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俺の主君は、自分を悪役だと信じて疑わない。~最強のモブ騎士(俺)は、自掘り墓に付き合わされて今日も溜息をつく~  作者: 雪沢 凛


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第三十二話 婚約式と台本なき幕引き

 大礼拝堂は白と金で飾り立てられ、四百を超える貴族たちが席を埋めていた。


 祭壇の前には、ルシアンとアリスが並んで立っている。

 ルシアンの礼服は金糸の刺繍が眩しく、隣に立つアリスの純白のドレスと対になるよう仕立てられていた。


 傍目には絵のように完璧な婚約式だ。


 俺は祭壇の脇、護衛騎士の定位置に立ち、会場全体を見渡していた。


「……右の三列目、端から二番目」

 耳元でセインの声が聞こえた。彼は反対側の柱の陰に立っている。


「見えています」


 見慣れない顔の近衛騎士が二人、式が始まってから少しずつ位置を変えていた。

 方向は祭壇ではなく、会場の灯火台だ。


「灯火に細工か」

「おそらく。油に何かを混ぜれば、煙で視界を奪える。混乱に乗じて動く気でしょう」

「アリス嬢には」

「伝えてあります。合図があれば殿下を連れて裏口へ」


 祭壇では、主礼拝司が厳かな声で婚約の誓いの文句を読み上げ始めていた。


 ルシアンはこちらを見た。

 何でもない顔をしようとしているが、左手の指先が微かに震えているのが俺には分かる。


 俺は小さく頷いた。

 ルシアンの肩から、少しだけ力が抜けた。


 式典は粛々と進んでいく。

 高所の観覧席では、シルヴェスターが金の杯を手に、完璧な微笑を浮かべていた。


 その目は、祭壇ではなく灯火台を追っていた。


「……動きます」

 セインの声と同時に、俺は祭壇の前へ踏み出していた。


 会場の右奥、三カ所の灯火台がほぼ同時に不自然な方向へ傾いだ。


「——っ」


 白い煙が会場に広がり始める。貴族たちがざわめき、立ち上がる者が出た。

 混乱の中でアリスがルシアンの腕を掴み、裏口の方向へ引いた。

 その瞬間、人波を割って黒い影が二つ、祭壇へ向かった。


 俺は煙の中を走り、先頭の影の手首を取り、その体を使って二人目を防いだ。

 戦いは短かった。

 辺境育ちの体は、煙の中でも迷わない。視界より先に耳と皮膚が動く。


 二人を制した時、会場の煙はすでにセインが処理していた。

 灯火台に近づく前に、もう一人の刺客を無力化したらしい。


 静寂が戻る。


 四百人の貴族が、床に伏せた二人の刺客と、俺を見ていた。


「……なんと」

 誰かが呟いた。

「式の場で、ルシアン殿下への刺客が」

「第二王子を、誰が」

 囁きが会場を満たす。


 高所のシルヴェスターは、杯を持ったまま動かなかった。

 完璧な微笑だけが、その顔に貼り付いていた。


「ヴァルツ騎士」


 俺は顔を上げた。

 シルヴェスターが立ち上がり、会場全体に聞こえる声で言った。


「見事だ。……私の弟を守ってくれた」

 その言葉の意味を、この場にいる全員が受け取った。


 シルヴェスターは「自分は無関係」だと宣言した。

 刺客の差し金は自分ではないと、四百人の前で。


 同時に、俺への称賛で空気を制した。


 ……上手い。


 俺は礼をとった。

「殿下のご慈愛に感謝いたします」


 それだけ言い、祭壇の裏口へ向かった。





 裏の控え室に飛び込むと、ルシアンがアリスの隣に立っていた。


「カイル!」


 彼は俺の姿を見た瞬間、大きく息を吐いた。

 それから俺の腕を掴み、傷がないか確認し始めた。


「怪我は」

「ありません」

「本当か」

「本当です」

「……そうか」


 ルシアンは俺の腕を放した。

 それから、自分の腰に差した短剣に触れた。


「これ、返す」

「式はまだ終わっていませんよ」

