第32話 連休の夜
映画へ行った翌日。
日曜日の夜。
朝比奈湊は、自分の部屋のベッドへ寝転がりながらスマホを見つめていた。
時刻は二十二時過ぎ。
課題は一応終わった。
動画も少し見た。
ゲームもした。
でも、頭の中にはずっと昨日のことが残っている。
映画。
カフェ。
並んで歩いた道。
「また行く?」
その言葉。
全部。
湊は枕へ顔を押しつけた。
昨日からずっと、変にふわふわしている。
休日に二人で出かける。
それだけなのに、思っていた以上に特別だった。
しかも、“また”まである。
それがかなり嬉しい。
スマホが震えた。
湊は反射的に起き上がる。
栞だった。
『課題終わった?』
短いメッセージ。
でも、それだけで口元が少し緩む。
『一応』
すぐ既読。
『えらい』
最近、本当によく言われる。
湊は少し笑った。
『栞は?』
『終わった』
『さすが』
『普通』
そのやり取りだけで、かなり落ち着く。
湊はスマホを持ったまま天井を見た。
少し前まで、休日の夜に誰かとLINEするなんてほとんどなかった。
必要な連絡だけ。
でも今は違う。
特に用事がなくても、自然に話している。
『今日、何してた?』
湊が送る。
少しして返信。
『本読んでた』
『インドア』
『湊は?』
『動画見てた』
『高校生っぽい』
またそれだ。
湊は笑いながら返す。
『最近それ好きだろ』
『ちょっと』
『なんで』
既読。
少し間。
それから返信。
『今がちゃんと高校生してる感じするから』
その言葉を見た瞬間、湊は少し黙った。
ちゃんと高校生してる。
その感覚は、湊にもかなり分かる。
放課後。
寄り道。
休日の電話。
映画。
名前で呼ぶこと。
全部、中学の頃にはなかった。
『俺も最近思う』
そう返す。
既読。
『よかった』
短い言葉。
でも、ちゃんと嬉しそうなのが分かる。
湊はスマホを胸の上に置いた。
静かな部屋。
窓の外では、少し風の音がする。
連休の夜特有の、ゆっくりした空気。
その中で、栞とやり取りをしている。
ただそれだけなのに、かなり満たされていた。
『湊』
またメッセージ。
『ん?』
『昨日、楽しかった』
湊の心臓が少し跳ねる。
昨日。
映画。
その話題はまだ強い。
『俺も』
すぐ返す。
既読。
『最初ちょっと固かったけど』
『言うな』
『でも途中から普通だった』
『頑張った』
『成長』
湊は笑った。
最近、“成長”という単語が二人の中でかなり定着している。
最初は、名前呼びだけで変に緊張していた。
今は、休日に二人で映画へ行ける。
たしかに少し成長しているのかもしれない。
『栞』
湊が送る。
『ん?』
少し迷った。
でも、なんとなく聞きたくなった。
『昨日、緊張してた?』
既読。
少し長めの間。
湊は少しだけ不安になる。
変なこと聞いたかもしれない。
でも、返ってきた。
『かなり』
湊は思わず笑った。
『意外』
『なんで』
『栞、平気そうだった』
『頑張って普通の顔してた』
その言葉で、昨日の栞を思い出す。
駅前で会った時。
映画館。
カフェ。
たしかに、落ち着いて見えた。
でも、それは“頑張ってた”のかもしれない。
『湊が固かったから』
続けて送られてくる。
『私まで緊張した』
『責任重大』
『うん』
少し笑う。
文字だけなのに、栞の声が聞こえる気がする。
『でも』
またメッセージ。
『途中から楽だった』
湊はその文字を見つめた。
楽。
その言葉が、妙に嬉しかった。
気を使わなくていい。
無理しなくていい。
そういう意味に聞こえたから。
『俺も』
自然に返す。
『映画観てる時とか、普通に落ち着いてた』
既読。
『隣慣れた?』
その質問で、湊は少しだけ止まる。
隣。
席。
電車。
映画館。
思い返せば、最近ずっと栞が隣にいる。
『かなり』
そう返す。
『でもまだたまに緊張する』
既読。
『分かる』
『分かるんだ』
『たまに急に近い』
湊は思わず顔を覆った。
それ、完全に同じだ。
名前を呼ばれた時。
距離が近い時。
ふと目が合った時。
急に意識してしまう瞬間がある。
『今日さ』
栞からまた送られてくる。
『昼くらいに映画思い出してた』
湊の心臓が静かに跳ねる。
『どこ』
『ポップコーン』
『そこ?』
『半分くらい湊が食べてた』
『いや栞食べるの遅いんだよ』
『見てた』
その言葉で、湊はまた少し黙る。
見てた。
そういう言い方がずるい。
『湊』
『ん?』
『昨日の服、結構好きだった』
湊は完全に止まった。
スマホを見つめる。
数秒。
十秒。
返信できない。
心臓がかなりうるさい。
『固まった』
追撃が来る。
『……急にそういうこと言うな』
やっと返す。
既読。
『本音』
『心臓に悪い』
『昨日から何回目?』
『かなり言ってる』
栞はたぶん、少し笑っている。
その顔が浮かぶ。
湊は枕に顔を埋めた。
無理だ。
好きな人に“服好きだった”なんて言われて平気でいられる訳がない。
しかも栞は、こういうことを変に飾らず言う。
だから余計に破壊力がある。
『栞も』
湊は少し迷ってから送った。
既読。
『何』
『昨日、普通に可愛かった』
送った瞬間、湊は本気で後悔した。
何送ってるんだ。
消したい。
でも既読がついている。
終わった。
数秒返信が来ない。
湊の心臓がどんどん速くなる。
そして。
『……急にそういうこと言うな』
返ってきた。
湊は思わず吹き出した。
『返しただけ』
『心臓に悪い』
『それ昨日言われた』
『かなり言ってる』
同じ流れだった。
湊は笑いながらスマホを見る。
その時、通知。
『でも』
また栞。
『ちょっと嬉しい』
その一言で、また胸が熱くなる。
湊はしばらく返信できなかった。
嬉しい。
その言葉が、最近二人の間で少しずつ増えている。
最初は、“普通”ばかりだった。
でも今は違う。
楽しい。
嬉しい。
安心する。
そういう感情を、ちゃんと言葉にしている。
『俺も』
やっと送る。
『昨日、かなり嬉しかった』
既読。
少し間。
『映画?』
『全部』
送ってから、湊は少しだけ照れる。
でも、不思議と後悔はなかった。
栞から返信。
『私も』
短い。
でも、それだけで十分だった。
気づけば、二十三時を回っていた。
『そろそろ寝る?』
栞が送ってくる。
『明日学校だし』
『現実』
『高校生だから』
『最近それ便利』
『普通くらい便利』
既読。
少しして。
『また明日、湊』
その言葉が、休日の終わりに妙に沁みた。
『また明日、栞』
スマホを置く。
部屋は静かだった。
でも、不思議と寂しくない。
明日になれば、また学校で会える。
隣の席。
朝の挨拶。
帰り道。
そういう時間が、ちゃんと待っている。
湊は天井を見上げながら思った。
“名前のない関係”。
まだそれは変わっていない。
でも、その名前のない時間が、少しずつ積み重なっている。
そしてたぶん。
その積み重ねが、今の自分には何より大事だった。




