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『普通の恋が、したかった。』  作者: vastum


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第18話 話し合い

水曜日のホームルーム。


朝比奈湊は、教室の前に立っていた。


隣には雨宮栞がいる。


黒板には、山崎が大きく書いた文字。


文化祭クラス企画


その下に、湊と雨宮が昨日の放課後にまとめた三つの案が書かれている。


一つ目、縁日。


二つ目、謎解き展示。


三つ目、フォトスポット。


チョークで書いた文字は少しだけ歪んでいた。


湊の字だ。


雨宮の字はもっと綺麗だったが、なぜか黒板を書く係は湊になった。


理由は、雨宮が「朝比奈、前に立つ練習」と言ったからだった。


練習。


そう言われると断りづらい。


そして今、湊は少しだけ後悔していた。


前に立つのは、やっぱり緊張する。


教室の後ろまで全員の視線がある訳ではない。


藤堂は少し楽しそうにしているし、倉田は机に頬杖をついている。三橋は真面目に黒板を見ている。


女子の方も、何人かは友達と小声で話している。


それでも、教室の前に立つだけで、湊は自分の手の置き場が分からなくなる。


山崎が教卓の横で言った。


「じゃあ今日は文化祭の企画決めな。準備委員の二人、進行よろしく」


よろしく。


軽い言葉だった。


でも、湊には少し重い。


雨宮が横で小さく言った。


「朝比奈」


「うん」


「最初だけ」


それだけで、少し落ち着いた。


昨日決めた流れ。


最初に湊が説明する。


それから雨宮が候補の内容を話す。


追加案を聞いて、最後に投票。


何度か練習した。


大丈夫。


たぶん。


湊は一度息を吸った。


「えっと、文化祭のクラス企画について決めます」


声は思ったより普通に出た。


最初の一言さえ出れば、少し楽になる。


「準備委員で、候補を三つ考えてきました。もちろん、他に案があれば出してもらって大丈夫です」


そこまで言って、雨宮の方を見る。


雨宮が小さく頷いた。


次は雨宮。


「一つ目は縁日です」


雨宮の声は落ち着いていた。


大きくはない。


でも、ちゃんと聞こえる。


「射的、輪投げ、くじ引きみたいに、いくつか小さいゲームを作る案です。分担しやすいので、準備は比較的やりやすいと思います」


黒板の“縁日”の横に、湊が小さく射的、輪投げと書き足す。


少しチョークが滑った。


雨宮は続ける。


「二つ目は謎解き展示です。教室内に問題を置いて、お客さんに解いてもらう形です。作るのは少し大変かもしれませんが、面白くできると思います」


教室の何人かが「おお」と小さく反応した。


湊は少しだけ安心する。


完全に無反応だと、たぶん心が折れていた。


「三つ目はフォトスポットです。教室を飾って、写真を撮れる場所を作ります。準備は装飾中心になります」


雨宮が言い終えると、湊が続けた。


「この三つ以外にも、やりたい案があれば出してください」


言った。


言えた。


湊は少しだけ肩の力を抜いた。


教室に少し沈黙が落ちる。


こういう時の沈黙が一番怖い。


誰も手を挙げない。


誰も話さない。


湊は黒板の方を向きそうになった。


すると、藤堂が手を挙げた。


「喫茶店」


予想通りだった。


教室に少し笑いが起きる。


山崎も「出たな定番」と言った。


湊はチョークを持ち直す。


「喫茶店」


黒板に書く。


「でも食品系は申請とか、衛生面とか、たぶんちょっと大変」


三橋が手を挙げて言った。


「あと調理できるものに制限あるはずです」


「さすが三橋」


藤堂が言う。


三橋は少しだけ困った顔をした。


「去年の一覧見たら、食品系は三年生が多かったから」


雨宮が頷く。


「食品系をやるなら、早めに確認が必要です」


湊はその横で、三橋の言葉を黒板に簡単に書き足した。


食品申請。


準備大変。


字が少し雑になる。


「お化け屋敷は?」


別の男子が言った。


するとすぐに藤堂が笑う。


「朝比奈が怖がるからな」


教室に笑いが起きた。


湊は少し顔が熱くなる。


「俺基準で決めるな」


そう返すと、また少し笑いが起きる。


嫌な笑いではなかった。


湊は内心でほっとした。


こういう場で軽く返せた。


中学の頃なら、たぶん曖昧に笑って終わっていた。


雨宮が横で少しだけ笑っていた。


それも、湊には少し心強かった。


「お化け屋敷は準備が大変そうです」


雨宮が普通にまとめる。


「暗幕とか、段ボールとか、装飾が多くなります」


「でも盛り上がりそう」


女子の一人が言った。


「たしかに」


別の女子が頷く。


意見が少しずつ出始める。


湊は黒板に書く。


お化け屋敷。


盛り上がる。


準備大変。


暗幕必要。


