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『普通の恋が、したかった。』  作者: vastum


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第12話 企画案

文化祭準備委員になってから、朝比奈湊の鞄は少しだけ重くなった。


物理的には、プリントが数枚増えただけだ。


文化祭準備委員の資料。


企画提出用紙。


去年の企画一覧。


注意事項。


たかが紙数枚。


それなのに、鞄を開けるたびにそれが目に入ると、湊は少しだけ背筋が伸びた。


自分には役割がある。


そう思うことは、少し嬉しくて、少し面倒だった。


中学の頃も係はあった。


黒板係とか、プリント係とか、保健係とか。


でも、そこに深い意味を感じたことはあまりない。


決められたからやる。


当番だからやる。


それだけだった。


けれど文化祭準備委員は少し違う。


クラスの企画を決める。


意見をまとめる。


会議に出る。


その言葉だけで、湊には少し大きなものに見えた。


もちろん、文化祭はまだ先だ。


今すぐ忙しくなる訳ではない。


でも、来週までにクラス企画の候補を三つ出さなければいけない。


そのために、まずは自分たちで案を考えておく必要があった。


「朝比奈」


朝の教室で、雨宮栞が隣から声をかけてきた。


「ん?」


「今日の放課後、少し残れる?」


湊は一瞬だけ返事が遅れた。


放課後。


少し残れる。


その言葉の響きだけで、少しだけ高校生らしいと思ってしまった。


いや、理由は分かっている。


文化祭の企画案を考えるためだ。


変に意識する必要はない。


「大丈夫。部活もまだ決めてないし」


「じゃあ、企画考えよう」


「うん」


「場所、教室でいい?」


「いいと思う」


雨宮は小さく頷き、机の中から文化祭資料を出した。


きちんとクリアファイルに入っている。


湊は鞄から少し折れかけたプリントを出した。


雨宮がそれを見て、ほんの少しだけ目を細めた。


「朝比奈」


「何」


「プリント、折れてる」


「鞄の中で少し」


「文化祭委員として」


「そこまで?」


「資料は大事」


「すみません」


湊が軽く頭を下げると、雨宮は少しだけ笑った。


その笑い方にも、だいぶ慣れてきた。


朝のホームルームが始まるまで、二人は資料を少し見た。


去年の企画一覧には、いろいろなものが並んでいた。


お化け屋敷。


縁日。


メイド喫茶。


脱出ゲーム。


フォトスポット。


射的。


クイズラリー。


展示。


どれも高校の文化祭らしい。


見ているだけなら楽しそうだった。


でも、準備する側として見ると話は変わる。


「お化け屋敷、大変そう」


湊が言う。


「暗幕いる」


「段ボールもいる」


「あと朝比奈が怖がる」


「俺前提にするな」


「じゃあ平気?」


「……驚かされるのは苦手」


「やっぱり」


雨宮は小さく笑った。


「喫茶店は?」


湊が聞く。


「食品申請が面倒そう」


「でも人気ありそう」


「衣装とかもいる」


「クラスの陽キャは好きそう」


「朝比奈は?」


「見る側ならいい」


「やる側は?」


「接客で死ぬ」


「分かる」


二人で少し笑う。


その時、前の席の藤堂が振り返った。


「何? もう文化祭の話?」


「一応」


湊が答えると、藤堂は少し身を乗り出した。


「喫茶店やろうぜ、喫茶店」


「準備大変そうなんだよ」


「でも青春じゃん」


「また青春」


「文化祭で喫茶店やらずに何やるんだよ」


倉田も後ろから口を挟む。


「お化け屋敷は?」


「朝比奈が怖がるから却下」


雨宮がさらっと言った。


「雨宮、広めるな」


湊が言うと、倉田が笑った。


「朝比奈、お化け屋敷無理なの?」


「無理じゃない。得意じゃないだけ」


「それ無理寄りじゃん」


藤堂が楽しそうに笑う。


湊は少しだけ顔が熱くなったが、嫌な感じはしなかった。


こういう軽いからかいなら、最近は少し受け流せるようになっている。


中学の頃なら、変に気にしていたかもしれない。


でも今は、雨宮が隣で平然としているせいか、少し楽だった。


山崎が教室に入ってきて、会話はそこで止まった。


一時間目は数学だった。


