
「朝比奈」
藤堂が机へ座りながら言う。
「何」
「今週、打ち上げやるぞ」
「早いな」
「文化祭終わったらそれだろ」
倉田も頷く。
「焼肉行きたい」
「高校生が言うことじゃない」
三橋が少し笑った。
そのやり取りを聞きながら、湊も少し笑う。
前なら、こういう会話を少し離れた場所で聞いていた気がする。
でも今は違う。
ちゃんと、その輪の中にいる。
「湊」
栞が隣で小さく言う。
「ん?」
「変わったね」
湊は少しだけ止まる。
「何が」
「クラス」
それから、少し間を空けて。
「あと、湊も」
その言葉が、静かに胸へ落ちる。
湊は少しだけ笑った。
「栞も」
栞は少し目を丸くする。
「私?」
「最初より、かなり笑うようになった」
栞は少しだけ照れたように視線を逸らした。
「……それは」
「ん?」
「楽しいから」
その言葉が、今日はいつも以上に嬉しかった。
帰り道。
文化祭後、初めての普通の帰り道。
でも、不思議と普通じゃなかった。
空気が少し柔らかい。
二人で歩く距離も、前より自然だ。
「湊」
「ん?」
「文化祭終わったけど」
「うん」
「なんか、前より近くなった気する」
湊は少しだけ息を止めた。
その言葉は、たぶんクラスの話でもある。
でも。
それだけじゃない気がした。
「……かもな」
やっとそれだけ返す。
栞は少しだけ笑った。
駅が見えてくる。
夕方のホーム。
電車が来る。
二人で乗る。
今日は座れた。
並んで座る。
窓の外には夕方の街。
栞がぽつりと言う。
「文化祭終わったの、ちょっと寂しいけど」
「うん」
「でも、終わったあとも結構好きかも」
その言葉に、湊は少しだけ笑った。
「俺も」
文化祭は終わった。
でも。
そのあとに残ったものは、ちゃんとあった。
クラスの空気。
みんなとの距離。
そして。
栞との、少しだけ近くなった関係。




