第31話 休日の約束
ゴールデンウィーク初日。
朝比奈湊は、目覚ましが鳴るより先に目を覚ました。
理由は明確だった。
今日、栞と出かける。
映画。
高校生っぽい休日。
そう思った瞬間から、昨日の夜はかなり寝つきが悪かった。
何を着るか。
待ち合わせは早すぎないか。
映画のあとどうするのか。
そんなことを延々考えていたせいで、気づけば深夜だった。
湊はベッドの上でしばらく天井を見つめた。
緊張している。
かなり。
学校で会うのとは違う。
放課後の寄り道とも違う。
休日に、“約束して”会う。
それだけで特別感があった。
スマホを見る。
栞とのトーク画面。
昨日の最後のやり取りが残っている。
『十時、駅前で大丈夫?』
『大丈夫』
『遅れないで』
『栞も』
『私は普通に着く』
『その普通信用してる』
『成長したから』
そこまで見返して、湊は少し笑った。
最近、本当に自然に連絡を取るようになっている。
少し前なら考えられなかった。
湊は起き上がり、服を選び始める。
制服じゃない。
それだけでかなり難しい。
クローゼットを開けて数分固まる。
黒。
白。
無難。
結局、シンプルなパーカーとデニムに落ち着いた。
頑張りすぎてると思われたくない。
でも適当にも見られたくない。
そのバランスが一番難しい。
鏡を見る。
普通。
かなり普通。
でも、それでいい気もした。
約束の三十分前。
湊は駅前に着いてしまった。
早すぎる。
でも家で待っている方が落ち着かなかった。
駅前は休日の人で少し賑わっていた。
カップル。
家族連れ。
高校生グループ。
その中で一人立っていると、妙にそわそわする。
スマホを見る。
まだ十分前。
早い。
でも、その時。
「湊」
声。
振り向く。
栞だった。
白いシャツに薄いカーディガン。
黒のスカート。
派手ではない。
でも、かなり似合っていた。
湊は一瞬、言葉が出なくなる。
栞が少し首を傾げた。
「固まった」
「……いや」
「また顔に出てる」
湊は小さく息を吐いた。
「栞、早くない?」
「湊も」
「まあ」
栞は少し笑った。
「待たせるの嫌だった」
その言葉が、妙に嬉しい。
湊は改めて栞を見る。
やっぱり可愛いと思った。
特別派手ではない。
でも、こうして私服で会うと、学校とは少し違って見える。
髪も少し柔らかく見えるし、表情もどこか自然だった。
「湊」
「ん?」
「今日、ちょっと静か」
「緊張してる」
正直に言うと、栞は少しだけ目を丸くした。
それから、小さく笑う。
「珍しい」
「かなり」
「なんで?」
湊は少しだけ視線を逸らした。
「……休日に、こうやって会うの初めてだから」
言ったあと、自分で恥ずかしくなる。
でも栞は笑わなかった。
「私も少し緊張してた」
その言葉で、湊の肩の力が少し抜けた。
映画館までは歩いて十分くらい。
休日の街は、人が多い。
並んで歩く。
その距離感が、学校より少しだけ難しい。
制服じゃない。
周囲にクラスメイトもいない。
完全に“二人で遊びに来ている”感じがする。
それが、妙に照れくさかった。
「映画、何時からだっけ」
栞が聞く。
「十時半」
「ちょうどいいね」
「ポップコーンどうする?」
「高校生っぽい」
「またそれ」
栞は少し笑った。
その笑顔を見て、湊も少し落ち着く。
映画館へ着く。
連休初日だからか、人が多かった。
チケットを受け取る。
飲み物を買う。
そんな普通の流れなのに、全部が少し特別に感じる。
「何飲む?」
湊が聞く。
「アイスティー」
「了解」
栞が財布を出そうとする。
でも湊は先に言った。
「今日は出す」
栞が少しだけ驚いた顔をした。
「なんで」
「……なんとなく」
本当は、“誘われた側だから”とか、“今日は特別だから”とか色々ある。
でも、全部言うと恥ずかしい。
栞は少しだけ湊を見て、それから小さく頷いた。
「じゃあ、今度は私」