前回の続きで、少しずつ難しくなっている。


湊は何とかついていけているが、雨宮は今日もところどころでペンを止めていた。


授業中、湊は説明を聞きながら、ちらりと隣を見る。


雨宮のノートは相変わらず綺麗だ。


ただ、理解が追いついていない箇所には小さな丸がついている。


あとで聞くつもりなのだろう。


湊は自分のノートにも少し丁寧に途中式を書いた。


自分のためでもある。


でも、雨宮に説明する時に分かりやすいように、という気持ちも少しあった。


休み時間になると、雨宮はすぐにノートを見せてきた。


「ここ」


「やっぱりそこか」


「やっぱり?」


「止まってるの見えた」


「見てたの?」


「見えた」


「見てたんだ」


「いや、隣だから」


雨宮は少しだけ笑った。


湊は少し焦りながら説明した。


数学の説明は、何度かやっているうちに少し慣れてきた。


湊は教師ではないし、特別分かりやすい訳でもない。


でも雨宮は、湊の説明をちゃんと聞いてくれる。


途中で分からないところがあれば、素直に聞き返してくる。


その感じが、湊にはやりやすかった。


「なるほど」


雨宮が頷いた。


「分かった?」


「たぶん」


「たぶんか」


「でも前より分かった」


「ならよかった」


藤堂が後ろから言った。


「朝比奈、もう雨宮専属の数学係じゃん」


湊は一瞬だけ固まった。


専属。


そういう言い方をされると、妙に意識してしまう。


雨宮は普通に返した。


「文化祭委員の仕事もあるから」


「数学と文化祭、兼任か」


藤堂が笑う。


倉田も「忙しいな」と言った。


湊は少しだけ身構えていたが、それ以上何も言われなかった。


まただ。


自分が思っているほど、周囲は深く考えていない。


ただ軽く言って、軽く笑って、次の話題へ移る。


それでも、湊の心臓は少しだけ速くなっていた。


二時間目の英語では、雨宮に単語の覚え方を教えてもらった。


「朝比奈、これ間違えてる」


小テストの返却後、雨宮が言った。


「どれ?」


「発音と綴りが混ざってる」


「英語嫌いになりそう」


「早い」


「数学教えるから英語教えて」


「交換だからね」


雨宮はノートの端に、覚え方を小さく書いてくれた。


語源とか、似た単語の違いとか、湊が普段あまり意識しないことだった。


「雨宮、英語得意なんだな」


「普通」


「その普通は信用できない」


「数学よりは」


「じゃあ十分得意」


雨宮は少しだけ困ったように笑った。


褒められるのが少し苦手なのかもしれない。


その表情を見て、湊はまた一つ雨宮のことを知った気がした。


昼休み。


湊は藤堂たちと弁当を食べながら、文化祭の話をした。


というより、藤堂が勝手に話を広げた。


「一組は喫茶店で決まりだろ」


「まだ何も決まってない」


湊が言うと、藤堂はパンをかじりながら首を振った。


「いや、クラスの団結には喫茶店」


「根拠は?」


「なんとなく」


倉田が言う。


「でも喫茶店って、結局一部の人が働いて、一部の人が遊ぶやつじゃね?」


三橋が頷く。


「役割分担難しそうだよね。食品扱うなら衛生面もあるし」


「じゃあ縁日」


藤堂が言う。


「射的とか輪投げとか」


「それは少し楽しそう」


湊が言うと、倉田も頷いた。


「準備も分担しやすそうだしな」


「文化祭委員っぽい会話してる」


藤堂が笑う。


湊は少し恥ずかしくなった。


でも、悪くない。


自分がクラスの企画について話している。


しかも、ただ聞いているだけではなく、意見を出している。


中学の頃なら、こういう話し合いは誰かに任せていた。


目立たないように、無難に、決まったことに従う側だった。


高校では少し変わりたい。


その小さな願いが、今こういう形になっているのかもしれない。


昼休みの終わり頃、湊は飲み物を買いに行った。


自販機の前には、今日は雨宮はいなかった。


少しだけ物足りなさを感じる。


最近ここで会いすぎていたからだ。


湊はミルクティーを買い、教室へ戻ろうとした。


その途中、廊下の掲示板に去年の文化祭写真が貼られているのを見つけた。


先輩たちがクラスTシャツを着て笑っている写真。


教室の中に作られた縁日。


暗く飾られたお化け屋敷。


模擬店の看板。


ステージ発表。


写真の中の高校生たちは、みんな楽しそうだった。


