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『普通の恋が、したかった。』  作者: vastum


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第14話 放課後のコンビニ

金曜日の朝。


朝比奈湊は、目覚ましが鳴る少し前に目を覚ました。


窓の外はまだ少し薄暗い。


スマホを見ると六時十二分。


あと十分くらい寝られる。


そう思ったのに、結局そのまま起きてしまった。


理由はよく分からない。


ただ、今日は金曜日だった。


高校生活が始まって二週間。


最初は長く感じていた一週間も、最近は少しだけ早く過ぎる。


それはたぶん、学校へ行く理由が増えたからだ。


授業。


クラス。


藤堂たちとの会話。


文化祭。


そして、雨宮栞。


そこまで考えて、湊は布団の中で小さく息を吐いた。


自分の中で、雨宮の存在が少しずつ大きくなっている。


それはもう、認めない方が難しかった。


もちろん、付き合っている訳ではない。


特別なことをした訳でもない。


でも、学校で何かあるたびに最初に思い浮かぶ相手が雨宮になり始めている。


それは湊にとって、かなり新しい感覚だった。


朝食を食べ、制服に着替え、家を出る。


空気は昨日より暖かい。


春が終わりかけている匂いがした。


駅に向かう途中、湊は昨日の“ありがとう”を思い出していた。


一緒に前に立ってくれて。


ただそれだけ。


でも、あの時の雨宮の声は少し柔らかかった気がする。


考えすぎかもしれない。


でも、少しくらい考えてしまう。


電車に乗る。


いつもの場所。


次の駅で雨宮が乗ってくる。


それも、もう当たり前みたいになっていた。


そして実際、次の駅で雨宮は乗ってきた。


湊を見つけると、小さく会釈する。


「おはよう」


「おはよう」


「今日は早い」


「ちょっと早く起きた」


「珍しい」


「最近その返し多いな」


「朝比奈、普通に見えて意外と抜けてるから」


「褒めてないだろ」


「観察結果」


湊は笑った。


電車が揺れる。


朝の光が窓から入る。


最近、この時間が少し好きになっていた。


学校へ向かう途中。


まだ一日が始まる前。


教室ほど騒がしくなくて、でも一人でもない。


「今日で今週終わりだね」


雨宮が言う。


「早かったな」


「うん」


「高校ってもっと疲れるかと思ってた」


「疲れるけど、思ってたのとは違う」


「分かる」


湊は少し考えてから言った。


「中学より、“ちゃんと学校行ってる感”ある」


雨宮は少しだけ目を細めた。


「それ、ちょっと分かる」


「なんでだろ」


「知らない人が多かったからじゃない?」


「高校?」


「うん。最初から決まってる関係が少ないから」


その言葉は妙に納得できた。


中学は、何となく空気が完成していた。


小学校から続いている関係。


グループ。


立ち位置。


カーストというほど大げさではなくても、最初から見えない線があった。


でも高校は違う。


全員が少しずつ探っている。


だから湊も、前より少しだけ自由に動けているのかもしれない。


学校へ向かう道。


今日は風が穏やかだった。


女子たちの笑い声。


自転車の音。


朝の匂い。


湊はふと気づく。


最近、こういう景色をちゃんと見るようになった。


中学の頃は、ただ学校へ行って帰るだけだった。


周りを見る余裕なんてなかった。


いや、余裕はあったのかもしれない。


ただ、自分のことでいっぱいだった。


「朝比奈」


雨宮が言う。


「ん?」


「今、ちょっとぼーっとしてた」


「考え事」


「何考えてたの?」


湊は少し迷った。


“高校生活っぽいな”と思っていた、とは何となく恥ずかしい。


「学校のこと」


「雑」


「雨宮は?」


「朝比奈、また何か変なこと考えてるんだろうなって」