「もう終わったも同然だ」


 俺は短剣を受け取った。

 柄が、ルシアンの体温で温かかった。


「アリス嬢」


 アリスは窓辺に立ち、ノートを取り出していた。


「……式の最中も書いていたのですか」


「大事な場面は逃せませんわ」


 セインがため息をつき、俺の隣に立った。

「会場の刺客は三人でした。一人は私が、二人はヴァルツ騎士が。全員生きています」


「尋問できますか」

「できますが、口を割るかどうかは」

「口を割らなくても構いません。刺客が式の場に現れたという事実だけで十分です」


「……なるほど」

 セインは少し目を細めた。


 これで、シルヴェスターは「式の場での暗殺未遂」という事実を抱えることになる。

 本人が差し金でないとしても、自分の式典で起きた事件の責任は逃れられない。


 ルシアンは何も言わなかった。

 ただ、窓の外を見ていた。


「……終わったのかな」

 独り言のように言った。


「今日のことは、終わりました」

 俺は正直に答えた。

「この先のことは、まだ分かりません。シルヴェスター殿下が次にどう動くかも、刺客の背後に誰がいるかも」


「分かってる」

 ルシアンは振り返り、俺を見た。

「でも、今日は終わった。……それでいい」


 その顔は、穏やかだった。

 恐怖でも安堵でもなく、ただ穏やかな、疲れ果てた顔。


 アリスがノートを閉じ、優雅に立ち上がった。


「殿下。婚約の件ですが」

「ああ」

「来月、教会への帰依を正式に申請いたします。聖女は俗世の婚約を結べない、という規則を利用して。……自然な形で、白紙に戻せますわ」


 ルシアンはしばらく彼女を見ていた。

「……それでいいのか」


「私が決めることです」


「そうだな」


「殿下も、ご自分のことはご自分でお決めになってくださいまし」

 アリスはそれだけ言い、セインを従えて控え室を出た。


 扉が閉まり、俺とルシアンだけが残った。


 しばらく沈黙が続いた。


 ルシアンは窓の外を見ていた。

 曇り空の下、城の庭に早咲きの花が一輪だけ顔を出している。


「カイル」

「はい」

「俺、この世界で生き残れると思うか」


 俺は少し考えた。

「思います」


「根拠は」

「今日まで生き残ってきたことです」


 ルシアンは呆れたように笑った。

「それ、根拠になってないぞ」


「なっています」


「……君ってやつは」

 彼は笑ったまま、額を押さえた。

「本当に、どうしようもない石頭だな」


「よく言われます」


 窓から差し込む薄い光が、ルシアンの金髪を照らした。


 この男が、最初に俺の前でへたり込んだ夜のことを思い出した。

「この世界で俺を救えるのは君だけだ」と叫んだ、あの夜。


 あの時の俺は、早く厄介払いをしようとしていた。


 今は——今は、何を思っているのか。


 俺にはまだ、うまく言葉にできない。


「……腹が減った」

 ルシアンが唐突に言った。

「緊張しすぎて朝から何も食べてない。唐揚げ食べたい」


「厨房に頼みましょう」

「君が作ってくれ」

「俺は騎士で——」

「分かってる。それでも君が作ってくれた方がいい」


 俺は少しの間、彼を見た。

 それから、ため息をついた。


「……分かりました。今日だけです」


 ルシアンの顔に、ぱっと光が灯った。

 あの八重歯が覗く、不敵で子供っぽい笑みだ。


「やった。じゃあ行こう」


 彼は俺の袖を引き、廊下へ出た。


 台本はなくなった。

 シルヴェスターは次の手を考えているだろう。

 刺客の背後には、まだ見えない「手」がある。


 それでも今この瞬間、俺の袖を引いて廊下を歩くこの馬鹿殿下は——確かに、生きていた。


 それで十分だと、俺は思った。


 ……思った、だけだ。


 それ以上のことは、まだ言葉にしない。


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