本当に楽しかったのかは分からない。


準備中に揉めたかもしれないし、当日は疲れていたかもしれない。


でも写真には、ちゃんと“高校生活”が写っている。


湊はしばらく見ていた。


自分も、こういう写真の中に入れるのだろうか。


ただ写るだけではなく、ちゃんとその場にいたと思えるような写真に。


「朝比奈」


声をかけられて振り返ると、雨宮がいた。


手にはお茶のペットボトル。


「見てたの?」


「去年の文化祭」


「楽しそうだね」


「うん」


雨宮も隣に立って写真を見た。


二人で並んで掲示板を見る。


廊下を何人かの生徒が通り過ぎる。


「こういうの、いいなって思う」


湊が言った。


「写真?」


「うん。あと、ちゃんと参加してる感じ」


雨宮は写真を見たまま、少しだけ頷いた。


「分かる」


「中学の時、行事はあったけど、なんか流れていった感じだった」


「見る側?」


「そう。ちゃんといたはずなのに、思い出すと薄い」


言ってから、少し恥ずかしくなった。


昼休みの廊下で話すには、少し真面目すぎる。


でも雨宮は笑わなかった。


「私も、ちょっと分かる」


「雨宮も?」


「中学の文化祭、美術部で展示したけど、あんまり覚えてない」


「絵、出したの?」


「うん」


「すごいじゃん」


「普通」


「出た」


雨宮は少し笑った。


「でも、覚えてるのは、展示の内容より準備中に友達が絵の具こぼしたこととか」


「そういう方が残るよな」


「うん」


湊は掲示板の写真をもう一度見た。


文化祭。


企画。


準備。


クラス。


もしかしたら、当日の成功より、そこまでの小さな出来事の方が記憶に残るのかもしれない。


放課後。


ホームルームが終わると、教室の空気が一気に緩んだ。


藤堂はバスケ部へ行く準備をしている。


倉田は帰ると言い、三橋は図書室へ行くらしい。


湊は鞄から文化祭資料を取り出した。


雨宮も同じように資料を出す。


「残る?」


雨宮が聞く。


「うん」


二人は自分たちの席で向かい合うように座った。


まだ教室には何人か残っていたが、少しずつ減っていく。


放課後の教室は、授業中とも昼休みとも違う。


机の影が長く伸び、窓の外から部活の音が聞こえる。


誰かの笑い声が廊下を通り過ぎて、また静かになる。


湊はプリントを広げた。


「とりあえず三つ案を出すんだよな」


「うん」


雨宮はペンを持った。


「クラスに出す前に、候補考えよう」


「定番だと、喫茶店、お化け屋敷、縁日」


「お化け屋敷は朝比奈が」


「俺基準やめろ」


「でも準備大変そう」


「それはそう」


雨宮はプリントの端に小さく書く。


喫茶店。


縁日。


展示。


脱出ゲーム。


「脱出ゲームって何するんだろう」


湊が聞く。


「謎解き作る」


「難しそう」


「でも楽しそう」


「雨宮、得意そう」


「謎解き?」


「本読んでるから」


「偏見」


「ごめん」


雨宮は少し笑った。


「でも、作るのは難しそう」


「じゃあ縁日が現実的かな」


「分担しやすいし」


「射的、輪投げ、くじ引きとか」


「景品いる」


「予算」


「手作り景品なら安い?」


「文化祭っぽい」


二人で話しながら、少しずつ案を書いていく。


不思議だった。


最初は何を話せばいいか分からなかったのに、文化祭というテーマがあるだけで会話が続く。


しかも、それがただの雑談ではなく、ちゃんと何かを作っている感じがする。


雨宮は思ったより現実的だった。


楽しそうかどうかだけではなく、準備できるか、人手が足りるか、申請が必要かを考える。


湊はそのたびに感心した。


「雨宮、委員向いてるな」


湊が言うと、雨宮はペンを止めた。


「そう?」


「ちゃんと考えてる」


「朝比奈も考えてる」


「俺は雰囲気で言ってるだけ」


「でも、雰囲気も大事」


「そうかな」


「文化祭だから」


雨宮はそう言って、少しだけ笑った。


教室に残っていた生徒も、気づけばほとんどいなくなっていた。


窓の外は夕方になっている。


部活の声が少し遠い。


湊はふと周囲を見回した。


放課後の教室に、雨宮と二人で残っている。


文化祭の企画を考えている。


高校生っぽい。


そう思ってしまった。


藤堂が言う“青春”という言葉が少し頭をよぎる。


まだ恥ずかしい。