「失礼だな」


「違う?」


「……半分くらい合ってる」


雨宮は少し笑った。


その笑い方を見ると、湊もつられて少し笑ってしまう。


教室へ入る。


金曜日の朝は、少し空気が軽い。


みんな週末を意識している。


藤堂は朝からテンションが高かった。


「今日終わったら休み!」


「まだ一時間目も始まってない」


三橋が冷静に返す。


倉田は机に突っ伏しながら言った。


「土曜寝る」


「それ毎週言ってる」


湊は席に座りながら、その会話を聞いていた。


こういうやり取りにも、もうかなり慣れた。


最初は、会話に入るタイミングすら分からなかった。


でも今は、自然に笑える。


自然に返せる。


その変化が、自分でも少し不思議だった。


一時間目は体育だった。


今日は校庭で軽い持久走。


湊は運動が苦手というほどではないが、得意でもない。


普通。


たぶん、かなり普通。


整列している時、藤堂が言った。


「朝比奈、走れそう」


「なんで」


「足遅くはなさそう」


「普通だよ」


「最近、朝比奈の普通って信用できない」


倉田が笑う。


湊は少しだけ肩をすくめた。


体育教師の笛が鳴る。


走り始める。


校庭を周回するだけ。


単純な授業。


でも春の風が少し気持ちよかった。


湊は前を走る生徒たちを見ながら、一定のペースで走る。


隣のレーンでは女子も走っていた。


雨宮は速くはないが、ペースを崩さず走っている。


その横顔を見て、湊は少し意外に思った。


雨宮は体力がなさそうなイメージだった。


でも、ちゃんと走っている。


授業後。


教室へ戻る途中、雨宮が少し息を吐きながら言った。


「疲れた」


「珍しい」


「普通に疲れる」


「でも意外とちゃんと走ってた」


「朝比奈も」


「俺は普通」


「便利な言葉だね」


「雨宮が言い始めたんだろ」


雨宮は少し笑った。


体育の後の教室は少し騒がしい。


みんな汗を拭きながら話している。


窓が開けられ、春の風が入る。


その空気が、湊には少し心地よかった。


昼休み。


今日は藤堂が突然言い出した。


「放課後コンビニ行かね?」


「急だな」


倉田が言う。


「なんか金曜って感じしない?」


「意味分からん」


「分かるだろ。学校終わりにコンビニ寄るの、高校生っぽい」


湊は少し笑った。


また“高校生っぽい”。


でも最近、その言葉を聞くたびに少し分かる気がしてしまう。


三橋が言う。


「別にいいけど、何買うの」


「なんか」


「雑」


藤堂は湊を見る。


「朝比奈も来る?」


湊は少し考えた。


放課後コンビニ。


ただそれだけ。


でも、中学の頃の湊なら断っていた気がする。


特に理由がなくても、“なんとなく”輪に入りづらくて。


でも今は、少し違う。


「行く」


湊が言うと、藤堂が笑った。


「よし」


その瞬間、湊はふと隣を見た。


雨宮は女子たちと話していた。


コンビニへ行く流れには入っていない。


少しだけ気になった。


放課後。


ホームルームが終わる。


藤堂たちはすぐに立ち上がった。


「行こうぜ」


湊も鞄を持つ。


その時、雨宮が小さくこちらを見た。


「コンビニ行くの?」


「うん。藤堂たちと」


「そっか」


雨宮はそれだけ言って、教科書を鞄に入れた。


なぜか、湊は少し迷った。


別に悪いことではない。


友達とコンビニへ行くだけだ。


でも、最近放課後は自然と雨宮と帰る流れになっていた。


だから少しだけ変な感じがする。


「雨宮は?」


湊が聞く。


「今日はまっすぐ帰る」


「そっか」


短い会話。


でも、そのあと少しだけ沈黙が落ちた。


藤堂が後ろから声をかける。


「朝比奈ー」


「お、おう」


湊は雨宮を見た。


「じゃあ、また月曜」


雨宮は小さく頷いた。


「うん。また月曜」


その言い方が、いつもより少し静かに聞こえた気がした。