書いているうちに、少しだけ頭が追いつかなくなる。


誰かが話している。


別の誰かが反応する。


藤堂が茶化す。


三橋が冷静に整理する。


雨宮が補足する。


湊はそれを黒板へ書く。


思ったより忙しい。


でも、教室が動いている。


自分たちが出した話題で、クラスがちゃんと話している。


その事実に、湊は少しだけ胸が熱くなった。


「縁日、いいと思う」


倉田が言った。


珍しく少し真面目な声だった。


「なんで?」


藤堂が聞く。


「人によって得意なこと違っても役割作れそうだし。接客苦手な人は裏方できるし、前出たい人は受付とかできる」


湊は思わず倉田を見た。


意外だった。


倉田はいつも眠そうで、適当に見える。


でも、ちゃんと考えている。


「それ、いい意見だと思う」


三橋が言った。


雨宮も頷く。


「分担しやすいのは大事」


湊は黒板に書いた。


役割分担しやすい。


その文字を書きながら、少し思う。


文化祭は、クラスの中心にいる人だけのものではない。


目立つ人。


静かな人。


話すのが得意な人。


裏で作業する方が楽な人。


それぞれが居場所を持てる企画の方がいい。


それは、今の湊にとってかなり大事な視点だった。


「じゃあ、投票する?」


藤堂が言う。


「その前に、候補絞ろう」


雨宮が言った。


「全部入れると割れすぎると思う」


「確かに」


湊は黒板を見た。


縁日。


謎解き展示。


フォトスポット。


喫茶店。


お化け屋敷。


五つ。


このまま投票してもいいが、票が割れそうだった。


山崎が口を挟む。


「まあ、まずはやりたいかどうかで手挙げてみたら? 多いやつ二つくらいに絞って決選投票でもいいし」


湊と雨宮は顔を見合わせた。


雨宮が小さく頷く。


「じゃあ、まずそれで」


湊は前を向いた。


「それぞれ、やってもいいと思う人は手を挙げてください」


自分の声が少しだけ進行役っぽくなっていることに、湊は気づいた。


最初ほど震えていない。


まず縁日。


手が多く挙がる。


藤堂も挙げている。


倉田、三橋も。


女子の方もかなり挙がっていた。


雨宮は数を数える。


「二十二」


次に謎解き展示。


そこそこ挙がる。


「十一」


フォトスポット。


女子の一部を中心に挙がる。


「九」


喫茶店。


思ったより多い。


「十七」


お化け屋敷。


盛り上がりそうだが、手はそこまで多くない。


「十二」


湊は黒板に数字を書いた。


縁日が一番多い。


喫茶店が次。


「じゃあ、縁日と喫茶店で決選投票?」


藤堂が言う。


「そうなるかな」


湊が答える。


雨宮が少し小声で言った。


「喫茶店、申請大変そうだけど」


「それ言った方がいいか」


湊は前を向いた。


「喫茶店は人気あるけど、食品系なので申請とか、衛生面で少し大変になるかもしれません。それでもやりたい人は、喫茶店に投票してください」


説明している自分に少し驚く。


ちゃんと前で話している。


教室全体に向かって。


藤堂が少しだけ真面目な顔で頷いた。


「なるほどな」


最終投票。


縁日。


二十四票。


喫茶店。


十票。


一年一組の文化祭企画は、縁日に決まった。


決まった瞬間、教室に少しだけ拍手が起きた。


大きな拍手ではない。


でも、ちゃんと決まったことへの小さな反応。


湊は黒板に大きく書いた。


縁日


その文字を見て、少しだけ胸が軽くなった。


決まった。


自分たちが進行して、クラスで話し合って、ちゃんと一つの結果にたどり着いた。


ただそれだけのことなのに、湊にはかなり大きかった。


山崎が言った。


「じゃあ一組は縁日で仮決定。細かい内容はまた準備委員中心に決めていきましょう。二人ともお疲れ」


お疲れ。


その言葉を聞いた瞬間、湊はようやく緊張がほどけた。


席に戻ると、藤堂が親指を立てた。


「朝比奈、ちゃんと委員だった」


「昨日も言われた」


「雨宮さんもさすが」


雨宮は席に座りながら、小さく言った。


「朝比奈が黒板書いたから」


「俺の字、汚かったけど」


「読めたから大丈夫」


「基準低いな」


雨宮は少し笑った。


その笑いを見て、湊も笑う。


ホームルームが終わると、教室はすぐに縁日の話で少し盛り上がった。


「射的やりたい」


「景品どうする?」


「輪投げ簡単そう」


「看板作りたい」


思ったより、みんな楽しそうだった。


湊はその声を聞きながら、少し安心した。


縁日でよかったのかもしれない。


放課後。


今日は少しだけ残って、雨宮と投票結果をプリントにまとめることになった。


教室にはまだ何人か残っている。


藤堂はバスケ部へ向かう前に、「縁日楽しみにしてる」と言って出ていった。


倉田は「俺、裏方希望」と言い残して帰った。


三橋は「何か手伝うことあったら言って」と言ってくれた。


