第3話 グループ決め
高校三日目。
朝比奈湊は、目覚ましが鳴る前に目を覚ました。
三日連続だった。
さすがに自分でも分かる。
高校生活を意識している。
中学の頃は、朝なんてただ面倒なだけだった。制服に着替えて、眠いまま学校へ行き、席について、一日が終わるのを待つ。
もちろん楽しい日もあった。
テスト後とか、体育祭とか、友達とゲームの話で盛り上がった日とか。
でも、基本的には“繰り返し”だった。
今日も同じ一日が始まる。
そういう感覚。
けれど今は違う。
まだ教室の空気が固まっていない。
誰と誰が仲良くなるのか。
自分はどこに入るのか。
全部が途中だ。
だから少し落ち着かない。
その代わり、少しだけ楽しみでもあった。
湊はベッドから起き上がり、カーテンを開けた。
朝の光が部屋に入る。
スマホを見る。
通知はない。
当然だった。
まだクラスLINEもできていない。
でも昨日の夜、何となくスマホを見る回数が増えていた自覚はある。
自分でも笑ってしまう。
高校生っぽい。
駅へ向かう道で、湊は昨日より少しだけ歩く速度を上げた。
遅刻しそうな訳ではない。
ただ、なんとなく。
学校へ行く足取りが少し軽い。
その事実に気づくたび、湊は少しむず痒くなった。
ホームには、同じ高校の制服が増えていた。
昨日までは“新入生”という感じだったが、今日はもう少し自然に見える。
人間は慣れるのが早い。
湊は電車に乗り、ドアの近くへ立った。
少しして、隣の車両から見覚えのある黒髪が歩いてきた。
雨宮栞だった。
雨宮も湊に気づいたらしい。
一瞬だけ目が合う。
それから、小さく会釈した。
湊も軽く頭を下げる。
それだけ。
でも、それがもう少し自然になっている。
雨宮は少し離れた場所に立った。
昨日みたいに会話はない。
朝の車内は静かだった。
イヤホンをしている人。
眠そうに窓へ寄りかかっている人。
友達同士で小声で話している人。
その中で、湊はなんとなく雨宮の方を見た。
雨宮はスマホを見ていた。
特別派手なケースでもない、透明のスマホケース。
中には何も挟まっていない。
そういうところも、なんとなく雨宮らしい気がした。
高校に着くと、教室の空気は昨日よりさらに賑やかだった。
すでに席を移動して話している奴もいる。
昨日一緒に帰った組なのか、前の方では男子数人が笑いながらスマホを見せ合っていた。
女子も女子で、少しずつ輪ができ始めている。
完全に固まってはいない。
でも、“流れ”みたいなものは見え始めていた。
湊は自分の席に座った。
「おはよう」
隣から声がした。
雨宮だった。
湊は少し驚いた。
先に挨拶された。
「……おはよう」
返しながら、少しだけ嬉しくなる。
単純だな、と自分でも思う。
雨宮は鞄を机にかけながら言った。
「眠そう」
「昨日ちょっとゲームしてた」
「何時まで?」
「一時くらい」
「高校生っぽい」
「なんだそれ」
「中学の時より自由になった感じ」
「あー」
確かにそうかもしれない。
まだ授業も始まっていないし、気が緩んでいる部分もある。
「雨宮は?」
「十一時半」
「健康的だな」
「普通」
また普通だ。
湊は少し笑った。
その時、藤堂が教室へ入ってきた。
「おはよー」
声が大きい。
クラスの何人かが「おはよ」と返す。
三日目にして、もう自然に空気へ入っている。
すごいな、と湊は思う。
藤堂は自分の席に荷物を置くと、そのまま湊の机へ寄ってきた。
「朝比奈、今日部活紹介らしいぞ」
「らしいな」
「何か入る?」
「まだ迷ってる」
「帰宅部だけはやめとけって兄貴に言われた」
「なんで」
「青春なくなるらしい」
「青春ってなんだよ」
「知らん」
藤堂は笑う。
そのまま何気なく雨宮の方を見た。
「雨宮さんも部活迷ってる?」
湊は少しだけ身構えた。
女子と男子が自然に話す空気に、まだ慣れていない。
でも雨宮は普通に答えた。
「うん。まだ決めてない」
「何かやってた?」
「中学は美術部」
「あー、なんか分かる」
「何が?」
「静かな感じ」
「偏見」
「ごめんって」
藤堂は軽い。
でも嫌味がない。
雨宮も特に嫌そうではなかった。
むしろ少しだけ笑っている。
湊はその会話を聞きながら、少し安心した。
クラスの空気が、思ったより悪くない。
もっとギスギスするかと思っていた。
高校ってもっと、グループが固まっていて、最初から立場が決まるものだと思っていた。
もちろん、これからそうなる部分もあるだろう。
でも今はまだ、“途中”だ。
一時間目。
山崎が教室へ入ってくる。
「はい、おはよう。今日は色々決めます」
嫌な予感がした。
こういう“色々決める”時間は、大体気まずい。
山崎は黒板に書く。
委員会。
係。
掃除場所。
班決め。
最後の文字を見た瞬間、教室の空気が少しざわついた。
班決め。
それはつまり、グループを作れということだ。
湊は内心で息を吐いた。
こういうのが一番苦手だった。
中学の時もそうだ。
「自由に四人組作ってー」
その一言で、世界が変わる。
すぐに動ける奴。
自然に呼ばれる奴。
逆に、立ち尽くす奴。
全部見えてしまう。
山崎はそんな空気に気づいているのかいないのか、普通に続けた。
「まあ、まだ三日目だからな。適当に近いやつ同士でもいいし」