気のせいかもしれない。


でも、湊はなぜか少し引っかかった。


コンビニまでは徒歩五分ほどだった。


藤堂、倉田、三橋、そして湊。


四人で歩く。


高校生の集団、という感じがする。


藤堂はバスケ部の話をしている。


倉田はスマホゲームのイベントがどうとか言っている。


三橋はそれに適当に返している。


湊も会話に混ざる。


普通に楽しい。


ちゃんと楽しい。


それなのに、頭のどこかに雨宮が残っていた。


コンビニに入る。


冷房が少し涼しい。


藤堂はすぐにアイスコーナーへ向かった。


「金曜はアイス」


「ルールなの?」


湊が聞く。


「今決まった」


倉田が笑う。


湊は飲み物コーナーを見ながら、何となくスマホを開いた。


特に通知はない。


でも、無意識に雨宮から何か来ていないか確認していた自分に気づいて、少し驚いた。


何期待してるんだ、と思う。


別に連絡する用事なんてない。


雨宮はまっすぐ帰ると言っていた。


それだけだ。


藤堂がアイスを持ってくる。


「朝比奈、何買う?」


「まだ決めてない」


「ミルクティー?」


「なんで知ってる」


「最近いつも飲んでる」


湊は少しだけ笑った。


結局、ミルクティーと小さなパンを買った。


店を出る。


夕方の空気。


コンビニの前で、四人でだらだら話す。


「こういうの、高校生っぽくね?」


藤堂がまた言う。


「お前ほんと好きだな、その言葉」


湊が言う。


「でも実際そうじゃん」


倉田も頷く。


「まあ、分からなくはない」


三橋が小さく笑った。


「朝比奈、最近ちょっと高校楽しそうだよな」


その言葉に、湊は少しだけ固まった。


「そう見える?」


「見える」


藤堂が即答する。


「最初より全然喋るし」


「文化祭委員もやってるしな」


倉田が言う。


「雨宮さんとも普通に話してるし」


その名前が出た瞬間、湊の心臓が少しだけ跳ねた。


「……隣だし」


「またそれ言う」


藤堂が笑う。


でも、その笑い方は軽かった。


からかうというより、本当にただ話題にしているだけ。


湊は少し安心する。


それと同時に、自分が思っているより周囲から見えているのかもしれない、とも思った。


帰り道。


駅で三人と別れたあと、湊は一人で電車に乗った。


いつもなら、ここに雨宮がいる。


それが妙に不思議だった。


車内の窓に、自分の顔が映る。


少し疲れていて、でも少し笑っている。


今日は普通に楽しかった。


藤堂たちとコンビニへ行った。


高校生っぽい放課後だった。


でも。


湊はスマホを開いた。


少し迷ってから、雨宮とのトーク画面を開く。


今まで必要最低限しかやり取りしていない画面。


そこに文字を打つ。


『コンビニ、思ったより高校生っぽかった』


送信。


送ってから、少し後悔した。


何だその感想。


意味分からない。


もっと普通の文があっただろ。


でも、送ってしまったものは戻らない。


湊はスマホを伏せた。


数分後、通知が鳴る。


雨宮からだった。


『藤堂くんが好きそう』


湊は思わず笑った。


すぐに返信する。


『めちゃくちゃ言ってた』


雨宮からまた返ってくる。


『想像できる』


短いやり取り。


それだけなのに、湊は少し安心した。


今日、放課後を別々に過ごした。


でも、ちゃんと繋がっている感じがする。


それが少し嬉しかった。


電車が揺れる。


夕方から夜へ変わる景色が窓の外を流れていく。


湊はスマホの画面を見ながら、小さく息を吐いた。


高校生活。


友達。


放課後。


文化祭。


コンビニ。


そして雨宮。


少しずつ、自分の毎日の中に“誰か”が増えていく。


その感覚を、湊はまだうまく説明できなかった。


でも、悪くないと思っていた。

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