その全部が、湊には少し嬉しかった。


雨宮がプリントに今日の結果を書いていく。


「縁日、二十四票」


「喫茶店、十票」


「けっこう差ついたね」


「うん」


「倉田の意見、よかったな」


湊が言うと、雨宮も頷いた。


「意外とちゃんと見てる」


「意外とって言ったら失礼だけどな」


「でも意外」


二人で少し笑う。


夕方の教室。


黒板にはまだ、文化祭の文字が残っている。


湊はそれを見ながら言った。


「今日、思ったより楽しかった」


雨宮がペンを止める。


「話し合い?」


「うん。緊張したけど」


「分かる」


「クラスがちゃんと動いた感じした」


雨宮は少しだけ黒板を見た。


「朝比奈、前より前に立つの慣れたね」


「そう?」


「うん」


「雨宮がいるからだと思う」


言ってから、湊は少しだけ焦った。


でも、もう口から出たあとだった。


雨宮はすぐには返さなかった。


ペンを持ったまま、少しだけ視線を落とす。


それから、小さく言った。


「私も、朝比奈がいるからだと思う」


湊は何も言えなくなった。


教室の外から、部活の声が聞こえる。


ボールの音。


遠くの吹奏楽。


廊下を歩く生徒の足音。


その中で、二人の間だけ少し静かになった。


湊はプリントに視線を落とした。


何か言わないと変な気がした。


でも、何を言えばいいか分からない。


雨宮が先に口を開いた。


「縁日」


「うん」


「ちゃんと楽しくしたいね」


その言葉で、空気が少し戻った。


湊は頷く。


「うん。せっかく決まったし」


「射的、作れるかな」


「段ボールでいけるんじゃない?」


「輪ゴム鉄砲とか」


「男子が好きそう」


「朝比奈も?」


「……少し」


雨宮は笑った。


その笑いに救われる。


少しずついつもの会話に戻っていく。


でも、さっきの言葉は確かに残っていた。


朝比奈がいるから。


雨宮がいるから。


それはたぶん、ただの文化祭準備委員としての言葉だ。


でも、それだけではないようにも聞こえてしまう。


湊は自分の中の感情に、少し困っていた。


帰り道。


二人で駅へ向かう。


水曜日の夕方は、どこか中途半端な疲れがある。


週の真ん中。


まだ終わりではない。


でも、少し進んだ感じがする。


「今日」


雨宮が言った。


「うん」


「朝比奈、ちゃんと進行してた」


「雨宮も説明うまかった」


「うまくはない」


「聞きやすかった」


雨宮は少しだけ黙った。


「ありがとう」


その声が、思ったより素直で、湊は少し照れた。


「こっちこそ」


駅に着く。


ホームには夕方の人混みがあった。


電車を待ちながら、湊はスマホを開いた。


クラスLINEでは、もう文化祭の話が始まっている。


藤堂が、


『一組縁日決定!』


と送っていた。


誰かが、


『射的やりたい』


と返している。


別の誰かが、


『景品どうする?』


と書いている。


湊はその画面を見て、少し笑った。


「もう盛り上がってる」


雨宮もスマホを見ていた。


「うん」


「よかったな」


「うん」


雨宮は短く答えたあと、少しだけ目元を緩めた。


「よかった」


その表情を見て、湊は胸の奥が少し温かくなった。


今日の話し合いは、成功だったのかもしれない。


文化祭本番はまだずっと先だ。


準備もこれから大変になる。


でも、今日という日はちゃんと残る。


教室の前に立ったこと。


黒板に文字を書いたこと。


クラスで手を挙げたこと。


縁日に決まったこと。


そして、雨宮が隣にいたこと。


電車が来る。


二人で乗る。


今日は座らず、いつものように並んで立った。


雨宮の降りる駅まで、少しだけ文化祭の話をした。


射的の的は何がいいか。


輪投げの輪はどう作るか。


景品は何がいいか。


くだらない話なのに、ちゃんと未来に繋がっている。


雨宮の駅が近づく。


「また明日」


雨宮が言う。


「うん。また明日」


雨宮は電車を降りる。


ホームで小さく手を上げる。


湊も返す。


扉が閉まる。


電車が動き出す。


湊はスマホをもう一度見た。


クラスLINEはまだ動いている。


その中に、雨宮の名前はなかった。


でも湊は知っている。


雨宮はきっと、ちゃんと見ている。


読むだけで、少し考えて、必要な時に言葉を出す。


そういう人だ。


湊はスマホを閉じた。


普通の高校生活。


普通のクラスの話し合い。


普通の文化祭準備。


でも、その普通の中に、自分の居場所が少しずつできている。


そしてその中心に、いつの間にか雨宮がいる。


湊はまだ、それを恋とは呼ばなかった。


でも、雨宮が隣にいると前に立てる。


それだけは、もうはっきり分かっていた。

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