でも、完全に否定する気にはなれなかった。


「朝比奈」


雨宮が言った。


「ん?」


「何笑ってるの」


「笑ってた?」


「少し」


湊は少し迷った。


「いや、高校っぽいなって」


雨宮は一瞬だけ黙った。


それから、窓の外を見た。


「分かる」


「だろ」


「放課後に残って、文化祭の話してる」


「かなり高校っぽい」


「青春?」


雨宮が言う。


湊は笑った。


「それ言うと藤堂になる」


「じゃあやめる」


二人で少し笑った。


その後、案は三つに絞った。


一つ目、縁日。


射的や輪投げなど、いくつかの小さなゲームを用意する。


二つ目、謎解き展示。


教室内を回って問題を解き、最後に答えを出す。


三つ目、フォトスポットと簡単な展示。


教室を飾り、写真を撮れる場所を作る。


「喫茶店は外す?」


湊が聞く。


「クラスから出るかもしれないし、こっちの候補は現実的なのでいいと思う」


「確かに」


「でも、藤堂くんは文句言いそう」


「絶対言う」


湊は笑った。


資料をまとめる頃には、教室に残っているのは本当に二人だけになっていた。


山崎が一度廊下を通り、教室を覗いた。


「お、文化祭委員。ちゃんとやってるな」


湊は少し背筋を伸ばした。


「一応」


「偉い偉い。あんまり遅くなるなよ」


「はい」


山崎はそう言って去っていった。


先生に褒められると、少し気恥ずかしい。


雨宮がプリントをファイルに入れながら言った。


「ちゃんとやってるって」


「一応な」


「成長したね」


「今日それ言ってなかったのに」


「言いたくなった」


湊は笑った。


教室を出る時、湊は少しだけ振り返った。


夕方の教室。


机。


黒板。


窓。


自分たちが座っていた二つの席。


そこに、今日の時間が少しだけ残っている気がした。


駅までの帰り道、二人は文化祭の話を続けた。


「縁日なら、景品どうする?」


「お菓子は食品扱いになる?」


「分からない」


「手作りのしおりとか?」


「雨宮っぽい」


「名前が栞だから?」


「いや、今気づいた」


雨宮は少しだけ目を細めた。


「雑」


「ごめん」


「でも、しおりは作りやすいかも」


「本当に採用されそう」


「朝比奈も作る?」


「俺が作ったしおり、需要ある?」


「普通にある」


「普通に」


「うん」


その会話が妙に楽しかった。


内容は大したことじゃない。


でも、未来の文化祭に向かって少しずつ何かを考えている感じがする。


駅に着き、ホームで電車を待つ。


空はもう夕方から夜に変わりかけていた。


雨宮が言った。


「今日、結構進んだね」


「うん」


「一人だったら無理だった」


「俺も」


「二人でよかった」


湊は一瞬、返事が遅れた。


雨宮は何気なく言ったのだと思う。


文化祭委員が二人でよかった。


一人じゃなくてよかった。


そういう意味だ。


分かっている。


それでも、その言葉は湊の胸に少し強く残った。


「……うん」


湊は少し遅れて頷いた。


「二人でよかった」


雨宮はこちらを見た。


それから、少しだけ笑った。


電車が来る。


二人で乗る。


今日は座らずに立った。


いつもの距離。


いつもの車内。


でも、湊の中では少しだけ何かが変わっていた。


放課後の教室で、二人で企画案を考えた。


ただそれだけ。


でも、それは確かに今日の記憶として残る気がした。


雨宮の降りる駅が近づく。


「じゃあ、また明日」


雨宮が言う。


「うん。また明日」


「プリント、折らないように」


「分かった」


「文化祭委員だから」


「はいはい」


雨宮は少し笑って電車を降りた。


ホームで小さく手を上げる。


湊も返す。


扉が閉まる。


電車が動き出す。


湊は鞄に入れたプリントを、無意識に押さえた。


折れないように。


今日の放課後が、ちゃんと残るように。


普通の高校生活。


普通の文化祭準備。


普通の帰り道。


でもその普通の中で、湊は少しずつ、雨宮と過ごす時間を特別に思い始めていた。


まだ、それに名前をつけるつもりはなかった。


でも、確かに。


明日もまた話したいと思っていた。

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