その言葉で少しだけ空気が緩む。
完全自由ではないらしい。
「まずは班決めな。四人組。移動教室とかで使います」
教室が一気に動き出した。
前の方では、もう男子グループが固まり始めている。
女子も女子で、近くの席同士が声を掛け合っていた。
湊は少し固まった。
どう動くべきか。
藤堂たちはいる。
でも三人だ。
自分を入れれば四人。
自然と言えば自然だ。
けれど、自分から行くタイミングが分からない。
その時。
「朝比奈、一緒でいい?」
藤堂が振り返った。
湊は一瞬遅れて頷く。
「あ、うん」
「じゃ、決まりな」
軽かった。
本当に軽い。
でも、その軽さに救われる。
考えすぎなくていい。
そういう感じだった。
三橋も「よろしく」と言い、倉田は「楽で助かる」と笑った。
湊は少し肩の力が抜けた。
よかった。
ちゃんと班に入れた。
そんなことで安心している自分が少し情けない。
でも、安心したものは仕方なかった。
ふと隣を見る。
雨宮はまだ席に座っていた。
女子三人が少し離れた場所で相談している。
人数が合わないのかもしれない。
雨宮はその様子を静かに見ていた。
湊は少しだけ気になった。
声をかけるべきか。
でも男子の自分が口を出すのも変だ。
迷っていると、女子の一人が雨宮へ近づいた。
「雨宮さん、一緒でもいい?」
「うん」
雨宮は普通に頷いた。
そこで湊は小さく息を吐いた。
安心した。
何を安心しているのか、自分でもよく分からない。
班が決まり、黒板へ名前を書く。
湊は自分の名前を書きながら、周囲を見た。
もう班ごとの空気が少しでき始めている。
人間関係は早い。
本当に早い。
「朝比奈ってさ」
班の席移動をしている途中、藤堂が言った。
「ん?」
「最初もっと静かなタイプかと思った」
「悪い意味?」
「いや、普通に」
また普通だ。
最近その言葉を聞きすぎている気がする。
「でも普通に喋るよな」
「普通にな」
「そこ雨宮さんと同じこと言ってる」
湊は一瞬だけ動きを止めた。
「……何それ」
「いや、二人とも普通ってよく言うなって」
藤堂は笑った。
特に深い意味はなさそうだった。
でも湊は、なぜか少しだけ気まずくなる。
雨宮を見る。
雨宮は女子たちと話していた。
笑っている訳ではない。
でも、ちゃんと会話の輪に入っている。
それを見て、湊は少し安心した。
二時間目は委員会決めだった。
学級委員。
風紀委員。
図書委員。
保健委員。
誰も積極的には手を挙げない。
沈黙。
山崎が「誰かー」と言う。
また沈黙。
こういう時間が嫌いだった。
誰かが空気を読んで立候補するまで続く。
結局、真面目そうな女子と、サッカー部に入りそうな男子が学級委員になった。
空気が動く。
誰もが少し安心する。
「高校って感じするな」
倉田が後ろで呟いた。
湊も少し分かる気がした。
昼前。
最後のホームルーム。
山崎が言った。
「じゃあ最後に、来週から授業始まるから教科書持って帰れよ。あと、班で連絡取りやすいように連絡先交換しとけ」
教室がまたざわつく。
連絡先。
湊は少しだけ緊張した。
藤堂が真っ先にスマホを出す。
「はい、グループ作ろうぜ」
流れが早い。
湊も慌ててスマホを取り出した。
QRコードを見せ合う。
思ったより自然だった。
中学の頃もやったことはある。
でも、高校の“最初のグループ”というだけで妙に特別感があった。
グループ名どうする、という話になり、結局「一組四班」になった。
面白さゼロだった。
でも、今はそれくらいでちょうどいい。
ふと見ると、雨宮たちも連絡先を交換していた。
雨宮はスマホを見せながら、少しだけ困った顔をしている。
「どうしたの?」
女子の一人が聞く。
「アイコン設定してない」
「別にいいじゃん」
「なんか初期アイコン恥ずかしい」
その会話を聞いて、湊は少しだけ笑いそうになった。
雨宮にもそういう感覚があるらしい。
結局、昼で解散になった。
今日は昨日より、教室が少し賑やかだった。
「また月曜なー」
「部活見学どうする?」
「購買行ってみたい」
そんな会話が飛び交う。
高校生活が、少しずつ形になっていく。
湊は鞄を持った。
その時、隣から声がした。
「朝比奈」
「ん?」
「班できてよかったね」
雨宮だった。
湊は少し笑った。
「そっちも」
「うん」
「ちょっと焦った」
「分かる」
雨宮は頷く。
「三日目が一番怖い気する」
「なんで?」
「グループでき始めるから」
湊は少し黙った。
それは、自分が言葉にできなかった感覚だった。
雨宮はたまに、そういうことを普通に言う。
「……雨宮も考えるんだな」
「何それ」
「いや、なんか」
「失礼」
少しだけ笑う。
その空気が、昨日より自然だった。
教室の外では、藤堂たちが待っていた。
「朝比奈ー、帰るぞー」
湊はそちらを見る。
「今行く」
それから雨宮へ向き直った。
「じゃあまた」
「うん。また月曜」
また月曜。
それが少し自然になっている。
湊は教室を出ながら、少しだけ思った。
高校生活はまだ始まったばかりだ。
クラスの空気も、人間関係も、全部まだ途中。
でも。
中学の頃より少しだけ、“ここにいたい”と思えている。
それだけで、今は十分だった。