“今度”。
その言葉が自然に出てくるのが嬉しかった。
映画は、軽めの青春映画だった。
恋愛メインではない。
でも、ちゃんと青春している感じの作品。
湊は最初、映画に集中できるか不安だった。
隣に栞がいる。
しかも休日。
暗い館内。
近い距離。
意識しない方が無理だった。
でも、映画が始まると少しずつ落ち着いていく。
隣から、たまに小さな笑い声が聞こえる。
栞だ。
その声を聞くだけで、少し嬉しくなる。
映画の終盤。
主人公たちが将来の話をする場面で、栞が少しだけ動いた気がした。
湊は横を見なかった。
でも、なんとなく。
同じタイミングで空気を飲み込んだ気がした。
映画が終わる。
館内が明るくなる。
人が立ち上がる音。
湊は少しだけ息を吐いた。
「どうだった?」
栞が聞く。
「普通に面白かった」
「普通に、便利」
「栞は?」
「結構好き」
二人で映画館を出る。
外は昼前の光。
人通りが多い。
「お腹空いた?」
湊が聞く。
栞は少し考えてから頷いた。
「少し」
結局、駅前のショッピングモールの中にあるカフェへ入った。
前より少し落ち着いた店。
窓際の席。
注文を待つ間、少し沈黙が落ちる。
でも気まずくはない。
むしろ、静かな空気が心地いい。
「映画」
栞が言う。
「うん」
「最後、ちょっとよかった」
「将来の話?」
「うん」
湊は少し頷く。
「ああいうの、なんか分かる」
「分かる?」
「今しかない時間、みたいなの」
栞は少しだけ目を細めた。
「高校生っぽい」
「今日それ多いな」
「だって最近ほんとそう思う」
料理が来る。
パスタ。
サンドイッチ。
飲み物。
二人で普通に食べながら話す。
学校のこと。
文化祭。
藤堂のこと。
三橋のこと。
どうでもいい話ばかり。
でも、時間がすごく早い。
「湊」
栞がストローをくわえながら言う。
「ん?」
「今日、ちょっと嬉しそう」
「栞も」
「そう?」
「かなり」
栞は少しだけ笑った。
「じゃあ同じ」
またその言葉。
最近、一番安心する。
食べ終わったあと、二人は少しだけ店内でゆっくりした。
急いで帰る理由もない。
でも、無理に長引かせる感じでもない。
その自然な空気が心地いい。
窓の外を見る。
休日の街。
歩く人たち。
「なんかさ」
湊がぽつりと言う。
「うん」
「今日、普通に楽しい」
栞は少しだけ笑った。
「よかった」
「もっと緊張すると思ってた」
「してたじゃん」
「最初だけ」
「映画館入るまで、かなり固かった」
「やめろ」
栞は笑う。
その笑い方が柔らかくて、湊は少しだけ見惚れそうになる。
店を出る頃には、午後になっていた。
駅へ向かう道。
春の終わりの風。
並んで歩く。
「今日」
栞が言う。
「うん」
「誘ってよかった」
その言葉に、湊は少しだけ足を止めそうになる。
栞は前を向いたまま続ける。
「休日に会うの、思ったより楽しかった」
湊は小さく笑った。
「俺も」
「また行く?」
その聞き方が、あまりにも自然だった。
湊は少しだけ照れながら頷く。
「行く」
栞は少し笑った。
駅に着く。
休日のホーム。
電車が来る。
二人で乗る。
今日は座れた。
並んで座る。
少しだけ沈黙。
でも、その沈黙が嫌じゃない。
むしろ落ち着く。
栞が窓の外を見ながら、小さく言った。
「名前ない感じ、まだ好きかも」
湊はその言葉を聞いて、少しだけ胸が熱くなる。
恋人ではない。
でも、ただの友達でもない。
その曖昧な距離。
今日みたいな休日を一緒に過ごして、それでもまだ“名前がない”。
でも、その未完成さが、今は心地いい。
「……俺も」
湊がそう返すと、栞は少しだけ笑った。
電車が揺れる。
窓の外には、春の光。
普通の休日。
映画を観て、ご飯を食べて、帰るだけ。
それだけなのに、湊にとってはかなり特別な一日だった。
そして、その特別を栞と共有できていることが、何より嬉しかった。




